ある音楽人的日乗

「音楽はまさに人生そのもの」。ジャズ・バー店主、認定心理カウンセラー、ベーシスト皆木秀樹のあれこれ

四人囃子

2005年06月24日 | ミュージシャン

 教育現場にも大きな波紋を起こした「3年B組金八先生」という学園ドラマがありました。
 疲弊しつつあった教育現場の問題に正面から取り組んだ内容は、お茶の間に衝撃を起こしたのにとどまらず、社会的にも影響を及ぼしたことははっきり記憶に残っています。
 それと同時に波紋を呼んだというか、一部で(ぼくらの間だけかもしれません)話題になったのは、主役である「金八先生」を演じたのは武田鉄矢氏の髪型だったのです。


 武田さんは、「海援隊」を率いて「母に捧げるバラード」の大ヒットを飛ばしたものの、その後は鳴かず飛ばずでした。
 しかし高倉健さんと共演した松竹映画「幸せの黄色いハンカチ」で俳優として認められました。
 同時にその髪型もある程度は知られるようになっていたとは思いますが、「金八」先生で決定的に世間様に認知されることになったんじゃないかなと思います。


 長い髪を耳の後ろに挟むようにかきあげる仕草は、どう考えても女性の支持は得られないと思ったものでした(毎週放送されたおかげか、結局、みんな慣れましたw)が、当時のぼくの交友関係の一部は、金八先生の髪型に対して全く平気でありました。
 その「一部の交友関係」とは、日本の誇るロック・バンド「四人囃子」の大ファンだったミヤシタ君のことです。


 もともとフォークやロック系のミュージシャンはロング・ヘアが珍しくなかった(武田さんもフォーク・グループ「海援隊」のメンバー)ので、時代を先取り(笑)していたぼくらは、とうにそんな髪型には慣れっこになっていたのです。
 そして「四人囃子」の看板ギタリストであった森園勝敏氏も、ご多分にもれずというか、同じような髪型だったんですね。
 森園氏を信奉していたミヤシタ君の髪型は、武田・森園両氏とそっくり同じ。
 ついた渾名は、「キンパチ」、ではなく、なんとしたことか、「モリゾノ」だったんですね。


 懐かしく当時を思い出してしまいましたが
 英米のロックのエッセンスを貪欲に吸収しながら徐々にオリジナリティを形成しつつあった当時の日本のロック界のなかで、次世代のホープと目されてたバンドのひとつが「四人囃子」でした。


 ミヤシタ君たちの影響で初めて四人囃子のレコードを聴いた時、とっさに

 (フォーク+ビートルズ+プログレッシブ・ロック)× 日本

 という式が脳裏を横切っていったんです。
 末松康生の書く詞も含め、彼らのサウンドは非常に個性的だと思いました。


 森園氏のプレイは、ぼくたちロック小僧にとっては一種の崇拝の対象というか、尊敬の念を持って聴かれたいたように記憶しています。
 当時のぼくらの間で話題になる日本のロック・ギタリストといえば、竹田和夫、春日博文、鈴木茂、山本恭司、森園勝敏らが中心でしたから、ミヤシタ君は「モリゾノ~」と呼ばれるとどこか得意げな表情になったものでした。


 「四人囃子」の代表作といえば、なんといってもアルバム「一触即発」でしょう。
 タイトル・チューンの「一触即発」は、大きく分けて5つの部分から成り立っている、12分18秒の大作です。
 当然ミヤシタ君のいたバンドでもこの曲をレパートリーにしていました。
 イントロとエンディングで聴くことのできる森園氏のギター・ソロは、とにかくカッコ良かった。どこかほの暗く、ドライブ感満点で、とても気に入って何度も何度も繰り返し聴いたものです。そしていまだに飽きがこないのです。


 次作の「ゴールデン・ピクニックス」も大好きなアルバムです。
 この中に収録されている「泳ぐなネッシー」「レディ・ヴァイオレッタ」も、四人囃子が世に送り出した名曲にしてぼくのお気に入りなのです。


 森園氏はのち四人囃子を脱退、その後は「プリズム」「バーズ・アイ・ヴュー」に参加したのち、「四人囃子」の再結成に加わるなど、現在も日本のポピュラー・ミュージック界」の第一線で活躍中です。
 またドラマーの岡井大二氏は四人囃子以外にも、「PEGMO」や「東京おとぼけキャッツ」等にドラマーとして参加したほか、「L⇔R」や徳永英明のプロデュース、楽曲提供など、幅広く活動を続けています。



上段左から 岡井大二(drums)、森園勝敏(guitar, vocal)、中村真一(bass)
下段左から 佐久間正英(bass)、佐藤ミツル(guitar, vocal)、坂下秀実(keyboards)




コメント (2)
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