みどりの野原

野原の便り

1月19日 恩智川から池島遊水池(イソシギ・カワセミ・ハクセキレイ・ムクドリ・ヒヨドリ・モズ・ケリ・)

2025年01月19日 | Weblog

風もなく暖かいポカポカ陽気。
川辺だから寒いかと着こんだ上着はお荷物になった。

恩智川から池島遊水池あたりの野鳥観察会におじゃました。


恩智川(おんがわ)は淀川水系の1級河川。
水の流れが緩やか過ぎて流れている方向がわからない。
右岸を南へ歩く。
恩智川は北流して、寝屋川に合流するそうだ。


何~んにもいないなと思っていたが、対岸にイソシギ。
コガモやマガモ・ハクセキレイなど。


マガモ・カルガモ 日が当たって羽根の色もきれいに見えた。

カワセミが川の上をス~~~ッと飛んで行った。きれい~~。


氾濫危険水位 避難判断水位 氾濫注意水位 などの表示板


川幅が広くなって湿地のようになってきた。


周辺にはたくさんの遊水池が設けられ、平常は市民に開放されている。
いくつかの遊水池は雨の降り方によって段階的に水をためるため。

これらを見ていると昔の人が川の氾濫でさぞ苦労されたことかとわかる。
川や遊水池や湿地は野鳥の生息地になっている。


コガモ 逆立ち採餌。


隠れ家になりそうな水辺。
クイナらしいものの姿はちらりと見えたが・・はっきり見たい。


階段を下りて遊水池になっている広場に降りる。
モズが枝先に止まって獲物探し?


広場で凧あげかと思ったら、ラジコン飛行機だった。


枯れたホテイアオイがびっしりの池。これは何とかしてほしい。
ダイサギやアオサギがいた。


何かの構造物の柵の上にいるのはチョウゲンボウらしい。
教えてもらって見ることはできたが、チョウゲンボウだか何だか・・
観察眼に感心する。

帰り道、今日はヌートリアを見ないと思っていたら・・


川岸に1匹いた。見ている分には可愛いものだけど・・
繁殖力が強く、野生化して各地に広がり、巣穴による畔の破壊や野菜への被害、在来生物への影響が強いとして、特定外来生物に指定されている。

元は、軍服の毛皮用にと海外から連れてこられ、戦後の食糧難には飼育しやすく、繁殖力が強いヌートリアは重要なタンパク源になると国をあげて養殖に力を入れ・・・
人間の勝手に振り回されている。

鳥合せでは26種+数種 記録された。

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1月18日 京都府立植物園(スノードロップ・オオアブラギリの冬芽・バクチノキ 果実・ロウバイ満開・水琴窟にヤマガラ・ヤバネヒイラギモチ・なからぎ神社・シマモクセイ)&「厄除け・魔除けの植物」

2025年01月18日 | Weblog

久々の京都府立植物園
少し早めに来て、午後からの講演の前にひと回りした。


ナルキッスス カンタブリクス スイセンの仲間 満開


スノードロップ 夜になると花が閉じ雫形になる。 見ごろ。


オオアブラギリ(シナアブラギリ)の冬芽。若い幹は緑色。
先日、うまく写真が撮れなかったので、今日は是非写真を撮りたい。
・・と頑張った。


バクチノキ 果実があったが、これは赤く色づいていた。

生態園に行かずに、あまり行かない半木神社の方を廻ることにした。


ロウバイ 満開 雌性期のよう。 


水琴窟の音を聞こうと近づいたら・・


ヤマガラが水を飲みに来た。 慌てたが‥写真を撮れた。
この後、ヤマガラは草地を歩き回っていた。
シジュウカラやエナガも見れた。


ヤバネヒイラギモチ(チャイニーズホーリー・ヒイラギモチ・シナヒイラギ)赤い果実 
老木のせいか葉の棘は少ない。


なからぎ神社にお参り。
『周辺の「半木の森」は園内唯一の自然林。開園以前からの植生を知ることができる貴重なエリアです』の看板あり。
林内に足を踏み入れることはできないが、カゴノキの大木があった。


