(伊勢志摩の空を、自由に伸び伸びと舞うトンビの群れ)
次男は「戦う気力が無くなったら終わり」「今年は病に打ち勝つ!」とラインに記していました
胆道閉鎖症には打ち勝って、通常の生活を送っていましたが・・・
急性骨髄性白血病に負けてしまいました
去年の二月に「人工透析をする一歩手前」で緊急入院した際に・・その時点で、すでに白血病に侵されていたのでしょうが、血液検査で見落とされたのか・・「生体肝移植を勧めます!」と主治医らに言われました!
次男は、当時、そのことを聞いて、希望を持ったでしょうか?
「普通の体(自己肝)で生きたい」と、常日頃から言っていた次男です
医者は、延命のことしか考えていません!次男の健康や生きがいよりも『生存率』を優先しています
「酒は飲んではいけない、飲む者は治療しない、タバコもダメ、チーズもダメ、生ものも、云々」
幼い頃や、成人するまでは、医者や親の言うことをキチンと厳守するでしょう
でも、成人後・三十代・オジサンやオバサンと言われる年齢になって、親の言いなりになりますか?
たった1度きりの人生なんです!健康で暮らしている人にとっても「人生80年!or100年!って、あっと言う間!」
「いつ、どうなるか分からないから、悔いのないように生きたい」と、言っていた次男です
したいことをして、好きなビールで乾杯して友人達との楽しい時間を過ごし、食べたいものを食べる
そういう人生を送った次男は・・白血病で倒れてしまったことは無念だったでしょうが・・幸せだったと思いたい!
働くことにも一生懸命で、自分の道を自分で切り拓いていった、立派な優しい、いい子でした
逝く日の早朝に、次男はスマホで誰かに連絡をしたのでしょう
メールや電話の着信音が、何度も鳴りました
「出なくていいの?」と私が言うと、次男は向こう側を向いたまま黙っていました
そして、暫くして私の方を向いて、涙ぐんだ目で見ました。私は、次男の涙を拭いてやりました
その後「痛い~えらい~」と小さな声で呟くので、「痛い?えらい?痛み止めを入れてもらおうか?」と言うと、「うん」と頷きました
看護師さんがやってきたので、そのことを伝えると・・点滴で薬を入れてくれました
静かに何も言わずに、眠るように、優しい穏やかな顔で・・次男は逝ってしまいました