箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

「思いやり」の落とし穴

2015年09月16日 19時39分46秒 | 教育・子育てあれこれ


「思いやり」いう言葉はたいへん響きがよく、保護者のみなさんも聞いたり、使ったりすることが多いのではないでしょうか。私たちが生活を送っていく上で「思いやり」のある人間関係をふくらませることは重要です。

学校の教職員が「思いやり」という言葉を学校の目標や学級の目標に使っている学校も箕面市内にあります。また、最近では行政・人権団体も「思いやり」を多用しています。

「思いやり」は、東北地方大震災以降、「絆」という言葉とともに、とくによく使われるようになった、と私は感じています。地震の直後、「思いは見えないけれど、思いやりは見える」というメッセージを、テレビで何度耳にしたことでしょうか。わたしは、そのころから「思いやり万能主義」(私の造語です)に違和感をもっていました。

私は「思いやり」を否定するのではありません。しかし、「思いやり」だけですべてがうまくいくとは思えません。それには二つの理由があります。

①どれだけ思いやろうとしても限界があるから。

「思いやり」は相手の立場に立って考える、相手の気持ちになって考えることだと思いますが、これは現実には難しいものです。「こうしたら相手は喜んでくれる」という「思いこみ」や「思いちがい」、ときには「思いあがり」が入り込むかもしれません。 

どれだけ大切に思いやっても、自分の視点から相手の思いや気持・心情を推し量る(おしはかる)だけでは、どうしてもすれちがいが起こります。

だからこそ、お互いの状況や気持ち・心情を、ケータイやスマホに頼るのではなく、実際に言葉を交わして確かめあうことが重要なのでしょう。

ですから私は常々、三中の子・教職員には、言葉にして相手の思いを聞き、言葉にして自分の思いを伝えることの大切さを訴えています。

言葉にして確かめ合うことで「思いやり」が人と人をつなぐ大切な橋渡しとして生きてくるのだと思います。

②社会や世の中には、思いやりだけで解決できない人権にかかわる問題があるから。

たとえば、貧困の問題。これはバブル経済崩壊後に急増した非正規雇用などにより、働いても、働いても収入が少なく、ひとり親家庭の場合、とくに貧困の連鎖が起こりやすいという、人間を大切にするためのセイフティネットが整備されていないという社会のしくみが生み出している問題です。

これは「思いやり」のような個人の心のありようでは解決できないのです。社会保障制度・福祉の充実や法の整備が必要です。

このような制度の充実、法の整備があってこそ、根本的な問題解決に迫ることができますし、そのうえで「思いやり」が生かされてくるのだと思います。