ホンソメワケベラ
魚に寄り添い、口の中やエラを掃除するクリーナーフィッシュです(即、リリース)
(私の頭の中も、クリーナーフィッシュに助けてもらいたい)
次男が去っても、三重大学病院は通常に動いていく
1人の患者が亡くなったことさえ、何事も無かったように、いつも通りに仕事に就いていきます
世間も同じように動いていくし、私達の周りも全く同じように・・普通に時間は過ぎていきます
ですが、母の私だけでも、悲しみ続けてやるのが・・次男にしてやれる「たったひとつのこと」
何故、胆道が詰まってしまっては生きてゆけない子が、この世に誕生させられるのでしょうか?
次男が生まれた盛岡日赤病院の産科の医師の質問や、守る会のアンケートに答えたけれど・・・
検診を受ける前の妊娠初期に、近所の子どもたちの間で「リンゴ病が流行っていた」
同じ時期に、幼い長男と私も「発熱と酷い頭痛、目の充血」で大変だった
父親が買ってきてくれた市販の「子供用シロップの風邪薬」を長男に飲ませ、私自身も経験したことのないような頭痛に耐えられずに、そのシロップを少し飲んだ
次男が、この世に生を受けてから・・ずっと「いつ、どうなるか分からない予後」に苦しみ・・
「胆道閉鎖症で産んでしまった私自身が悪い」と、次男に心の中で詫び続けてきました
健康な人にとっては「38歳10ヶ月」という短い人生でしたが、胆道閉鎖症としては長寿を全うした次男の・・
それでも、背負った哀しみと無念に負けずに「人生を強く生きた次男の意志や遺してくれたもの」を、何かの形で私が受け継いでいかないとダメだとは考えています