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箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

平和のとりでを築く

2022年08月16日 07時31分00秒 | 教育・子育てあれこれ

昨日は終戦記念日でした。

日本で第二次世界大戦が終結した日で、今年は戦後77年になります。

ユネスコ憲章の前文にこんな言葉があります。

Since wars begin in the minds of men, it is in the minds of men that the defences of peace must be constructed;

「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければなければならない」。

人の心の中に平和を願うとりでを築くためには、教育が果たす役割には大きなものがあります。

現在の国際情勢は、けっして平和とは言えない状況にあります。

戦争がないのが平和だと捉えられますが、平和とはすべての人びとが安心して、安全に日々暮らすことができるのが平和であるともいえます。



悩むのはよいこと

2022年08月15日 10時55分00秒 | 教育・子育てあれこれ
子どもも大人も、生活したり、生きていくのに悩みはつきないものです。

もっと勉強ができるようになりたい。

サッカー部でレギュラー選手になりたい。

もっと収入を増やしたい。

なぜうまく話せないのか。もっと話がうまくなりたい。

ほんとうに、人の悩みはつきません。

悩まないで暮らせたらどんなにいいだろうか。

中学生も同じです。

とくに思春期の子は悩むことが多いものです。

だだ、そんなとき教師ができることは、悩む生徒が自分で納得して決めるようサポートすることです。

「こういう方法があるよ」

「いつでもいいから、相談してください」と声をかけたら、ひたすら待つことに徹することと思います。

あくまで決めるのは本人なのです。



そもそも、悩んでいる人は、悩まなくてもいいようになりたいと思っていることが多いのではないでしょうか。

そして、悩むことはよいことでないと考えている人が多いのです。

しかし、考えようによっては、裏返しで悩むことはよくなりたいと欲しているのだから、その点では前向きな意識や態度なのです。

はじめから自分は完全、パーフェクトと考えている人は、もともと悩まないのですから。

悩みがあるから、人は変化、成長していくのです。

私は高校生のとき、授業中に指名され発表すると、顔が真っ赤になり赤面するのが悩みの種でした。

それが、教師になり生徒の前で話すことになり、校長の時には全校生徒600人の前で何度も話しました。

もうこの段階では、緊張するどころか、対面する若い生徒たちのエネルギーを吸収して自分がみるみる元気になるのを自覚するほどでした。

これほど極端ではないにしても、人は以前に悩んでいたことに、今も同程度に苦しんでいるでしょうか。

また、人は20年前に悩んでいたしても、何に悩んでいたか現在思い出せない場合もあるのではないでしょうか。

だから悩みはいつのまにか少しずつ変化していたり、消えていたりするのです。

つまり、人はそのときどきで問題を解決していたり、境遇や状況を変化させ、成長しているのです。

このように考えると、悩みは人を成長させる糧になると言えるのです。

今の時代、結果がすべてととらえる成果主義で覆われています。

この状況下では、人は自分を追い込み、自分を他者と比べて、悩むことも増えてきます。

でも、悩んでも、なんとかやっている自分を自己評価すればいいと思います。






地域へ移行したら、報酬が必要 中学部活

2022年08月14日 13時09分00秒 | 教育・子育てあれこれ
このブログでは、中学校の部活動の地域への移行を何度かとりあけています。

そこでは、地域の移行に関わっていくつかの課題があり、一つは土日の活動を指導してくれる人が確保できるかです。

もう一つは自治体がその事業を運営していく財政的な問題です。

そこで、今回は財政的な問題をもう少し掘り下げて考えます。

そもそも、中学校の部活動は、教育課程には含まれてはいないが、「教育活動の一環」として、学校の教員のほぼ無償の勤務により長年にわたり維持されてきたのです。

ほぼ無償というのは、平日の部活指導には勤務時間が過ぎても、時間外手当はゼロです。

土日の部活指導には、わずかな手当が時間に応じて出ます。

つまり、今までは、日本の中学生のスポーツ技術の向上やスポーツに親しむ機会提供は、中学校の教員(顧問)のボランティア的・「献身的」なほぼ無償の活動で支えられていたのです。

