
南東側から、千代田区の隼町地区内に建っている「最高裁判所」の建物群の全景を撮影しました。名実ともに、日本の司法の最高機関なのですが、霞が関や永田町の華やかな世界と比べると地味で目立たない存在ですね。

最高裁判所の敷地の南東角、三宅坂交差点前にはちょっとした広場スペースが整備されています。

「隼町」という地名ですが、徳川家康の江戸入府当初に、この場所に鷹匠屋敷があったことが由来となっています。戦国時代末期までこの場所は湿地帯が広がっていたのですね。

現在は最高裁判所があることで有名な隼町地区ですが、この場所一帯は江戸時代を通して武家地であったと言われています。三宅坂の由来となっている田原藩三宅家上屋敷は渡辺崋山が生まれ住んだ所としても知られています。

広場スペース内には「渡辺崋山誕生の地」の説明板が設置されていました。

最高裁判所の敷地内の広場スペース内から振り返って、国道20号線(甲州街道)の「三宅坂交差点」の全景を撮影しました。

国道20号線(甲州街道)の歩道を北側へ向かって歩き、最高裁判所の正門入口前に向かいます。

クロマツの木々に囲まれている最高裁判所の建物を眺めながら、歩道を歩いていきます。現在の最高裁判所の庁舎は建築家岡田新一によって設計され、1974年に竣工しています。

国道20号線(甲州街道)の面して設置されている、最高裁判所の正門入口前にやってきました。「最高裁判所」の文字が書かれている案内板も、クロマツの木々に囲まれているのがとてもいいですね。

東側から、最高裁判所の正門入口の全景を撮影しました。最高裁判所の建物ですが、裁判所と言うよりは大学キャンパス内にある図書館や食堂のような外観に見えますね。

元旦の散策だったので、最高裁判所の敷地内も人の気配は全くありませんでした。

明治時代初期から昭和時代前期まで日本に設置されていた「大審院」という組織が、現在の最高裁判所の前身的存在となっています。廃線後のGHQの改革によって、1947年に現在の最高裁判所が設立されています。

「大審院」という組織ですが、民事・刑事の終審として、特別裁判所(大日本帝国憲法60条、皇室裁判所・軍法会議など)及び行政裁判所(同憲法61条)の管轄に属しない事項について裁判を行っていました。

最高裁判所の正門入口前から振り返って、「皇居」の広大な緑地帯を見渡して撮影しました。こちら側から眺める皇居は、かつての江戸城の西の丸地区に相当しています。

人の気配が全くない国道20号線(甲州街道)の歩道を、北側へ向かって歩いていきます。

現在の最高裁判所の建物ですが、「最高裁庁舎耐震改修工事」が実施されています。

耐震改修工事自体は2014年8月から始まっているのですが、3年以上経過した今現在も続けられているのですね。
