わたしの心 

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(管理人:Mrs.modest)

「モモ」を学ぶ

2022年05月27日 | ミニ知識

先日(5/21)は、ミヒャエル・エンデ「モモ」の講座(15:30~17:00)を受講しました。
講師は、酒寄進一先生(和光大学教授)
作品「モモ」と作者である「ミヒャエル・モンデ」について深く掘り下げ、私が知らなかったこと等を、色々教えていただきました。
前もって資料をいただいていたんですが…。
時間の都合上、かなりの駆け足でやっていただいたので、残念ながら消化不良気味に終わってしまいました。

【講座内容】
・聞く力と語る力
・エピグラフ「Im Dunkel scheint dein Licht.…」(ドイツ語)アイルランドの旧い子どもの歌より
      「Twinkle,twinkle,little star.…」(英語)Jane Taylor作の歌。=「きらきら星」
  物語の前にイギリスの詩人ジェイン・テイラーが1806年に発表した『ザ・スター』が引用されている
  エンデはこれを「アイルランドの旧い子どもの歌」とし、テイラーの名は記していない
  岩波書店版(大島かおり訳)の詩そのものは、武鹿悦子による有名な日本語訳詩「きらきら星」ではなく独自の訳である。
・メルヘン小説
・言葉遊び(1)
・物語ること
・言葉遊び(2)
・量と質
  以上。

やはりこれだけのことを一時間半で教えるのは無理だったようで。
大学での講座では、6回に分けて進めて行くそうです。
因みに、この講座の続編を希望したんですが…。
それから、講座中に先生が盛んに薦めてくださった「サーカス物語」を早速読んでみようと思います。

〖ミヒャエル・エンデについて〗
画家のエドガー・エンデを父にもち、、第二次世界大戦中は召集令状を拒否して逃亡、反ナチス運動に参加しました。
シュタイナー学校で学び、さらに演劇学校で演劇を学んだのち、戯曲、詩、小説の創作活動に励みます。妻で女優のインゲボルグ・ホフマンと15年間イタリアで暮らし、彼女の死後は再びドイツに戻りました。
4年後に『はてしない物語』の日本語訳者、佐藤真理子氏と再婚、そして65歳の時に胃がんのためこの世を去りました。
長野県信濃町にある黒姫童話館は、世界の童話をテーマとした博物館ですが、ここには2000点以上のエンデの作品資料が本人の手により寄贈され、常設展示されています。
ドイツの博物館ではなく、なぜ日本の博物館に?
これはひとえに、エンデが日本と深い繋がりを持っているためなのです。
エンデの世界観は、ゲーテやシラー、ノヴァーリスなどのドイツ古典文学はもちろんのこと、シュタイナー、カバラ、荘子といった様々な思想や文化、哲学から影響を受けていると言われています。さらに日本文化からの影響も大きく、幼少時代から、ギリシア生まれの日本研究者・日本民俗学者小泉八雲(パトリック・ラフカディオ・ハーン)を愛読しており、日本への憧れを持っていました。そして、禅、弓道、歌舞伎、能といった日本文化をたしなみ、深く理解しようと試みており、来日の際にも禅宗の老師との対談を行ったり、歌舞伎座・能楽座へも訪れ、その経験はエンデの作品にも影響を及ぼしています。
たとえば、『モモ』の作中でのベッポとモモの会話には、禅の思想を反映している部分もあります。
また、1985年には、バイエルンの方言を用いた演劇『ゴッゴローリ伝説』を発表していますが、エンデ自身は、この作品は歌舞伎の要素を、バイエルン地方の方言をもって作り上げたと述べています。
エンデは、日本語という、ドイツ語とは全く違った言語と文字をもつ日本に対して、独自の視点のを見出していたようです。
さらに、エンデの思想の根底には、自然科学的思考や物質主義的な現代社会への批判が見られ、未来への危機を“文明砂漠”と読んで、作中の中でも警鐘を鳴らしています。
       (以上、インターネット調べ)

ところで、「モモ」の作中の言葉で好きな個所が―
「光を見るためには目があり、音を聞くためには耳があるのとおなじに、人間には時間を感じとるために心というものがある。
 そして、もしその心が時間を感じ取らないようなときには、その時間はないもおなじだ。」


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