「費用・手当」を低く抑えることで、青少年に運動に親しむ時間を保障し、そこからオリンピックに出る選手も育つこともある、「安上がり」の育成方法だったのです。

しかし、今回の地域移行で、地域のスポーツクラブ等にお願いするのなら、これまでの報酬の水準では制度が成り立ちません。

地域移行を先行実施している自治体の場合、いま土日の指導には、コーチに1000円から2000円の時給が支払われています。

そうすると、クラブに何人の生徒が来るかにもよりますが、月にすると15万円程度になるのではないでしょうか。

これでは低すぎて、コーチのなり手が確保できないかもしれません。

地域への移行が言われる前から、たとえば大阪府では「外部コーチ」の制度がありました。

これは、学校の教員が顧問を務め指導して、責任をもつ、試合を引率するという確固たる旧来の制度の枠組みの中で、専門の外部コーチが生徒の技術向上のため、お手伝いで部活に来てくれるというものでした。

そこでは、ボランティア活動的な意味合いでしたので、わずかながらの謝金が自治体から支払われていました。

外部コーチも、「生徒さんの役に立つのなら」と無償で協力したいという気持ちで、学校に直接申し込まれる人もいました。

しかし、今進める地域移行は、それとは性質が違います。

土日に指導すれば、きっちりとお金が支払わなければなりません。

当然ながら、保護者が月謝を払わなければなりません。

自治体の財政が厳しくて十分な報酬が確保できないなら、保護者負担は増えるでしょう。

地域移行が制度破綻しないためには、国は大枠だけをきめて、あとは自治体に丸投げするのでなく、財政の乏しい自治体に十分な補助金が出せる財源を確保しなければなりません。
 
