桜田濠の水面と、皇居の敷地の石垣を眺めながら散策していると、いよいよ二重橋「正門石橋」が見えてきました。7月中旬の散策だったため、新緑に囲まれている二重橋を眺めることが出来そうです。
アーチ構造のスマートな雰囲気を持っている「正門石橋」を撮影してみました。予想通り、正門石橋の周辺は綺麗な新緑の濃い緑に覆われていました。天気も雲一つない青空だったので、ものすごく綺麗に撮影することが出来ました。
ただ、桜田濠の底には「藻」のような濃い緑色の植物が繁殖していて、水面全体が緑色に変色していました。7月なのに猛暑の日々が続いているからなのでしょうか。
「二重橋・正門石橋」を正面から撮影してみました。皇居前広場側から見て、石で造られた手前の「正門石橋」と、鉄で作られた奥の「正門鉄橋」という2つの橋があります。「二重橋」とは正しくは奥の正門鉄橋の呼称です。
散策時は風が全くと言っていいほど吹いていなかったので、桜田濠の水面には正門石橋のアーチが綺麗に写っていました。奥に見える皇居の敷地内も綺麗な新緑に覆われていました。
正門石橋を渡った先は皇居の敷地となっていて、巨大な石垣に囲まれた「皇居正門」が設置されています。正門周辺も新緑の木々に囲まれていました。
正門石橋のすぐそばまで近づいてみます。撮影スポットの前から緩やかな上り坂を上っていきます。
桜田濠の水面を見下ろして撮影しました。広場を歩いている人の姿や、柳の木々と比較してみると、石垣の巨大さが解りますね。奥には霞が関地区の中央省庁街の高層ビル群が見えます。
二重橋・正門石橋と、併設されている皇居正門を脇から撮影してみました。皇居正門の元の名前は西の丸大手門でしたが、明治21年(1888年)の明治宮殿造営の際に、この門のすぐ前にあった高麗門を撤去し名称も皇居正門と改めました。
連日のように続く猛暑のためか、桜田濠の水中には藻が繁殖していて、水面が緑色になっていました。普段は決して綺麗とは言いませんが、普通の水面のはずなのですが…。
江戸時代のときは土で出来た「土橋」でしたが、明治20年(1887年)12月に現在のようなめがね型をした美しいアーチを描いた石橋になっています。
新年や天皇誕生日の皇居一般参賀時には正門が開放され許可なく渡ることができますが、普段は施錠されています。
二重橋・正門石橋と皇居正門を正面から撮影してみました。周辺には数多くの制服警察官が配置されていて、正門石橋は二重のバリケードによって閉鎖されていました。
本来の意味での二重橋である「正門鉄橋」を撮影してみました。江戸城の西丸下乗橋のあった位置で、木造橋時代に橋桁が上下二段に架けられていました。そこから「二重橋」と呼ばれるようになったのです。現在の鉄橋は昭和39年(1964年)に架け替えられたもので、橋桁は二重ではありません。
ズームで撮影してみると、鉄橋周辺の水面も藻の繁殖によって緑色に覆われていました。正門鉄橋は水面から物凄く高い位置に架橋されているのが解りますね。
正門石橋を渡って皇居正門を抜けた先は「枡形」の地形となっていて、正門鉄橋を渡った先が、テレビのニュース番組などで良く流れる宮殿前の広場へ出ることが出来ます。
二重橋から坂下門方向へ伸びている「二重橋濠」の水面を撮影しました。水面の高さと比較してみると、皇居の敷地はかなり標高が高い場所にあることが解ります。