大阪府では、地元の公立中学校志向が以前から強い傾向があり、さほど顕在化していませんが、全国的には中学受験がいま過熱しています。
この中学受験は、小学生の頃から学習塾に通い、私立の有名中学校をめざす受験です。
しかし、その一方では追い詰められた子どもたちが心のSOSを発する歪みが出ています。
受験が迫ってきて、学校や塾に行かなくなるケースが散見されます。
そんな場合、親がよくいうことばがあります。
「中学受験するかどうかは、本人に任せています」
「受験したいと、本人が言っています」
そのように親は、無理強いをしていないことをわかってほしいという気持ちを伝えようとするのです。
「あなたのためよ」
親は子どもに幼いときからそう言い聞かせて、親の願いをすり込んでいることに気がついていないこともあります。
子どもは親からほめられればうれしいものです。
学習して成績を上げるとほめられるため、子どもは「続けたい」と言います。
でも無理を続ければ、張りつめた糸が切れるようにいずれ限界がきます。
「子どものため」という親心が子どもを追い詰めていくのです。
また、中学受験のばあ、子どもの「伴走者」は母親であるケースが多くあります。
「子どもの失敗は、わたしの失敗」と母親が子どもを守り、「子どもの成績向上は、(「私が」)積み上げてきた成果」と無意識に思っていることに気がついていないことがあるのです。
教育関係者としてわたしが考えるのは、子育てに成果を設けないことが大事だということです。
つまり「こうあるべきだ」と考えないことです。「こうあるべき」があると、「早く、もっと」と子どもにせき立てることになります。
だいたい、「こうあるべきだ」と思っても、そうならないのが子どもというものです。
それよりも、子ども自身が自分で考え、自分でがんばって、〜ができるようになった、親はそれを応援してくれたと実感していれば十分なのです。
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