来年4月から小学校に入学する予定の子に、自治体が「就学時健診」を行うことが多い季節です。
私も、その健診のお手伝いとして就学を予定している年長さんの子に視力検査を行います。
保護者同伴なのですが、「ほら、よく見て」「まるがかけているところがあるでしょ。うえがかけているなら、指を上に出すの」と一生懸命に手助けをする親もなかにはいます。
子どもを思う方向にひっぱろうとするのです。「いい子」、「できる子」。それに成功した人が「いい親」と見なされるのです。
今までの日本社会では、子どもたちは親をはじめ、近所の人、地域の人など多くの人たちに囲まれて、もまれて育ちました。
いまほど子どもを育てる親の責任が大きくなかったのでした。
この子育て文化の時代を知っている人は、だんだん少なくなり、やがてはほとんどの人たちが知らない時代になっていくのだろうと思います。
多くの大人に囲まれて育った時代では、この子は誰に育てられたかは、あいまいで不明瞭でり、それが許された社会だったのです。
でも、いまは親と、あと少人数の大人が子どもを育てる時代で、この子は誰によって育てられたかが見えやすくなっています。
とくに親の育て方がうまい、へたであるが直接子どもに現れてしまうのです。
だから、親はある種の強迫観念をもつことがあります。
「ありがとう」やあいさつが言えない。この子の親は誰?となるのです。
だから、親はわが子を「うまく育てないといけない」と、一生懸命に子どもをいい方向に導くのです。
子どもは多くの人に囲まれて自然に育つのではなく、意図的に育てる存在になってしまったのです。
子どもは自分からはまだわからないことが多いから、親のわたしがちゃんと導いてやらないといけない。
でも、やりすぎはよくありません。子どもの心身の健全な発達に悪影響をあたえ、子どものやる気をそいでしまうことになると自重すべきです。
成長途上にある子どもにとって、停滞や失敗は成長への糧です。