
真実を見極める学力をもつ。
この力は、いまの時代にあっては、ほんとうに必要になります。
メディアは真実を報道する働きがあります。
新聞はその代表的なものです。
その点で、新聞は真実を、私たちに伝えてくれます。
しかし、書かれていることを鵜呑みにはできません。
たしかに、新聞はデタラメな記事を書いたり、真実をねじ曲げた報道はしません。
しかし、ここには落とし穴があります。
新聞といえど、取材する記者の恣意的な思いが入ります。
この問題性をグローアップしたいと思えば、それに適合する、論調を裏付ける事実だけをあつめ、「こんなデータがありました」とか「ここにも、こんな出来事がありました」。
だから、こうなのです。
という報道の仕方になりがちです。
私が以前に、はじめての沖縄修学旅行の取材を受けたときのことです。
見出しに「(アメリカの)戦闘機を見て、かっこいいと思ってもいい」と書かれました。
しかし、私が記者に伝えたのは、「戦闘機を見て、最初はかっこいいと思う生徒がいてもいい。
でも、修学旅行を通して、豊かな自然、温かい人の人情に触れ、郷土をこよなく愛する沖縄の人の思いに触れた生徒たちには、基地の問題性を意識して、平和を愛する気持ちをもち大阪へ帰ってくることを期待しています」
このように話したのに、その話はほとんど割愛され、「戦闘機を見てかっこいいと思ってもいい」とという見出しがついた記事になりました。
センセーショナルな記事にしたいという記者の恣意的な操作が働いたのです。
このように、たくさんの面からみた事実を挙げ、公平に、客観的にみた記事とならないことが、大手の新聞にもあります。
まして、いまやインターネット上には、事実でない書き込みが溢れています。
悪意のあるような書き込みもあります。
誤った情報ばかりを取り入れると、真実が隠れてしまいます。
情報化時代を生きる中学生には、こんな意見もある。でも、別の角度からみれば、まったくちがう考えかたもできる。
ものごとを多面的にみて、全体を俯瞰して、公平にみて、私はこう考えるという真実を見極める学力を身につけなければならないのです。
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