
教育とは、基本的な生活習慣をしつけること、子どもが人間関係を築くことができるように指導すること、立派な社会人にすること・・・。
いろいろな考えがあるでしょうが、一つの考えに、子どもの可能性を引き出し、それを伸ばすことが教育であると言えます。
かといって、可能性というのは人より著しく秀でたものとか、他者よりすごく優れた力というものではありません。
つまり、自分の子どもには、ほかの誰と比較したとしても優れた才能があることを可能性といっているのではありません。
将来、有名なピアニストになるとか、プロのスポーツ選手になるかもしれないという可能性を言っているのではありません、
可能性とは、この子がいま何かをできる力をもっていることです。
それは、人にはできないが、この子にできるものではないのです。他者と比べた力ではないのです。
他者と比べてしまうと、「この子にはできない」ばかりが浮かびあがります。
でも、比べずにこの子にできることをみると、無限の可能性があることに気づきます。
食べること、歩くことなど、当たり前のことをできることとしてみてみると、その子のもっている力の大きさを知ります。
赤ちゃんが、初めて一人で歩けるようになったときの誇らしげな姿を考えてみてください。
昨日までできなかったのに、今日できるようになったという見方をすると、それが自分の可能性として考えることができるようになります。
ここまで読んで、「なんだ、そんな普通のことができるようになること。それが可能性なのか。それが何になるの?」と感じている人もいるでしょう。
ところが、人は「わたしにはこれができる」と自覚したとき、「つぎはあれをやってみよう」という気持ちがはじめて芽生えるのです。
教育や子育ては、スーパーマン/ウーマンを育てるのではなく、その子の可能性を伸ばすことであり、日々の地道な取り組みに他なりません。