いま、街から書店(本屋)がなくなっています。
かつての本屋は時間を過ごすことができる日常的な場所でもありました。
ふと本屋にはいり、本棚を眺めたりして、ときどき「買おうか」と思う本に出会うことがありました。
でも、今の時代は全国的に見て、本屋が一軒もない市町村が増えてきています。
つまり、本屋へ行くことは日常の行動ではなくなり、本を眺める機会は減ってしまったのです。
街なかの本屋の経営が採算がとれなくなった大きな理由の一つは、インターネット通販が普及したからです。
インターネットなら在庫まで確かめることができ、手軽に注文できます。配達されるのもたいへん早いので、本屋へ行かなくてもすむのです。
かつては、欲しい本が本屋になければ、取り寄せてもらうのでしたが、1週間以上かかることがふつうでした。
インターネットによる本の通販は、その手軽さ、品揃え、スピードの点で、本屋はとうてい太刀打ちできないのです。
このように便利ずくめのインターネット書籍通販ですが、そうなると今の時代、本屋に価値はないのでしょうか。
私はそうは思いません。
インターネットの書籍通販では、自分の購入履歴が反映され、同じ傾向の本が多く紹介されます。
そして、さまざまなジャンルの本に触れる機会がなくなるのです。
しかし、本選びは、偶然のなかから、良書に出会うことも多いのです。
本屋の本棚を眺めていると、その「偶然」にめぐりあうチャンスがあるのです。その本が自分にとっての新しい世界を開いてくれることもあります。
この本屋の人が本にめぐりあわせる役割を見直して、いまカフェを併設して好きなだけ過ごせる本屋が登場しています。
最新では、採算が合うように、1500円程度の入場料をとる店ができています。関西ではアートホテル大阪ベイタワー内にあります。
入場料を払ってでも、立ち寄る人は多く、3~4時間を過ごす、そして3分の1の人は本を購入して帰ってくれるそうです。
大げさかもしれませんが、ふと手に取った本がその人の生き方に大きな影響を与えることもあります。
人がふと見つける「偶然」を大切にしたいと思います。
本屋さんに行くときには、極力1人で、時間をかけて選ぶのが大好きだったことを、思い出しました。
なんだか、懐しく、ほっこりしました。ありがとうございます✨
私は中学校での国語の教科書の小説でさえ、影響を受けたと思っています。芥川龍之介の「トロッコ」は自分の幼い頃の体験と重なり、良平の気持ちが痛いほど伝わってきました。太宰治の「走れメロス」では人を大切にするとはどういうことかを深く考えさせられました。
良書は生き方に影響をあたえることもあると思います。本に出会うのはたんなる偶然かもしれない。でも生き方を考えさせる本との出会いは、その人にとっての必然だと思います。