新自由主義が浸透してきて、勝つか負けるかの競争に人びとは駆り立てられます。
競争に勝った人が「幸せ」になり、負けた人が不幸せになっても仕方がないと考える「絶望社会」になりつつあります。
将来に希望を持ちにくい、格差による貧困がはびこる社会では、絶望した人が自分の命を絶つときに、他者を巻き込もうとすることがあります。
生活苦で食べ物にも事欠くので、犯罪を起こしたら刑務所に入れて食べることができる。
そんな事件が起こるようになるかもしれません。
また、戦争のニュースを聞いて、人のいのちが失われてはいけないと思うはずなのに、それを感じる感覚や感性が市民の間で、鈍くなっていく危機感をもちます。
理不尽な暴力が起き、人びとの平衡感覚や倫理観が弱くなる心配をします。
人のいのちが失われる重大さについて、常識を壊さない叡智が問われています。
もしこのような社会に近づいていくなら、将来に希望がもつことが見通せた時代の学校教育とちがい、人のいのちの尊厳を深く理解する学校教育の重要性が、ますます増していきます。