いまや三世代同居の家庭の割合はおよそ1割です。
ここ30年間で5分の1にまで減りました。
日本経済で、バブル後の長期経済低迷の期間を「失われた30年」と一般に言いますが、じつは三世代同居という家族形態も30年の間に失われたのです。
これからの将来、高齢者だけの世帯が増えるのは確実です。
老夫婦で住んでいたとしても、どちらか一方が先に亡くなります。いずれは一人になることに備えなければなりません。
そんなとき、周囲の手助けがなく、孤立してしまうことだけは避けたいものです。
家の中で倒れて骨折しても、誰にも気づかれないような事態に陥らないようにするには、平素からの人との交流が必要になります。
また、高齢者が健康を維持していくためには、人との交流が大切になります。
ただし、交流とはいえ、たんに群れるだけでは充実感に乏しいでしょう。
かといって、現役世代のときのような好まない活動でもしなければならないのではないし、イヤな人と会う必要もないのであり、本人にとって意味のある交流ができればいいのです。
65歳の人はあと何年ほど自立生活ができるかといえば、85歳ぐらいまでが平均と言われています。
20年間あります。行き当たりばったりで暮らすには長過ぎます。
「健康で暮らしたい」。
これは多くの高齢者の願いであり、衰えや病気がどうしても気になります。
でも、たとえば高齢者が書く手記や雑誌への投稿などを読んでいると、若い人にはけっして思い浮かばないような言い回しや言葉の使い方に出くわし、その発想や含蓄のある言葉には驚くことがあります。
五木寛之さんは老いとは確かに体力の衰えなどはあるが、登った山をゆったりと降りていく「成熟」の期間であると言っています。
「山を登るときにはけっして気がつかなかった遠くに見える海の遠景、足元にひっそりと咲く高山植物の花などに足を止め、鑑賞する余裕ある時間をもてるのが山を下りるときである」(『下山の思想』)と述べておられます。
高齢期は、積み重ねてきた知識や技能、経験などを最終仕上げをする時期であり、そこは「有終の美を飾る」人生の最後の段階だと言えます。
こう考えると、なんだか心が軽やかになってきます。
どうも少子高齢化とか、人口減、孤独死、独居老人などの言葉が乱れ飛び、マイナスイメージや重たさがつきまとう高齢者問題です。
中学生のような若い子や、働き盛りの現役世代が、「高齢者問題」に好ましい印象やイメージを持つことができるよう教育・啓発することも大切です。
自分たちも何十年か先には、高齢者になるのですから。
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