いまふりかえってみると、2010年代という10年という期間は、日本にとって大きな変化の時代だったと思います。
経済力は下がりました。
国際競争力をもつ商品は開発できませんでした。
科学技術を駆使したイノベーションはありませんでした。
学術的な研究を深め、世界に発信することも芳しくありませんでした。
ジェンダーフリーにはほど遠い遅れた国の実態が明らかになりました。
報道の不自由さが国際比較により顕在化しました。
いわゆる先進国といわれる国の中で、日本のさまざまな遅れがとりあげられることが多かったように思います。
つまり、日本という国の力は弱体化した10年間だったということです。
また人びとの言語環境が悪化しました。
自分が正しい。お前が間違っている。
自分に反対する者や反論するものは敵である。
イライラして、自分と合わない人は容赦なく攻撃の対象とする。新型コロナウイルス対策で「自粛」しない人には容赦ない攻撃の刃が向けられます。
そういう攻撃的な話し方をする人が増えたように思います。
メディアでは、本来はシロともクロともいえないグレーゾーンがある問題でも、「これはシロ」とか「それはクロ」と明快に結論づける評論をする人が人気を博します。
そのように、言語環境が悪化してきて、対話する回路が切断されているのが、今の時代の最大の問題点だと、わたしは思います。
でも、人間が人間たるゆえんは、どちらが正しいのかわからない人に、情理を働かせて話しかけ説得するなかで相手は納得します。
これが民主主義での言語環境であるはずです。
学校教育の関係者は、言葉の大切さを国語の授業をはじめとした教育活動全体を通して、児童生徒に伝えてきてます。
豊かな言語環境を発展させたいと願っているからです。
あまりにも貧しい言葉の使い方は、結局深く傷つく人びとを生み出し、みんなが分断され、つらい思いをするのです。
その点を今一度考え直し、学校教育では豊かな言語環境を醸成していきたいと思います。
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