箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

五月雨の今の時期

2023年06月15日 08時06分00秒 | 教育・子育てあれこれ
梅雨の時期です。

「五月雨」(さみだれ)は、梅雨の頃の長雨を指します。

今季は梅雨入りと同じ頃、台風がやってきて線状降水帯ができ、大雨になりました。

しかしその後は、昔からの日本の五月雨らしい雨の降りかたになっています。

「五月雨式に」(さみだれしきに)という言葉があります。

そのようにダラダラと続き、シトシトと雨が降る、雨が止んでも、空はどんよりと曇っているこの時期こそが梅雨らしい梅雨です。

そう考えると、なかなかカラッとは晴れないですが、雨を楽しむ気持ちにもなります。

食べることが難しい時代

2023年06月14日 06時00分00秒 | 教育・子育てあれこれ
学校では、いま、摂食障害の児童生徒が増えています。

養護教諭(保健室の先生)の実感でもわかります。

全国の養護教諭の約6割が、摂食障害の児童生徒に対応した経験をもつことが明らかになりました。

摂食障害は、拒食症と過食症で、それほど今の子どもは、精神的に病み、食事に困難を抱える子が多いのです。

わたしも教頭をしたいたとき、保護者からの相談にかかわり、当事者の2年生女子生徒と何度か面談しました。

その子は2年生になってから、食べられなくなり、夏休み前には体重が30キログラム代にまで、やせ細っていました。

3年生になってからは少し改善して、小学校と中学校が協同で開催する「校区クッキング」でお正月料理をつくるまでになりました。

卒業式の日には、式が終わって学校を去るときに来てくれて、お別れをしました。

「よく、卒業の日を迎えることができたね。わたしもうれしいよ。悩んだ経験があるぶん、人の痛みがわかるようになったかもしれないね。卒業おめでとう」と、わたしはその子に言いました。

その後、聞いた話では、高校3年の時には将来栄養士になるため、栄養学科のある大学への進学を考えているとのことでした。

自分が食べることについて悩んだ時期があったからこそ、栄養士になる道を考えていると聞きました。

摂食障害は、すこし時間がかかるかもしれませんが、治ります。

周りに、心配して気にかけてくれるおとながいることが、支えになり治していけます。

思春期の子にとって、寄り添ってくれるおとながいることは、ほんとうに心強いものです。

その人がいることで、子どもは困難を乗り越えていけます。

このことは摂食障害だけでなく、子どもが抱えるさまざまな課題の改善・克服にも同様だと考えています。





強い意志でものごとは成就する

2023年06月13日 08時18分00秒 | 教育・子育てあれこれ


1970年の大阪万博のとき、わたしは小学生でした。

国内企業がパビリオンを出しており、わたしは三菱未来館にひかれました。

企業だけでなく、各国もパビリオンを出していて、万博のテーマは「人類の進歩と調和」でした。

当時、高度経済成長が進行するとともに、公害病が問題となっていました。

四日市ぜんそく(大気汚染)水俣病(メチル水銀の海洋汚染)、イタイイタイ病気(カドミウムの廃液)などの公害病が深刻な社会問題となっていました。

そこで、科学技術・経済発展の進歩は大切だが、人間の生活との調和を図るというねらいが、このテーマには込められていたのでした。

そのテーマの一翼を担い、アメリカもアメリカ館を出していました。

その展示の目玉が、月の石でした。

万博に先立って、アメリカがアポロ11号を打ち上げ、初めて月面着陸に成功したのでした。

宇宙飛行士が外へ出て、月面を歩行する姿がテレビの映像を通して、世界に流されました。

子どものわたしも、日本中の人びとがかたずを飲んで見守っていました。

当時にしては、いや現在においても、画期的なことでした。

その宇宙飛行士が月面から石を拾い、地球へ持ち帰り、アメリカ館で万博の会期中に展示していたのでした。

日本人だけでなく、来日した外国人も、一目でも月の石を見ようと、アメリカ館には連日長蛇の列ができていたのを思い出します。



その月面着陸について、

月に行こうという目標があったからアポロは月に行けたのです。
飛行機を改良した結果、月に行けたのではないのです。

つまり、ものごとを成し遂げるには、明確なビジョンと目的意識があればこそです。

決意するという強い意志こそが必要になるのです。





どこかに基準をもっておく

2023年06月12日 06時52分00秒 | 教育・子育てあれこれ
わたしが現役の中学校教員だった頃、ひとり親家庭の生徒は問題を抱えることが多いという教職員が少なからずいました。

