箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

あらたな「自助」を求めて

2020年12月22日 08時32分00秒 | 教育・子育てあれこれ

このコロナ禍のなか、失業するリスクが増しています。

誰にでも病気になるとか、ケガをするリスクがあります。

誰にでも高齢で働けなくなるリスクがあります。

このようなリスクに出会った人を支えるために、雇用保険、医療保険、年金制度などがあります。

そこで、みんなが保険料を納め、支え合う「共助」があります。

そして、共助でも救えない場合のために、最後の砦として生活保護という「公助」があるのです。

日本は、このような段階的で重層的なセーフティネットを整備してきたのが高度経済成長期でした。

この成長期には、「一億総中流」といわれた分厚い中間層があり、税金や保険料を支払ってくれ、「自助」・「共助」・「公助」というシステムが機能していたのでした。

この観点からみると、「自助」→「共助」→「公助」という順序は、そのとおりであると言えるのではないでしょうか。

中学校の授業でも、社会保障制度を学習するとき、このしくみと順序を教えています。

ただ、高度経済成長期の「自助」は、人が家族、親族、職場、地域での人間関係で支えられて、自助努力ができたのです。

そもそも、何でも自分でやり、「人の助けを借りずに生きていくこと」が「自助」ではなく、周りの人間関係に助けられ、「自助」が成立していたのです。

しかし、いまは核家族が当然のようになり、シングルで暮らす人も増えています。
離婚家庭も増えています。
一人で暮らす人が増えています。

また、終身雇用制・年功序列制が崩れて、非正規雇用が増えました。正社員でも所得は上がらず、子育てや親の介護に悩む人も少なくありません。
地域に帰っても、かつてのようなつながりが薄くなって久しいのです。

他者から支えてもらうことは期待できません。一人でがんばるしかなくなっているのです。

このような状況で、突然「まず、自助だ(努力しなさい)」と言われると、人びとは突き放され感をもったのでないでしょうか。

つまり、「いっしょに」という併走感を、人びとは感じることができなかったと思うのです。

いま、頼るのはふたたび、地域であり、NPO等の民間ボランティアでないかと、私は思います。

かといって、昭和時代にあったような地域の人との強いつながり(束縛する関係、「絆」)に戻すのではありません。

地域で人と人がつながる「ゆるやかな人間関係」が好ましいと思います。

たとえば、いま、地域では新たな動きが起こっています。

元気な60歳代の高齢者が後期高齢者の生活を支援する活動

保育園の迎えを助け合う活動

ホームレスの人や生活するのが困難な人を支援するNPO活動・・・。

このような併走型支援を受けながら、「いっしょに生きていこうよ」と「自助」を支え直す支援活動が、今の時代に望ましく、ふさわしいのだと考えます。



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