カゴノキ 幹は鹿の子模様にはがれる。


イチイガシのどんぐりがたくさん落ちていた。

植物園外周から植物園会館の近くへ。


ヒマラヤスギ 球果がたくさんついていた。


何気なしに見ていたら「シマモクセイ」の樹名板が。(植物開館前)
見たかった木がこんな見やすい所に!うれしい。
キンモクセイと並べて植栽されていた。

2022.10.8 京都左京区黒谷町の「金戒明光寺」に連れて行ってもらった時、シマモクセイの大きい木があって「区民誇りの木」の札が立っていた。
材が固くて、ナタオレノキの別名があることも教えてもらった。
残念ながら花が終わったばかりで、ぜひ花を見たいとずっと思っていたのだ。
京都府立植物園なら来る機会もある。ぜひ花を見てみたい。

午後は、京都園芸倶楽部例会「厄除け・魔除けの植物」の講演。

疫病退散・魔除けの風習は。地方毎に大きく違い、その風習は急速に消えているというお話があった。

身近なところで見守ってくれている 屋根の鍾馗像・玄関の蘇民将来・角大師(知らない)・・
沖縄ではシーサー像(家の玄関の門柱の上にある)・三叉路の石敢當・玄関にヒンプン(知らない)・・

年中行事
初詣は氏神様で年越し。年越しそばを食べる。 
2日と3日は、人の少ない神社へ行き、ゆっくりお参り。
注連飾りは2年前から省略している。(部屋にはいろいろ正月飾り)
お節は縁起のよい食材を使って作り、食べる。
七草がゆは、自分で採りに行って作って食べる。
15日には小豆粥を食べる。
節分の豆まき。豆は後で食べる。歳の数食べるのは無理になった。
柊と鰯を飾る風習は、昔は家でもやっていたが・・今は鰯を食べるだけ。
そして、恵方巻を食べる(たいてい娘の手づくり) 
ひな祭り。小さいお雛様の飾りをあちこちに飾り、ひなあられやちらしずしを食べる。
端午の節句 家の中に飾りもの。柏餅は買ってきて食べる。
去年からショウブを採ってきて菖蒲湯を沸かして入っている。
お月見も買ってきた団子を食べる。ススキぐらいは飾る。
冬至はユズ湯を沸かす。

こうやって見ると、家では食べる風習は残っているようです。
私たちは、深く考えていなくても、いろいろと縁起や厄除けなどを取り入れて暮らしているものだと気づく。

節分の「柊と鰯」の風習は、会場の大勢の参加者の内、今もやっている人は数人だった。(京都の方)

節分の鬼除けは、ところによっては柊ではなく、トベラの葉を貼るところもあるそうだ。
鰯ではなく、ボラの幼魚イナやサンマの所もあるとか。

今治市ではタラノキにトベラを挿すところもあるらしい。
へえ~~の連続。
どちらにしてもこのような風習もだんだん見られなくなってくるのかも。

「雷避けにキササゲ」の話も。

見たこと聞いたことはあっても知らないことも多かった。

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1月17日 大阪天満宮 方位盤

2025年01月17日 | Weblog

今日で阪神大震災から30年とか。月日の経つのは早いです。
でも、直接経験された方にとっては気持ち的にはそんなに遠い日にはなっていないだろうと思う。
他人事ではないと思いつつ・・

今日は用事があって大阪へ来た。


天神橋筋商店街 
『大阪府大阪市北区にあるアーケード商店街。
天神橋を起点として、北は天神橋筋七丁目まで伸びる、全長約2.6キロの商店街。長さは日本一といわれる。
昭和レトロな感じ。いつも少ししか歩かないが、一度、端から端まで、2.6キロ、ゆっくりと、店も覗きながら歩いてみたいなあ。

いつもついでだが、大阪天満宮へ立ち寄る。


大阪天満宮 表門


大注連縄がかかる。


天井を仰ぎ見る。これは「方位盤」というそうだ。直径は164㎝もあるらしい。
東西南北と十二支の名と、そしてそれぞれの動物が彫刻されている。
変わっているのは 酉の位置に鶏ではなく鳳凰がいること。