しかし、今ではそのようなことを言う教員はまずいなくなったと言えます。

親が一人であろうが、父母そろっていようが、子どもの成長には関係ありません。

また、ほかにもあります。

今ほど夫婦の共働きが多くなかった頃には、母親が働くことについて、いいように言わない人がいました。

子どもが学校から家に帰ったとき、母親がいないとさみしがるでしょう」「働く母親の子どもはかわいそう」。

ところが、年月が流れ、今では母親が働いていて、日中は家にいないことが当たり前になるとともに、保育所や学童で放課後を過ごす子どもが増え、周りの人びとの考えかたも、大きく変わりました。

 
このように、世の中でまことしやかに言われていたり、考えられていたりしていたことが、わずか20年・30年ほどで180度ほど変化することはけっこうあると思います。

20年ほど前までは、人が亡くなるとお通夜や告別式には、家族や親族以外に故人の仕事上の知人、近所の人にまでご案内し、参列してもらい、ご香典を受け取っていました。

しかし、今は十中八九が家族葬で、参列不要、香典辞退がほとんどになりました。

それが、100年・200年という歳月を経て変わるのではなく、わずか20・30年ほどで考え方や価値観が正反対になるまで変わるのが現代です。

そして、人はその時に広く受け入れられている考え方や価値観に立って話すべきです。

母親が働くことについて本人は、

「私の夫も親も、わたしがはたらくことに同意していますよ。家族で協力しあって、子育てをしています。だから、子どものことは言わないでください」

こんなふうに、どこまでも相手に合わせるのではなく、ここまでは言われてOK、ここからはNOという基準をもっておくべきです。

あなたに何をしてくれるかではなく、あなたが何をできるか

2023年06月11日 07時09分00秒 | 教育・子育てあれこれ

わたしは大学のとき、英語研究部(ESS)に入学と同時に入りました。

新入生に課されたのはアメリカのケネディ大統領のスピーチを暗唱して、全員がスピーチをするというものでした。

そのための練習で、英語の発音やイントネーションなどを先輩から徹底的に指導されました。

そのときの暗誦したスピーチは今でも覚えていて、話すことができます。

And so my fellow Americans,
ask not what your country can do for you, ask what you can do for your country.

My fellow citizens of the world,
ask not what America will do fou you,
but what together we can do for the freedom of man.


だからこそ、わたしの同志であるアメリカ国民のみなさん、 アメリカがあなたに何をしてくれるかを問うのではなく、 あなたがた自身がアメリカのために何ができるかを問うてください。

世界中のみなさん、 アメリカがあなたの国に何をしてくれるかを問うのではなく、 私たちが人類の自由のためにともに何ができるかを問うてください。

その頃は、スピーチの内容や意味を深くは考えずにいましたが、今になるとその意味をかみしめることができます。

他者が自分に何をしてくれるかを求める受け身の姿勢ではなく、常に主体性をもち、自分が何をできるかを考えるべきである。

名言が時代を超えて語り継がれるのは、人の生き方についての真実があるからでしょう。


生きる時間が光る

2023年06月10日 07時18分00秒 | 教育・子育てあれこれ

最近は、うちの家のまわりに鹿が出没するのは、ありふれた風景になりました。

ときどき、鹿とばったりと出くわすことがあります。

一目散に逃げ出す鹿もいます。

でも、こちらをじっと見つめて、微動だしない鹿もいます。



こんな詩があります。



彼は知っていた

小さい額が狙われているのを

しかし、この鹿は逃げもせず、わめきもせず

すんなり立って

村の方を見ていた

生きる時間が黄金のように光る

(村野四郎 「鹿」)


