科学や医学が発達して、現在では遺伝子検査の
実用化が可能になってきました。
10万円弱の費用で、学習とか運動の素質、肌の特性や睡眠の質、遺伝子変異までさまざまに調べることができるそうです。
その結果をもって、親はこんなふうに育てていけばいいという指針が得られるのです。
この子には、この習いごとをさせようとなるのです。
わたしは、それがいいのだろうかと思います。
遺伝子で子どもの一生がすべてきまるのではないのに、遺伝子がこうだからと人生を固定化していくことに危惧を覚えます。
教育関係者としては、学校でどんな人に出会うかという機会、またクラスなどの環境面の教育力が子どもの成長に及ぼす影響力を思うのです。
ただ、親がこの遺伝子検査になびくとすれば、その気持ちはわかります。
親なら、子どもの才能をみてそれを最大に伸ばしたいと願うのは当然です。
失敗させたくないという願いは、周りの子に遅れをとらせたくないという思いと重なり、遺伝子検査に頼ろうとする親がいても不思議ではないでしょう。
ただ、教育の主人公は子どもです。子どもがやりたいこと、やって楽しいと思うことができることがいちばん大切です。
それはときとして、遺伝子検査から見えた才能と違うものかもしれません。
それでも、子どもが夢中になって楽しむのであれば、飽きることなく長く続きます。
教育の可能性とは、そのようなものだと思います。
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