これには
『方位の十二支は、北の「子(ね)」から始まり、東は「卯(う)」、南は「午(うま)」、西は「酉(とり)」となります。
ですから、西方には、本来なら「鶏」が据えられるはずですが、何故か「鳳凰」になっているのです。
その理由について、天満宮では、次のように伝えてきました。

──冤罪により左遷された菅原道真公が、大宰府へ向かう途次に、河内道明寺の伯母覚寿尼を訪ねられ、夜を明かして別れを惜しまれたが、鶏の鳴き声に出立を促された。このため、当宮では菅公の御心を思い計って、鶏や鶏卵はお供えには用いない。・・・』
(https://ameblo.jp/maturiya-umenosuke/entry-10338071974.html より)

今まで見ていなかった「方位盤」を見れてよかった。


大阪天満宮 拝殿前。いつ来ても参拝客が多い。
お参りしておこう。

用事も済ませ、また奈良の田舎に帰る。

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1月16日 橿原神宮 昼食会 ?ヒメリンゴ・オガタマノキ・アカマツ・ハクショウ 深田池

2025年01月17日 | Weblog


橿原神宮駅前で植木にバケツで水やりをしておられる男性の姿が見えた。
地植えの木に水やり?と思ったが、若木があるのかも。


駅前の黄色いポスト。
宮崎市と姉妹都市締結50年を記念して2016年に設置されたもの。
宮崎市と橿原市は、神武天皇に繋がる縁がある。
宮崎市の青島海岸や、高千穂峡にも「幸せの黄色いポスト」があるそうだ。


参道の途中にヒメリンゴ? 鉢植えなのによく実がついている。

橿原神宮
今年初めて橿原神宮に来た。


巳年の大絵馬 おめでたい松竹梅の図柄を配され、可愛い「巳さん」


タチバナが植えられていた。


さざれ石 
『細かい石の集まった隙間に炭酸カルシウムや水酸化鉄が入り込み固まってこのような一つの岩になりました。学術名は「石灰質角礫岩」』との説明板


立派なアカマツ

あまり人目につかない、北神門の手前奥に・・


ハクショウが1本ある。 中国原産の3葉性のマツ。


幹が変わっている。
樹齢を重ねると、樹皮はうろこ状に剥げて、その後がモザイク状になる。
幹だけ見ると、マツの仲間とは思えない。

私が初めてハクショウを見たのは、2007年京都大文字山へ行った時。
次は神戸の相楽園
その後、宇治市植物園・大阪公立大付属植物園・万博公園・住吉大社・大阪城公園・京都府立植物園・鶴見緑地などで見ている。
場所はよく覚えていない。

よく植えられている割には目立たないため気が付かない。


奉納された薦樽
昔、この中には酒がはいっていると思っていたが・・
お酒はビンで納め「樽は空の状態で奉納する」と知った。

横に奉納された会社名が書かれた板があった。


深田池 今日もヒドリガモとオオバンのみ。(カワウもいた)
どちらも「カモ」と思ってしまうが、ヒドリガモはカモ科だが、オオバンはクイナ科なので、カモではない。


社務所に飾られていたもの。手前は奉納された松の格花
気になったのはその背景になっているもの。
木の根なのか? 調べたがわからず。

その後、予約して下さった養生殿のレストランでランチと交流会。
普段あまり参加出来てないのに、ランチと交流が楽しみで参加。
久しぶりの人も多く、元気をもらって帰った。

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1月14日 ついでに・・耳成山

2025年01月14日 | Weblog

八木へ行く用事があって、ついでに耳成山に登ってきた。

途中で・・

絞り咲きの咲き分けの園芸サザンカ 初めて見た。


庭にレモンユーカリを植えてあった。


耳成山が見えてきた。
畝傍山・香久山と共に大和三山と言われる。
きれいな円錐形。畝傍山と共に火山由来ではあるようだが、崩壊、浸食などにより、元の形は残っていないそうだ。


耳成公園にある耳成池
遠くに水鳥が数羽見えたが、遠くて何かわからない。


耳成公園のそばから、山に入る。 
「耳無山山口神社」の扁額のある鳥居から参道への山道に入る。
この道は、耳成山山頂への最短コースのようだ。
耳成山は「耳無山」「耳梨山」などと書かれたりする。