毅然として、死と向き合うものは美しく、プライドを醸し出します。

この世に生まれてきたかぎり、誕生から最期まで黄金のように光る生き方をしたいものです。




何にしあわせを感じるか

2023年06月09日 09時28分00秒 | 教育・子育てあれこれ
日本の高度経済成長の時代、私は少年・青年時代でした。
 
そのあと、バブル絶頂期を経て、バブル崩壊期を過ごしました。

そして今は、人びとの経済格差がすすみ、固定化していく傾向のある今にいたっています。

その半世紀の推移を通して思うのは、人がどこで、どんなときに、どんなことで充足感・満足感を得るかが変わってきたということです。

まだ、戦後の影を引きずっているときは、人びとの生活は総じて貧しく、「一家に1台テレビがほしいね。マイカーも欲しいな」という会話がなされていました。

そして経済は右肩上がりで仕事はたくさんあり、ほしいものを手に入れるようになりました。

いわゆる「1億層中流時代」が到来し、物質的な暮らしは格段に豊かになりました。

その後、1970年代に入ると、中東諸国が一斉に原油価格を引き上げるオイルショックが日本経済を直撃しました。
 
それでも、日本経済は強靭で、それを乗り切りました。

1980年代には第2次オイルショックが起きましたが、それをも乗り越え、世界でJapan as No.1と言われる経済大国になりました。

そのあたりから、商店に並ぶ品物は高級化し、品数も一挙に増えだしたのを思い出します。

明石家さんまらが出演する『男女7人夏物語』などのTV番組がトレンディになり、女性のファッションはボディコン・ハイレングスが流行り、高級ブランド品を身にまとうのが憧れとなりました。

日本経済は肥大化し、不動産や土地の価格は急騰し、金融バブルを迎え、やがて崩壊しました。

その後は、「失われた30年」といわれる経済停滞期に突入し、いまにいたっています。

その30年間に、終身雇用制が崩れ、非正規雇用が増え、格差が深まってきました。格差が固定化し、貧困の問題が深刻になっています。

経済だけでなく、社会も変化しました。

共同体よりも個人の自由やライフスタイル・生き方を重視する傾向が1990年代から顕著になってきて、一方では人の孤立化が定着しました。

少子高齢化が追い打ちをかけ、人びとは希望をもちにくくなってきています。

少なくとも、わたしの若い頃は努力すれば報われるという、時代への希望がもてました。

教師になってからでも、中学生には明るい未来を語ることができました。



しかし、自身が閉塞感を感じる、いまという時代にあっては、何を語るかが問われています。

終身雇用、所得増の時代ならば、一流大学から一流会社に入ることが、しあわせを測る一つの尺度であったことは間違いありません。

しかし、低成長が続き、将来も見通せない中では、尺度は自分で見つけ、選ばなければなりません。

家族をもち、子どもと楽しい家庭生活に喜びを見出す人。

社会貢献やボランティアとして活動し、喜んでくれる他者がいることにしあわせを感じる人。

シングルで過ごし、たくさんの人間関係の中で、充足した生活を楽しむ人。

ユーチューバとして、自分の動画のフォロワーが増えることを生きがいにできる人。

何がしあわせであるかは、自分で決めなければならないのは、おもしろいともいえますが、難しいのです。


そんな時代にあって、学校教育だけでは自分にとってのしあわせが何であるかを考えて卒業させるのは無理があるでしょう。

でも、そのことを考え、自分の生き方をみつめるためのきっかけの種を子ども時代に蒔いていく必要はありそうです。


 



