ヴァイオリニストとして有名な千住真理子さん。彼女の愛器はあの「ストラディヴァリウス」であるというのはよく知られていることだと思います。この本は千住家の様子を交えながら、彼女が「ストラディヴァリウス」を手にするまでのいきさつが書かれています。
hippocampiさんのブログの記事を読んで、この本を読んでみたくなりました。でも、ちょっとヒネクレた先入観もあったんです。
名器として名高いストラディヴァリウスを持っているということで、自分とは無縁のいわゆる「上流階級」の世界の話かもしれない、などと思ったりしていました。事実、千住家の長男は日本画家の博、次男は作曲家の明、長女はヴァイオリニストの真理子で、彼らは芸術家の三兄妹として有名だし、彼らの父・鎮雄氏(故人)は工学博士で、慶大工学部教授だった方です。
芸術関係を深く勉強するからにはそれ相応のゆとりがある家だろう、そしてさまざまな「苦労」があっても彼ら家族一族の力やお金で乗り越えてきたことも多いんじゃないか、などというシツレイなことを勝手に考えていたから、ぼくなどにはあまり参考にならないかもしれない、などと簡単に思っていた部分もあったんです、正直なところ。
それなりの練習は積んだだろうけれど、千住教授の娘さんで、美人だから世に出ることができた部分はあったかも、というイジワルな見方は、読み始めてすぐ消えました。
天才の名をほしいままにした真理子氏ではありますが、決して順風満帆な人生ではありませんでした。彼女の悩みは、演奏家のはしくれ(本当にはしくれです)のぼくにも起こりうることばかりで、決して別世界(上流社会)の話ではなかったのです。
真理子氏を指導した江藤俊哉氏の言葉が随所に出てきますが、それは実に厳しい言葉ばかり。しかしその言葉は、今の自分に欠けている所を厳しく突いてもいます。そういう言葉に出会っただけでもこの本を読んだ価値がありました。
美しい音を追求するからといって、音楽の世界に美しい心の持ち主ばかり集まっているわけではありません。その他の世界と同じくらい、いや、場合によってはそれ以上はるかに汚いエゴが渦巻いているんです。
演奏上の悩みは練習によって解決するほかはありませんが、自分を取り巻く環境についての悩みを解決するにはどうすればよいのでしょうか。自分自身が成長するほかはないんですね。そして、その「成長」も自分次第である、ということをこの本に改めて気づかせて貰いました。
練習は、すればそれだけの結果がついてきます。練習に限らず、人間は何かを行えば、それに応じた結果が得られます。だからこそ、行うべきことは行わねばならないんですね。
ぼくは、「人には『分』というものがあって、なにごとも分相応なのだ」という考え方だったのですが、読み進めているうちに、その考え方って「逃げかもしれない」と思い始めました。「分」を形作っているのは、他ならない自分自身ではないだろうか、ということに思い当たったんです。
本の中盤以降を占めているストラディバリウスとの邂逅譚も興味深く読みました。
もとはスイスの大富豪が所有していたそうです。その富豪は、「決して商人の手に渡してはならない」という遺言を残して亡くなりました。つまり、投機の対象にはせず、純粋な(音楽を愛する)ヴァイオリン奏者の手によって、現役の楽器として音楽を奏でてほしい、ということだったそうです。
「ストラディヴァリウスが所有者の手を離れる」という知らせは、ある楽器商によって真理子氏にもたらされたわけですが、それからのことは、楽器の方から真理子氏の方へ近寄って行ったとしか思えないような、不思議な話でした。
ついに真理子氏がストラディヴァリウスを手に入れる場面は、とても感動的でしたよ。
良い楽器は弾き手を選ぶといいます。ストラディバリウスが近寄ってきたとすれば、真理子氏がそれだけの苦しい鍛錬を続け、辛い経験を自力で乗り越え、人間的にも強く正しかったからではないだろうか、と思います。いや、そう思いたい。ぼくは、単なる不思議な話として片付けたくないのです。
印象に残る言葉にたくさん出会える本です。千住家の教育方針や価値観の素晴らしさに触れるだけでも勇気が湧いてきます。その中でひとつだけあげておきますね。三兄妹の父・千住鎮雄氏の言葉です。
「ハードルは自分にある。まず、それを越せる人間にならなくては、何をやってもダメなんだ」