鳥居の近くに「天神山」の石標があった。
耳成山は、昔は「天神山」と呼ばれていたそうだ。
そして、室町時代?には、天神山城があったという。知らなかった。




灯籠がずっと続いている山道。ふうふう体が重い。


耳成山口神社に到着 社殿に上る階段よこには大きい灯籠 狛犬が見える。
神社は標高約120m付近(耳成山の8合目あたり)にある。


狛犬 吽形 子供が前脚にしがみついている。


狛犬の前から見る。


右側 阿形の狛犬 
玉を押さえている狛犬はよく見るが、これは上げた脚の上に玉を載せている。


牡丹の花?を浮き彫りにした州浜や猫脚の台が良い。

「嘉永七年寅 正月・・」が読める。


耳成山口神社 本殿  祭神は高皇産霊神・大山祇大神


耳成山頂上へは、神社の左端から登る。


頂上の広場(この上)ベンチが置いてあった。


見晴らしは、ここ1か所だけ。 前の山は香久山のようだ。


頂上広場を少し登った所に「三等三角点」がある。
標高は139.7m 大和三山では一番低い。
タッチ。耳成山制覇!(笑)


下りは耳成山口神社まで戻り、水盤の近くから下る。


山道途中から階段道に入る。ここが近そう。

下って・・


ここへ降りてきた。「山口神社 山道」の石標があった。
頂上への道は何本もある。

登り口からは大分東へ来ているのはわかったが・・
乗ろうとしている「耳成駅」はどっちなのか?

途中で出会った人に聞いたりして・・


住宅地の庭に ソシンロウバイが芳香を放っていた。


キダチアロエ


思っていた所ではない方向に「耳成駅」があった。(方向音痴)

耳成駅、改修工事も終わって長いスロープが出来ていた。

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1月11日 長居公園(タイワンツバキ・タラヨウ・)・巳年展・長居植物園(トウネズミモチ・シナアブラギリ・アオギリ・トチュウ・スラッシュマツ・キョウチクトウ果実)

2025年01月11日 | Weblog

4か月ぶりの長居公園・植物園です。

長居公園 


厳寒期にも咲いているタイワンツバキ


センダン 果実はだいぶ少なくなっている。


タラヨウの果実

博物館入口に、今年も干支にちなんだ「巳年展」の展示


下の大きい蛾は「ヨナクニサン」上翅の先はヘビの頭のよう。
鳥はギョッとするでしょうか?
植えにはジャノメ(蛇の目)チョウの仲間。


ヘビノネゴザ(シダ)
高濃度の重金属に汚染された土壌でも耐えることができる。
銀山のそばで見たことがある。

他にも「ウミヘビの仲間」「ヘビトンボの仲間」「蛇紋岩」の展示もあった。

植物園


長居植物園・自然史博物館50周年記念樹として植えられた、クヌギ


ヒマラヤザクラ 
原産地はヒマラヤ近辺。11月頃から咲く。
花・艶のある若葉の出ているものもあった。
スズメ?ヒヨドリ?が花の蜜を食べに来て花をちぎったのか、花柄だけが残っているものも。


ラクウショウ 枝にボール状の球果が残っている。


メタセコイアと違い、球果は落ちると鱗片が崩れバラバラになる。
種子にヤニがついていて、触るとベタベタ取れにくい。


トウネズミモチ 鳥も食べるようだが、果実はまだいっぱい付いていた。
常緑で刈り込みにも強く、垣根に利用される。
繁殖力が強く「要注意外来生物リスト」に掲載されているそうだ。
果実は「女貞子」という若返りの生薬になるそう。
みんなの目が輝いた・・

