わたしは大阪北部こ自然豊かな田舎で生まれ、田舎で育ち、山に囲まれたふるさとで子ども時代を過ごしました。
夕方になると、夕焼けが「山の端いと近うなりたるに、からすの寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあわれなり」(「枕草子」)の世界を体感しました。
この原体験をもち、中学生で清少納言の古典随筆『枕草子』を学習したとき、作品と自分の体験が重なり、より深くその「あわれ」の世界を理解したのでした。
その点で、国語の授業で、いまの自然体験の少ない中学生が古典や小説にふれるとき、どれほど深く、その作品の描く世界をイメージできるかが心もとない思いがします。
じっさい、わたしの家の周りにはカラスが多く住んでいました。(いまも同じふるさとに住んでいます。)
「カー・カー」と鳴くその声は、「ああ、もうすぐ日が沈む」という牧歌的な響きをわたしに植え付けたのでした。
この原体験のカラスは、マイナス的なものではなかったのです。
一方、カラスを不吉な鳥として捉える体験もしました。
お盆(関西では8月中旬)のころには、おばあちゃんがナスビを輪切りしたものに、お線香を三本ほど立て、家の周りのいくつかの箇所に置きます。その周りの地面にお茶をかけるお盆の風習がありました。
私は、それについて回っていたのでしたが、毎年おばあちゃんが聞かせる話がありました。
「むかし、こうやってお盆にやかんのお茶をもって回っていると、ある年のお盆の頃、頭の上で、カー・カーとそれはうるさくカラスが何度も鳴くことがあってな。なんでこんなに鳴くのだろうと思っていると、まもなくして親戚の人が病気で亡くなった・・・」。
この話を毎年聞きました。そういう意味では、カラスは不吉なことを告げるマイナスイメージの鳥として、私の脳裏に焼き付いていきました。
きわめつけは、友だちの家へ遊びに行ったときです。その家は外に鳥かごが出してあり、そのかごの中にカラスを一羽飼っていたのでした。「えー、カラスを飼っている!」と驚きました。
真っ黒な羽毛で、太いくちばしで、「カラスを飼う」という行為そのもの、わたしは不気味で嫌な印象を持ち、カラスに対するマイナスイメージを増幅させたのでした。
最近では、都会でも生ゴミ改修前に道に置いてあるビニール袋を突っついて、中身を散乱させているのを見ます。
おそらく、世間ではカラスを害鳥と考える人も少なくはないでしょう。
ただ、わたしは自身の経験から、不吉な知らせというよりは、大きな自然災害が多発するようになった今日、カラスは人間が人工的に作り出した「都市」の限界や破綻をいち早く察知し知らせる予言者的な鳥かもしれないと思います。
ですから、カラスそのものは不吉な鳥ではなく、飛んでいるのを遠くから眺める鳥として、夕焼けに映える鳥として、山に寝どころをかまえる鳥として、カラスはわたしのなかで、いまも生きています。
人は、自分の体験が文学作品と重なるとき、その作品は鮮やかに色づき、輝きを増し、人の知的好奇心を高めるのです。
この原体験のカラスは、マイナス的なものではなかったのです。
一方、カラスを不吉な鳥として捉える体験もしました。
お盆(関西では8月中旬)のころには、おばあちゃんがナスビを輪切りしたものに、お線香を三本ほど立て、家の周りのいくつかの箇所に置きます。その周りの地面にお茶をかけるお盆の風習がありました。
私は、それについて回っていたのでしたが、毎年おばあちゃんが聞かせる話がありました。
「むかし、こうやってお盆にやかんのお茶をもって回っていると、ある年のお盆の頃、頭の上で、カー・カーとそれはうるさくカラスが何度も鳴くことがあってな。なんでこんなに鳴くのだろうと思っていると、まもなくして親戚の人が病気で亡くなった・・・」。
この話を毎年聞きました。そういう意味では、カラスは不吉なことを告げるマイナスイメージの鳥として、私の脳裏に焼き付いていきました。
きわめつけは、友だちの家へ遊びに行ったときです。その家は外に鳥かごが出してあり、そのかごの中にカラスを一羽飼っていたのでした。「えー、カラスを飼っている!」と驚きました。
真っ黒な羽毛で、太いくちばしで、「カラスを飼う」という行為そのもの、わたしは不気味で嫌な印象を持ち、カラスに対するマイナスイメージを増幅させたのでした。
最近では、都会でも生ゴミ改修前に道に置いてあるビニール袋を突っついて、中身を散乱させているのを見ます。
おそらく、世間ではカラスを害鳥と考える人も少なくはないでしょう。
ただ、わたしは自身の経験から、不吉な知らせというよりは、大きな自然災害が多発するようになった今日、カラスは人間が人工的に作り出した「都市」の限界や破綻をいち早く察知し知らせる予言者的な鳥かもしれないと思います。
ですから、カラスそのものは不吉な鳥ではなく、飛んでいるのを遠くから眺める鳥として、夕焼けに映える鳥として、山に寝どころをかまえる鳥として、カラスはわたしのなかで、いまも生きています。
人は、自分の体験が文学作品と重なるとき、その作品は鮮やかに色づき、輝きを増し、人の知的好奇心を高めるのです。
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