わたしは高校3年の夏、友だちと徳島県の海部町(いまは海陽町)という町に泊まりに行きました。友だちのお父さんのふるさとでした。
徳島市内からJRに乗り、その後かなりの山あいに入っていきました。
家の前には海部川という、水が澄みきったきれいな深い川が流れていました。
水深は深いところで3メートルはゆうに超えていました。川底に大きな鮎が泳いでいました。
この町は江戸時代は材木の集積地で、移り住む人が昔から多くいました。
という点で、海部町は日本古来の農村型の地縁結合型のコミュニティではないという点で他の地域とは異なって発展してきました。
わたしは、子どもの頃は地域にまだ「村落共同体」的な特徴が残っていました。相互扶助がありがたい反面、プライベートにも入り込むので煩わしくもありました。
ところが、海部町の近所づきあいは、常日頃から生活を支え合うような関係ではなく、もっとゆるやかなつながりです。
その海部町が突出して「自殺率の低い町」として、注目されています。
ひょっとすれば、「絆」に代表されるような人間関係の縛りがゆるいコミュニティほど、自殺に向かう人は少ないのかもしれません。
いまの中学校の生徒の状況を見れば納得がいきます。
○年○組という学級は、1年間同じメンバーで、人間関係が濃くなると同調圧力がはたらきやすいのが今の集団の特徴です。
みんなとちがった言動がとれないというしばりがつよく、自分だけちがったことをすると仲間はずれにされ、孤立することもあります。
もちろん、そのような集団を適正で教育効果の高い集団に成長させていくのが、学級担任の役割です。
ただ、今の時代は人を孤立させない「ゆるやかな人間関係」でつながり合うのがいいのです。
東北地震以降よくいわれるようになった「絆」は響きのいい言葉ですが、つながりを生み出す反面、メンバーをしばる側面があるのです。
いつも「同じ」行動・活動に従事するのではなく、この活動ではこの人とつながり助け合うが、別の活動ではまた別の人とつながっているような人間関係の方が望ましいのです。
お互いを拘束する強いつながりは生きづらさを生み出し、つながりが強くなるほど他から入ってくる人をはじき出すことになり、絆の中に入れない人は孤立するとういう傾向があります。
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