習慣は力強い

2023年06月08日 07時15分00秒 | 教育・子育てあれこれ


中学生を指導するとき、生徒によって才能はそれぞれだと、教師としては感じます。

たとえば、文化祭でクラスで劇をすることになりました。

最近の子どもたちですから、劇の中にダンスを盛り込んだりもします。

そのダンスをするにも、体のキレがいい子もいれば、よくない子もいます。

ダンスの才能がある子、才能に乏しい子がいるわけです。

しかし、ダンスを仕事にするわけでもない場合には、練習を多くするとどの子もある程度のレベルまでに引き上げることはできます。

当日までに2週間あるとすれば、毎日1時間練習をすることで、スキルは一定程度までどの子も高めることができます。

つまり、習慣は才能を超えるのです。

自分より、優れた友だちを見たとき、「あの子は自分よりも才能があるから」と、自信をなくす必要はありません。

諦めてしまっては、それ以上の発展や成長は望めなくなります。

習慣とは後天的な努力を重ねる行為です。

後天的な努力で、才能という壁は越えることができる。

このことを生徒たちには、わかってほしいですし、習慣になるほど努力を重ねる粘り強い子に育ってほしいと思うのです。

根拠のない自信をもつ

2023年06月07日 08時41分00秒 | 教育・子育てあれこれ

一般的にいって、小学生から中学生になってからしばらくは、生徒の自尊感情は大きく下がります。

わたしは、これを小中間のハードルと言っています。

端的にいえば、自分への自信をなくす子が多いということです。

これには、理由があります。

一つは思春期に入り、「自分は何者」と自己を見つめる子が増えるからです。

もう一つは、周りの子と自分の差が見えやすくなるからです。

バスケが上手いと自分では思っていたが、もっと上手い子がたくさんいる。ダントツに上手い。

勉強ができると思っていたけど、中間テストテストでは60点だった。なのにとなりの子は90点をとっていた。

小学校と違い、中学校は周りの友だちとの差が見えやすいからです。

それはいい、わるいの問題ではなく、学校のしくみのちがいなのです。

だから、中1になると自信をなくす子が多いのです。

そこで、中学の教師は、その自尊感情の揺らぎを知った上で、「あなたはあなたでいのだよ」というメッセージを送るのです。

「若い頃は自信をもてばいいのです。それも、根拠のない自身でいいから。なんでもやってごらん。」

そして、気持ちは揺れながらも、自分の葛藤や悩みに折り合いをつけ、「わたしはわたし」と納得して、「がんばっていくよ」と変容させるのが、中学教員の醍醐味である。

わたしは、そのように考えています。

長い目で仕事を考えること

2023年06月06日 07時42分00秒 | 教育・子育てあれこれ
今の学校の教員は、せっかく教職に就いた一方で、すぐにやめる人は少なくはありません。

「私には向いていないとわかりました」とか「仕事の量が多く、休みがないです」などがよく耳にする感想です。

教職以外の仕事ではどうでしょうか。

2019年3月に卒業した人で、就職後3年以内に離職した人は高卒で約36%、大卒で約32%という数字が、厚労省の調査でわかりました。

その離職理由は、仕事が自分にあわない、労働時間、休日、休暇の条件がよくなかった、賃金の問題、会社の将来性に問題があるから、などでした。

やはり、現代の若い人はけっこうたくさん仕事をやめています。

就職した仕事を生涯の仕事にするという考えや感覚は、もはやなくなってしまったとも思えます。



私の場合、教職の楽しみややりがいは、何年か教員を続ける中で、生まれてきたように思います。

うまくいかないことは多く、失敗は数知れずのスタートでした。

それでも、当時の子どもは「しゃーないな」、保護者は「まだ経験がないから」と寛容な人が多かったように思います。

そこが、いまと違う点だと思います。

いまの子どもや保護者は、ちゃんとできない教師に対しては厳しい人が多いのです。



とはいえ、教育関係の仕事でも、民間企業の仕事でも共通して思うのは、自分の仕事を長い時間軸で考えてほしいということです。

学校での3年間、大学での4年間はあまりにも短いのです。

それに対して、社会に出てからの年数は何10年もあります。

時間をかけて自分育てをします。慣れるのに時間がかかることにも、取り組むことができます。

それを短い学生の時間軸の感覚でとらえ、「自分には向いていない」と判断するのは、少し早すぎる気がします。

この4月から教職2年目に入る教師が、1年目を終える頃、この4月から初任者として学校に着任する人に書いたメッセージがあります。


「理想を抱いて、教員生活を迎える先生方がたくさんいらっしゃることと思います私自身、こんな先生でありたい、子どもたちとこのように過ごしていきたい、という思いいっぱいで4月を迎えました。