この制度改革に失敗は許されません。



それがどうした

2022年08月13日 10時03分00秒 | 教育・子育てあれこれ
学校では、しばしば「将来の夢と希望をもとう」と言われます。

夢や希望はたいへん響きのいい言葉です。

また、それに向かって努力することは価値のあることです。

ただ、わたしたちがどれだけがんばったとしても、社会ではすべてが認められるのではありません。

夢や希望が叶わなかったとき、その困難と向き合いなさいと教えることが、学校教育で必要なのだろうと思います。

叶わなかったときに、失望するのではなく、「それがどうした」と言いきれるたくましさと強さをもてるのが生きる力と言えるかもしれません。

新しい学力観に対応する授業を研究実践する

2022年08月12日 07時37分00秒 | 教育・子育てあれこれ
今の時代の学力観では、自ら課題を見つけ解決する力を児童生徒に育むことが重要視されています。

そのため、授業では「主体的で対話的で、深い学びの学習」が求められています。

ところが、今年4月に小6、中3に行った全国学力学習状況調査の結果を見ると、今の学力観に基づく力が育っているとは言いがたいようでした。

今回は国語、算数・数学、それに加え4年ぶりに理科のテストを行いました。

テスト問題は、知識の確かさに加え、知識やデータをどう活用するか、科学的な思考力を問う問題が多く含まれていました。

しかし、結果はかんばしくなく、なかでも中学の理科は平均正答率が50%に届きませんでした。

4年前よりおよそ17%ほど下がりました。

もちろん全国の平均の正答率ですから、都道府県によっては高い正答率を出している県もあります。

だだ、全国の平均が大きく下がったということは、目指す学力が十分についていないことは、確かなことです。

これは、新しい学力観に応じた授業が日々学校で十分に行われていないことを示すと考えていいでしょう。

新型コロナウイルス感染防止のため、実験を控えた学校が多かったことも影響しているのかもしれません。


この調査では、アンケートに答える質問紙調査も行われました。

「自分の考えが伝わるように、工夫して発表する授業」があまりできていないと回答した中学校は約2割ありました。

教師にとっての生命線は授業研究です。これに十分な時間をかけることができるように、業務の軽減、働き方改革を断行していかなければなりません。



人権を学ぶ学科

2022年08月11日 07時42分00秒 | 教育・子育てあれこれ
青山学院大学に、この春、ヒューマンライツ学科が生まれした。

人権を学ぶ日本初の学科です。

人権や人権尊重は、どの学科や学部でも学習や研究の根底に据える概念ですが、人権に特化した学科は初めてです。

青山学院大学では、法学部の中の学科として存在します。

ふつう法学部では、法律の条文から学習に入り、判例などの解釈論を学びます。

それは生きた学習にならないことが多いので、まずは現実に起こっている人権問題に目を向け、その解決に法をどう役立てるかという学習を行うのがヒューマンライツ学科です。

そこからは広がりも生まれます。

たとえば、児童虐待の問題の解決を志向するとき、児童虐待防止法を学ぶだけでは不十分です。

子育て論や家族論に広げていかないと、解決にはつながりません。

広い視野から、多角的・多面的にみていかないと具体的な解決策にはつながらないのです。

少子化や家族形態の動向にも広げていくことで、児童虐待の防止を探り当てることができるのです。

現代の社会では、虐待やいじめ、ジェンダーや性的少数者の問題が、それだけ身近なのです。

身近な人権問題が、人権を専門に学ぶ学科で学習した学生の研究により解決に向かうことが期待できます。

願うだけでは・・・

2022年08月10日 07時12分00秒 | 教育・子育てあれこれ
私は教職について以来、学校教育活動の一環として平和教育を中学生に実践してきました。

その教育のやり方として、修学旅行では長崎の原爆の悲惨さ、沖縄戦での生き証人の話を生徒たちといっしょに聞かせてもらい、平和を願う気持ちを育んできたと思っています。

その生徒たちはいま、もうかなりの年齢になっています。

このたび起こっているウクライナでの戦争を想うにつけ、平和を願うだけではたりないのではないかと思います。

