いま、全国の各自治体では、教員採用試験が始まった頃です。
大学生の場合、4回生のこの時期に一次試験、そして夏の二次試験を受験して、合否が秋にわかります。
これから教員をめざす大学生の人によく尋ねます。
「なぜ教員になりたいのですか」。
すると、
「子どもが好きだから」、
「教えるのが好きだから」、
「恩師の先生にあこがれて」・・・。
この人たちの思いは、「まっすぐ」です。そんなまっすぐな思いをもつ人には、こちらも精一杯応えたい、力になりたいと思います。
でも、これだけを動機に、教師になりたいのなら、このままで大丈夫だろうかと、私は考えてしまいます。
この3つの答え方に共通するのは、主体が「わたしは」だからです。
教職を志す動機が「自分にとっては」になっているのです。これでは自己完結してしまうのです。
教職とは、そのような仕事ではありません。「子どもをこう育てたい」という視点こそが、教員には求められるのです。
現場の若い教員に多いですが、自分の思いだけで指導をおし進めようとして、つまずく教員がいます。
子どもというものは、一人ひとり家庭環境も生活環境も異なるところで生きています。人格も性格もちがいます。たいてい、教師が思うようにはいきません。
子どもが好きなのは教師なら当然です。「子どもが好きだから」は必要条件であり、十分条件ではありません。
大切なのは、「子どもが好きで、こんな子どもに育てたい」「こんな人になってほしい」という、自分としての明確な教育観を言えなければなりません。
そんな熱い思いと志をもってほしいのです。
教師の言葉と生き方は、子どもにとって最大の教育となります。
そして、教師が常に学び続ける姿勢をもち、学校という組織の一員であるという自覚を高め、教育実践に励んでほしいと思います。
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