わたしが小学校3年生のときのことです。
その学校ではヘチマを栽培していたのですが、ちょうど教室の窓から手がヘチマに届くところにありました。
休み時間にそのヘチマをボクシングのサンドバッグに見立てて、パンチを繰り出すいたずらをしていました。
それが担任の先生に見つかり、怒られげんこつを頭に食らいました。痛かったのを覚えています。
わたしは深く反省をしました。
もう50年以上前の話なのに、今でも鮮明にそのできごとは覚えています。
その一方で、忘れたできごとはかぞえきれないほどたくさんあるのです。
覚えているのは、たいてい「痛かった」「うれしかった」「びっくりした」「こわかった」「はずかしかった」などの何らかの感情と結びついたできごとです。
ここから思うことがあります。
いつまでも人の心に残り、その人の人格を形づくるのは、心や感情が動く体験や感覚であるということです。
心で感じたことは、いつまでも残るのです。
その意味で、思うことが二つあります。
一つは、学校教育の中では、子どもの心を動かせる場面を用意する必要があるということです。
授業の中で、教材に触れ感銘を受けるとか、学校行事でうれしかったり、楽しかったりする経験をすると、その子の人格形成にまで好ましい影響を及ぼすことになります。
もう一つ思うのは、教師からの理不尽な体罰は、子どもの中に「痛かった」「怖かった」などの感情をいつまでも残していくことになるということです。その痛みは一生忘れない記憶として残るのです。
もう一つ思うのは、教師からの理不尽な体罰は、子どもの中に「痛かった」「怖かった」などの感情をいつまでも残していくことになるということです。その痛みは一生忘れない記憶として残るのです。