森喜朗東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長の発言が波紋を広げています。
2月3日にJOCの臨時評議員会で、「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかります」と発言したとのことです。
これについて、女性蔑視につながる問題発言としてメディアがとりあげ、謝罪会見が開かれました。
その後の森会長の釈明が、謝罪になっていないとか、辞任の意向を問われると逆ギレした、とニュースやSNS上で非難されています。
この会見で森会長は「女性を蔑視するつもりはまったくなかった」と釈明されています。
これは、政治家や官僚が問題発言をしたとき、「差別するつもりはなかった」としばしば釈明しますが、差別するつもりがないのは当たり前です。
差別するつもりで意識的に発言するなど、たいていは誰もしません。
そうではなく、言った発言そのものに問題性があるから、まわりがとりあげるのです。
ただし、「この発言は問題だ」というのは、多くの人が感覚的に「それを言ったらだめだろう」とらえて言っているように、私は感じます。
このケースの場合、「なぜ女性蔑視なのか」を理論的に述べている人はあまりいないのではないでしょうか。
そもそも、感覚とはあやふやなものです。
感覚だけでは「それは言ったらダメだから言わない」で終わってしまい、また別の問題が起こるかもしれません。
じっさい、森会長のような考えをしている人は、世間にはほかにもいると思います。
たとえば男性同士の会話で、「女は・・・だからなあ」。それに対して「そう、そう」というやりとり。こんなことはあるのでないでしょうか。
また事実、森会長のこの発言のあと、会場では笑いが起きたと報道されています。
これが同じように考えている人は、他にもいることです。
こんな現状があることをふまえたとき、「心の中ではそう思っていても、公式の場でそれを言えば具合悪いだろう。あの人、下手をしたな。自分も言わないよう気をつけよう」となってしまいます。
これでは同じことがまた起こってしまいます。
こんな現状があることをふまえたとき、「心の中ではそう思っていても、公式の場でそれを言えば具合悪いだろう。あの人、下手をしたな。自分も言わないよう気をつけよう」となってしまいます。
これでは同じことがまた起こってしまいます。
事実、この間、たくさんの政治家や官僚が心の中で思っていることを公式の場で発言して問題になり、謝罪しています。
最近の「女性は生産性がないから」などの発言もそれにあたります。
だから、今回の森会長の発言を感覚的に「女性蔑視」だと問題にするのではなく、ちゃんと理論立てて、問題性を指摘する必要があるのです。
次のように説明すればどうでしょうか。
「女性は話し好きなところがあり、『井戸端会議』と言われるように、女性同士になると話が長くなることは、データや統計をとればたしかにあるかもしれない。
だから、今回の森会長の発言を感覚的に「女性蔑視」だと問題にするのではなく、ちゃんと理論立てて、問題性を指摘する必要があるのです。
次のように説明すればどうでしょうか。
「女性は話し好きなところがあり、『井戸端会議』と言われるように、女性同士になると話が長くなることは、データや統計をとればたしかにあるかもしれない。
しかし、女性のなかにも話の短い人もいれば、話の長い人もいる。(このことは男性でも同様である。)
それなのに、『女性は』とひとくくりにして女性がみんなそうであるかのようにきめつけて言うのはジェンダーバイアスによる偏見である。だから今回の発言には、問題があるのです。」
「その発言は問題ですよ」という場合、感覚的に「ダメです」と反応する人が多いのですが、なぜ問題なのかを理論的に説明して、人権を守るために意識して発言者に説明できる人は少ないのです。
「その発言は問題ですよ」という場合、感覚的に「ダメです」と反応する人が多いのですが、なぜ問題なのかを理論的に説明して、人権を守るために意識して発言者に説明できる人は少ないのです。
わたしがもし中学校でこの問題をとりあげ、生徒たちに考えさせるなら、ちゃんと生徒が問題性を説明できるようになることをねらいにして授業をします。
人権尊重に関しては、「感覚」ももちろん大切ですが、「意識」も必要です。
誤解を恐れずに言うなら、私も女性の話は長いことが多いと思います。
ただし、会議などでは女性は細かい点まで気が回ることが多く、話を詰めることになるので、長くなる場合はあるのかもしれません。また、おしゃべりも好きですし。
もし誰かがその時間を測り統計をとると
たしかに、女性の方が長いのかもしれません。しかし、個人差があることを考慮せず、「女性はみんな話が長い、おしゃべりだ」と言うのは、きめつけであり、偏見になるのだと考えています。
ご本人はあおることになるとは、思っていなかったのでしょう。ふだん女性の会議は長いと思っていて、そのまま発言したのかも。
私も中学生の学級担任をしていている若い頃、4月の学級開きのとき、クラス全員分の教科書を倉庫まで生徒に取りにいかせました。そのとき、男子ばかり10名以上を選びました。そのときの私には「男子は女子より力もち」という固定観念しかなかったのです。
でも、女子の中にも力もちの子はいます。それを「女子は力がない」と決めつけていた自分を振り返ります。
その後、男女共生の教育を実践して、自分のきめつけに気がついたという経験をしているので、ブログの内容を書いたのです。
今回の場合、問題の発言者はそのような学びや研修をせず現在にいたる人生を過ごしてこられたのかもしれません。ふだん思っていることを口にしたら、周りから叩かれた。言ったらダメなことだったのだと、今思っておられるのでないかと考えています。
このようないきさつであるのでないかと、私は考えています。
私は黙って聞く方なので、
「○○さんもなんかしゃべりなよ」と言われたことがあります。
手話講習会に通っていますが、
まあおしゃべりが多くて。。。
手話は二の次って感じです。
幸い去年はコロナで中止になりました笑
仰るのかなぁ…って、、、
私は女性なんですけど、怒りとか
悲しみより疑問がデカいです(?_?)