そんな中、思い描いていたようにうまくいかなかったり、自分の不器用さや、できなさに落ち込み、悩まされることがたくさんありました。


つい、なんとか解決しなければ、と思い一人で悶々と悩んでしまうこともありますが、ぜひ、同僚の先生方や、研修で会う仲間に話してみてください。


私が、この一年を終えることができそうなのも、たくさん話を聞いてくださる先輩や、一緒に悩める同期のおかげだと思います。ですので、一人で抱え込まず、相談を大切にしてください。」





正しい発問

2023年06月05日 08時42分00秒 | 教育・子育てあれこれ

カルロスゴーンは、経営が斜陽化していた日産をV字回復させ、手腕を振いました。

その後、会社法違反に問われ、日本から姿を消しました。

そのことの是非について、わたしは論じるつもりはありません。

わたしが注目するのは、彼の放った言葉です。

「正しい答えではなく、正しい質問を見つけることがもっとも大事である。」


企業経営では問題を見つけ、その解決法を提案していく商品を開発することが大切だと言っていると解釈します。

しかし、彼の言葉は学校教育関係者に深い意味を考えさせます。

私は、授業について
「正しい答えではなく、正しい発問を見つけることがもっとも大事である。」
と言い換えます。


質問とは、わからないこと、知りたいことを相手に聞いて確かめるための問いです。


「質問」では、事実があるかないかや正しいか、あやまっているかを確かめたり確認するたに行います。

YesかNoだ答えることができる場合も多いです。

また「○○です」など一問一答で済むものもありますし、理由や状況を説明しなければならないものもあります。



一方、「発問」(はつもん)は、授業者(教師)が学習者(児童生徒)へ意図をもって問いかける問いのことです。

授業の基本用語であるため、日常で使われることはあまりありません。

「発問」は、授業者が児童生徒の知らない課題について問いかけ、児童生徒が自ら考えて答えようとする力を起こさせるものです。

生徒の学習意欲を高めることが「発問」のねらいです。ふつうYes,Noでは答えられない問いかけです。

「なぜこんなことが起きているのでしょうか?」

「この二つはどんなところが似ているのでしょうか」

これに学習者は答えなければならないですし、その答えを出した根拠や理由の説明が求められます。

具体例を示します。

質問:コロンブスがアメリカ大陸を発見したのは、何年ですか?(1492年ですか?)

答え:1492年です。(はい、そうです。)

ところが
発問:コロンブスがアメリカ大陸を発見したことにより、世界はどう変わりましたか?

答え:ヨーロッパ諸国が新大陸に領土を求め、植民地にしようとしました。

答え:ヨーロッパでの感染症が世界に広がりました。

答え:トマトの栽培を知り、ヨーロッパに持ち帰り、料理の幅が広がりました。

その根拠となる歴史的事実や史料とともに、児童生徒が考えを深めていくのです。

視点が広がりすぎる時には、授業者は児童生徒が考える範囲に制限をかけます。

文科省が学資指導要領でいう、「主体的で対話的で、深い学びの学習」とは、授業者である教師が、いかに正しい発問をするかが授業づくりの一つのキーになります。





Jリーグの30年間

2023年06月04日 07時04分00秒 | 教育・子育てあれこれ
いまの中学生の部活動でのサッカー人気はどの学校でも高いものがありす。
学校によっては、野球部をしのぐ人気ぶりです。