平和教育で戦争の実相を知り、体験者からの聞きとりをして平和を願う気持ちを育むことは必要です。

しかし、願うだけでは、戦争は残念ながら起こるかもしれないのです。


悲惨さを知り、禁止しても、戦争が防ぎにくい。どうすればいいのか。

答は簡単には見つかりそうもないです。

しかし、それでもどうすれば防げるのかを考え続ける平和教育が戦後77年になる今求められているのです。



教育と法整備が社会を変える

2022年08月09日 07時49分00秒 | 教育・子育てあれこれ
わたしは教職についてから、学校教育活動の一環として、人権教育を研究して、実践してきました。

その経験を通して思うのは、人権問題はたくさをあり、多岐にわたるのですが、あらたな人権課題は日々生まれてきていると思うのです。

社会や世の中にある人権の問題は、誰かが問題だと声を上げないと浮かび上がってきません。

最近になり、貧困、パワハラ・セクハラ、ジェンダブリーやLGBTQが取り上げられるのは、問題意識をもつ人が増えてきたからと、わたしは考えています。

その意味では、国内の人権をとりまく情勢は悲観的ではないと思うのです。

かといって、楽観できるわけでもありません。

自分の価値観と外れた方向に社会が向いていくのが、何かわからないけど不安に思う。

だから、ジェンダー平等や性的少数者の問題を受け入れないという人がいるのあり、楽観できり情勢でもありません。

わたしは、社会をいい方向に変えていくのに大きな力をもつのは、学校教育だと思います。

教育には時間がかかりますが、人権尊重という価値観は、日本社会で少しずつでも広がり、深まると思います。

それと法制度の充実も必要です。

法の整備により、今まで許されていたことが、許されなくなる。

そうなると、人同士の関係が変わります。

関係が変われば、意識や感覚が変わります。

意識や感覚がかわれば、基準が変わります。

結果として、今まで社会で許されていたことが、許されなくなるのです。



健康で文化的な最低限度の生活

2022年08月08日 06時32分00秒 | 教育・子育てあれこれ
テレビのトレンディドラマは、時代をうつしだす鏡のようなものです。

たとえば、「男女7人夏物語」や「男女7人秋物語」などは、明石家さんまらが出演して、1980年代のバブル景気の頃が時代背景になっていました。

しばしば高級レストランやカフェバーで男女数人が会話をするシーンが出てきています。

また、登場人物の住居は高価そうなマンションでした。

ところが、2020年版の「東京ラブストーリー」では、外食や外で飲むのではなく、家で飲食するシーンが多くなっています。

さとみさんが住むのマンションでなく、アパートらしきものになっています。

30年以上の開きがある両ドラマですが、日本人の生活は明らかに、貧しくなっていることが理解できます。

日本の人びとの生活は貧しい人と富裕な人の格差が広がり、貧困は衣食住にかかわり厳しさを増しています。

もっとも、こういう比較ができるのも、わたしが1970年代の高度経済成長、1980年代のバブル景気を過ごしてきたからです。

わたしの学生時代は、日本が豊かになる成長期と重なっていたので、世相は登り調子だったものです。

しかし、1990年代以降に生まれた人は、日本のバブル時代を知りません。

格差や貧困と言われても、「こんなもの」だからと考える人が多いのかもしれません。

衣食住に事欠くことがあっても、努力が足りなかったと「自己責任」にかえされる社会は間違っています。

人間は「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を有すると法で定められています。

何もぜいたくはしなくとも、ふつうに暮らしができる水準は維持されなければならないと思うのです。

今の学校教育のなかでは、保障された権利や果たすべき義務をきっちりと子どもが学ぶ学習が充実させていくべきです。



発掘 ペーパーティーチャー

2022年08月07日 07時58分00秒 | 教育・子育てあれこれ
ペーパードライバーになぞらえて、教員免許はもっているが、いまは学校で働いていない人を「ペーパーティーチャー」といいます。

