文学は読まれてこそ価値をもちます。
そして、人によってその理解や学びとることはそれぞれです。
川端康成の名作『雪国』の書き出し、「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」を読んで、
風景が変わるほど長いトンネルだったのか。
標高が高くなったのか。
ここからが別世界の始まりてあると、暗示しているのかも。
急に寒くなってきた。
・・・・・
人によって、いろいろな感じ方や解釈があります。
つまり、文学は自由に理解されるものなのです。
ということは、作者の意図が誤解されることもあるのです。
ここで翻って、学校の国語の先生のありようが問われてきます。
「これはこういうもの」と、教師が「正しい読み方」を押しつけるならば、文学は文学としての命脈を断ち切られてしまうのです。
文学を読むのに、正しい答えはないのです。
でも、文学には間違った答えはあるのです。
このことを文学指導をする教師は心得ていなければならないのです。