私が現役の教員だった1990年代の最初の頃、サッカーのJリーグが始まりました。

当時教職員が加入する共済組合で、スタートして間もないのJリーグのチケットを購入できました。

あれから30年。Jリーグはしっかりとファンをつかみ、地域密着型で反映し、ワールドカップに選手を送り込んできました。

当時、日本のスポーツチームは、プロスポーツチームとして君臨していたのはプロ野球くらいでした。

多くのスポーツ種目は、会社が持つチームスポーツがほとんどでした。

1990年代といえば、バブルが崩壊したあとで、会社がスポーツチームをもつのはコストがかかり、限界にきていました。

選手の方も、アマチュアであるので本業である仕事をこなしてから、それが終わってから練習というリズムであり、プロ意識の高まりはやはり期待できないものでした。



そんな中で、Jリーグはクラブ運営を法人化し、スポンサーを募集して、自治体との関係づくりを進め、地域密着型で成功をおさめ、プロスポーツとしての位置を定着させたのでした。

どの試合も満員で、サポーターが熱く応援するスタイルができあがったのでした。

選手も応援を受け、アドレナリン全開で奮闘してきました。

今後、子どもたちにサッカーの楽しさを伝え、高い技術を披露することで、子どもに夢を与えることを期待したいと思います。


教えるのではない 

2023年06月03日 07時12分00秒 | 教育・子育てあれこれ
一般的に言って、教師の仕事は児童生徒に教えることです。

今の教育観では、教えることがいきすぎて、教え込みになるのを避け、子どもが自ら学びとる授業に価値が置かれています。  

教え込みは、教師が1時間の授業のほとんどを話し、児童生徒が受身になる、学習の意欲がわかない。

そこで、主体的で対話的で、深い学びのある授業実践が必要になります。

そのときのキーワードは子どもの学習意欲です。

高い学習意欲をもち、解決する課題に深い思考力を働かせ、対話活動により自分の考えをさらに深めていく。

(とはいえ、教えることを全否定するのではなく、生徒指導などではこどもを教え諭すことはいまでも、教師の役割として大きいという側面があることは、頭の中に留めておくべきと、わたしは考えます。)

今の時代の到来をみこしてきたのかどうかはわかりませんが、ガリレイ・ガリレイは学びの本質に言及し、次の言葉を遺しています。



人にものを教えることはできない。

できることは、相手の中にすでにある力を見出すこと、その手助けである。





親や子どもを自立させる

2023年06月02日 10時14分00秒 | 教育・子育てあれこれ
最近、「仲良し親子」が増え、それとともに、いかに思春期の子どもが親離れをするか、親が子離れをするかが課題になります。

親離れとは、子が親の保護や「支配」から離れ、自分のことは自分が責任を引き受けていくことです。

子離れとは、親の言うことに子どもは従うという親の子どもへの影響力を薄めていくことです。

しかじ仲良し親子は、友だちどうしのようであり、相互依存の関係が強く、親の子離れが遅くなる傾向があります。

それでも、子どもが離れていくことを努力して受け入れていき、子どもが自分をこえていくことことを喜ぶのです。

もうそうなると、親が「こうしなさい」ではなく、子どもが自分のことは自分でするようになったことに喜びを見出します。

しかし、そうならない親もいて、子どもをずっと親の世界にいさせようとします。


その場合、子どもは親から距離を置くようにしなければ、親と子はいつまでも相互に依存しあうことになりかねません。





幸福になるために

2023年06月01日 08時45分00秒 | 教育・子育てあれこれ

発展のためではなく、幸福のために私たちはいる。


 

ホセ・ムヒカ(ウルグアイ)は、ブラジルのリオ会議でスピーチをしました。

 

は、会議出席国の中で「世界でもっとも貧しい国の大統領」でありながら、最も人間味豊かな政治家としてのスピーチでした。

 

貧しい人とは、何ももっていない人ではなく、欲しがる人のことだと言いました。

 

市場原理に基づく国のあり方を追求するのではなく、国民一人ひとりのために政治を実践した人らしい言葉です。

 

日本は高度経済成長を遂げた国ですが、はたしていま幸せを感じる国民が増えたかというと、正反対の方向に向いているのがいまという時代ではないでしょうか。

 

ものをどれだけたくさん持っているかよりも、心豊かに生きたいです。