教員不足が全国的な問題になっている今、神戸市はペーパーティーチャーを対象に、研修の参加者の募集を始めました。

今の先生はICTが使えないと務まりません。そこでICT機器の活用研修や深刻化するいじめへの対応などが研修内容に含まれています。

今の教員不足は深刻で、産休・育休を取る教員の代替や病気休暇の教員の代替が見つかりにくいのです。

欠員のまま4月がスタートした学校もあります。

従来は代替教員を充てることができていましたが、過度に教員の多忙さ、時間外勤務の長さが取り上げられた結果、希望する人がなかなか見つからないようになっています。

今回の場合、市内で6カ月以上勤務できるなら、応募すればほぼ採用されます。定員も年齢制限もありません。

ただし、文科省は教員免許の更新制度を平成21年から始めていました。

今は更新制度を廃止していますが、その10年以上の間に、免許を失効した人も一定数いるはずです。

思惑どおり、募集してくる人がたくさんいるかはわかりません。

ただし、もともとたくさんの数を確保するつもりはなく、とにかく欠員になっている学校を埋めればいいという考えなのかもしれません。







スマホとどう付き合うか

2022年08月05日 06時00分00秒 | 教育・子育てあれこれ
わたしは以前にテレビの視聴時間と学力の関係を中学生を対象に調べたことがありました。

テレビをみる時間が長い生徒ほど、学力が低くなるという傾向を明らかにしました。

テレビの視聴時間は、家庭での学習習慣の形成に大きな影響を与えます。

学習習慣が定まらないと、学校の授業で習ったことの定着が不十分になります。

定着が不十分なところに、次の日には学校で新しいことを習います。

この繰り返しが学力低下を招くのでした。


しかし時代はかわり、現代はテレビを見る子は減っています。

かわって、テレビのかわりにスマホで動画をみたり、SNSをみたり、書き込みをしたりする時間が学力に影響するかが課題となってきています。


この度、今年の4月に小6と中3を対象に実施した、全国学力学習状況調査の結果が公表されました。

それによると、スマホなどの利用時間が長い子どもほど、やはり正答率が低くなる傾向がわかりました。

小学生は国語、算数、理科の学力テスト、中学生は国語、数学、理科の学力テストを受けました。

とくに中学生で顕著に表れました。1日に4時間以上利用する生徒の正答率は41.4%で、30分以内の生徒の正答率は60.8%となり、20%の開きがありました。

また、新型コロナウイルス感染防止のため、家にいる時間が増えたのですが、それに伴い視聴時間が増えていることも明らかになりました。

スマホの動画やSNSはテレビとちがって、見たい時に見たいものがみれるのがテレビと違うところです。

テレビを見ている子どもの様子は、基本的に親も目撃して、「そろそろ勉強しなさい」などと言えます。

しかし、スマホの場合は、親の目が行き届きにくく、子ども自身の自制がきかないと、長時間のめり込むという事態にもなりやすいものです。

その状況の中で、スマホとうまく付き合っていく方法を見つけることが、現代的課題であるのです。



平和教育の実践者

2022年08月04日 07時17分00秒 | 教育・子育てあれこれ
私の子どもの頃の話です。

実家にほど近い妙見山という山に登ると山頂の開運北辰妙見山大菩薩がおまつりしてあるお堂に行きつく沿道に傷痍軍人の人たちが集まっておられました。

義足や義手をつけて太鼓を叩いて、わずかながらの浄財を手にしておられました。

わたしは子どもの頃見たその光景が鮮烈に脳裏に焼き付いて、今でもはっきりと思い出すことができます。

当時は、このような傷痍軍人を他の場所でもよく見かけました。

彼らは、第二次世界大戦で軍人だった人で、太平洋戦争中に戦地で攻撃され、障害者となり生き延びた人たちだったのです。


その後、私は教師になり、中学生に平和教育をするようになりましたが、戦争を知らない私にとっては、その傷痍軍人の姿がわたしの平和教育の源泉だったと、今思います。

彼らこそが、当時の子どもたちに対する、実体験に基づく平和教育の実践者だったのかもしれません。

今では、学校の教師は戦争を知らない世代です。

その教育現場にあっては、戦争に至った過去の経緯、それにストップをかけれなかったのはなぜかなどを議論し、生徒とともに教師も考えることが、平和教育には大切なことになるのだと考えます。

常識を壊さないように

2022年08月03日 07時14分00秒 | 教育・子育てあれこれ

新自由主義が浸透してきて、勝つか負けるかの競争に人びとは駆り立てられます。

競争に勝った人が「幸せ」になり、負けた人が不幸せになっても仕方がないと考える「絶望社会」になりつつあります。

将来に希望を持ちにくい、格差による貧困がはびこる社会では、絶望した人が自分の命を絶つときに、他者を巻き込もうとすることがあります。

生活苦で食べ物にも事欠くので、犯罪を起こしたら刑務所に入れて食べることができる。

そんな事件が起こるようになるかもしれません。

また、戦争のニュースを聞いて、人のいのちが失われてはいけないと思うはずなのに、それを感じる感覚や感性が市民の間で、鈍くなっていく危機感をもちます。

理不尽な暴力が起き、人びとの平衡感覚や倫理観が弱くなる心配をします。

人のいのちが失われる重大さについて、常識を壊さない叡智が問われています。

もしこのような社会に近づいていくなら、将来に希望がもつことが見通せた時代の学校教育とちがい、人のいのちの尊厳を深く理解する学校教育の重要性が、ますます増していきます。



複合した差別

2022年08月02日 11時12分00秒 | 教育・子育てあれこれ
人権の課題にはいろいろあります。

障害者問題、ジェンダーの問題、女性問題、在日外国人の問題、ハンセン病の問題、性的少数者の問題、部落問題、新型コロナウイルス差別の問題・・・など様々です。

ところが、日本で人権尊重をいう場合、それぞれまったく別々の問題として議論されることが多いのです。
 
しかし、実際に生活している人の現実をみたとき、それらは別々の問題ではなく、一人の人間が生きていく上で、重なっていることが多いのです。

たとえば、女性差別を受けながら、かつその当事者は新型コロナウイルス感染症では看護師ということで、社会から排除されるという二重の抑圧を抱える場合があります。

また、在日コリアンの女性も同様です。

これらを、今までは「二重の差別」とか「複合差別」といってきました。

いまの言葉で言えば、「インターセクショナリティ」です。

日本では最近数年間で、インタセクショナリティを取り上げたイベントや講演会、社会運動が増えています。

ただ、インタセクショナリティは海外から入ってきた概念です。

日本でこの問題をいうときには、今までの日本社会で蓄えられたきたマイノリティ女性が生きやすさを求めて取り組んできた歴史や実践から学ぶべきだと思います。


教師って教える人?

2022年08月01日 07時33分00秒 | 教育・子育てあれこれ
学校の教師は、とかく「教えなければ」という意識の強い人が多いと、わたしは経験上思います。

生徒の方から、「教えて」と言ってくる場合は別かもしれませんが、「教えて」と言わないのに、「これはこう、あれはこう」と教える人が
多いように思います。

まずは、「どうしてそう思う?」と問います。

生徒の話を最後まで聴いて、その生徒の悩みの本質を探します。

人間は経験を積んでいき成長するので、最初から「こうだよ」ではなく、「こう思って見ているよ」と伝えることが、聴き上手な教師のやり方です。

思春期の子どもは本来、答は自分の中にもっていることが多く、それに気づくかどうかなのです。

その気づきを引き出すには、教師が教えすぎないことが秘訣なのです。

生徒は、「教えたくれた」ではなく、「気づかせてくれた」と感じます。


思春期の子は扱いにくいときもありますが、自分で気づいてくれた思うとき、教師としてはうれしいものです。