今日の朝刊には「3月12日午後3時36分、1号機が爆発した」時のことが記されていました
その時、いち早く気付き、映像を流したのは『福島中央テレビ』だったそうです
「映像で危機を伝えられる。判断するのは視聴者だ」「テレビを見て早く避難してくれ」と・・
当時(3月中旬~4月末)の私の日記帳も、ゆっくりと見て・・振り返ってみました。
TVでは、同じ方達の記者会見が繰り返し流れていて「本当にもどかしかった」
PCで見る情報は、本当のことを伝えてくれていました。
息子達は、SPEEDI=放射性物質拡散予測図を見たり、染色体が影響を受ける映像や説明に聞き入っていました。
私は外出時にはマスクをして、洗濯物も外には干さずに・・ず~っと室内に干していました!
畑仕事も3月中旬~四月末までは極力止め、する時には「完全武装」で・・・
見栄えは悪くても、野菜を収穫した後の畝を耕したり形成したりせずに、そのままの状態で種蒔きをしたり苗を植えたりしました。
行ってる間に草花は春の支度に余念が無いのですね。
先日人集めで 共産党の婦人部の会合に
もぐって行ってきました。
私の家から300メートル位しか離れていない
家の庭の土から凄い放射能が出ました。
此処までは・・・と思い金柑とかれたすとか
味見なんて気軽に洗いもせず 少し洋服などで
こすり 口にしていましたが 年だからなんて
言ってられないと身震いが出る思いです。
シロツメ草と違って、れんげは上手に繋がないとポキンと折れてしまいます。
数年前に畑に巻いて咲いた蓮華草を映像にして残して、それを貼り付けました。
原発が爆発したのですから、慎重に念には念を押して暮らしていました。
三重県は微量でしたが、土を耕すと「折角地中に潜って行った放射能をほっくり返してしまうので」