緑色の茎の若木がたくさんあった。
アオギリ?と思ったが・・


円形で大きく、左右に托葉痕がある葉痕は、シナアブラギリとのこと。
葉や花があればすぐわかるが、冬はわかりにくい。

近くにアオギリもあった。


アオギリの冬芽 丸く、赤茶色の毛が密生している。
これこれ。見たことがある。
若い枝は緑色だが、大木になると灰色になって、幹だけではわかりにくくなる。


トチュウも落葉して枯れ葉がいっぱい落ちていた。
右は果実

 
グッタペルカというゴム状物質を含むため、葉や果実をゆっくりちぎると、
糸を引く。
グッタペルカの含有量は多くないので、ゴムとしては利用されないそうだ。


ムクノキの板根 ムクノキは板根になりやすいようだ。
熱帯では大きい板根になる木を見たが・・

今日、ふと思った。 どこからが茎で、どこからが根なの?・・


モミジバスズカケノキもだいぶ落葉している。
落ち葉の葉柄の基部は膨らんで空洞になっている。(写真悪い)
落ちるまで冬芽を包んで保護していたのだ。
落葉する時、帽子を脱ぐように外れる。「葉柄内芽」という。

マツ林のマツは高木だ。


スラッシュマツの樹名板
スラッシュとは、ぬかるみの意味 日本のマツより成長が早く害虫に強い。
樹皮がうろこ状にはがれるのが特徴の一つ。


落ちていた小枝。
スラッシュマツのもう一つの特徴「葉は通常3個束生するが、2個束生するものも混じる」
なるほど、この小枝には3葉と2葉が混じっていた。

下に松ぼっくりも落ちていたが、他のマツも植えられているマツ林、
「種鱗の棘は弱い」というが・・

3葉のマツは他にもある。
マツボックリ(球果)の区別はむつかしい。


キョウチクトウ 果実が1個できていた。
何回か見たことはあるが、果実はできにくいようだ。

他にもいろいろ観察しました。

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1月10日 下平田~越 ② 榎龍神・道標・豊年橋 豊年橋の碑・・飛鳥駅

2025年01月10日 | Weblog

「ミカン小屋」が判明したが、その後も面白いお話が聞け、初めての所もあった。




国道169号線の西側にある 「榎龍神御神体碑」
石材は豊年橋の石の半分が使われている。
しめ縄がかけられていた。

前は国道169号線。この国道を作る工事に伴い、少し北の岡寺へ行く3叉路にあったエノキの大木も伐られたそうだ。エノキには2匹の蛇が棲んでいて、1匹が犠牲になり、1匹も行方不明になった。
その後、いろいろと災難が続き、ヘビの祟りかといわれ、地元の人達が「榎龍神御神体碑」として祀ってからは不幸ごとも起こらなくなったという。

前を通っても意味がわからなかったが、説明を聞けてよく分かった。

少し南へ。


くっきりと深い彫りの立派な道標 文久3年(1863)の銘がある。

西面に、左)なら 京 大坂  南面に、右)岡寺 初瀬 伊勢 飛鳥社 香久山 多武峰 阿部道 などが読める。

少し南へ。

高取川に架かる現在の「豊年橋」

高取川に架かる現在の豊年橋。
国道拡張工事で豊年橋の位置は少し西に移動。
元の高取川はもう少し東を流れ、川幅も狭かった。

「豊年橋の謂れ」は、明日香村文化協会発行のブックレットになっている。
『高取川は大雨のたびに氾濫を起こし、板橋もその都度流され、田畑も荒れて村人は大変困っていた。
その高取川の改修と橋の付け替えに力を注いだ、地元越村で代々医者の家系で名医とうたわれた「服部宗賢」さん。
名声が高取藩にも届き、藩医に迎えられる。位も上がり、暮らしは豊かになったが、質素な暮らしぶりだったそう。

洪水で困り果てた人々を見て「今こそ普段からの蓄えを役立たせる時だ」と、私財を投じ高取川堤の修復と石橋の工事に取り掛かる。
食事を与え村人を石運びや工事に参加させ・・寛政8年(1796)石橋が完成。
洪水の心配がなくなり豊年がつづき、村人たちは誰いうとなくこの石橋を「豊年橋」と名付けた。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         
この宗賢が架けた石橋はおよそ160年の間人々の通行に役立った』(要約)

アフガニスタンで人道支援活動を続けた中村 哲医師を思い出した。

この石橋は、国道169号線の改修に伴い昭和36年に架け替えられ、現在のコンクリート橋になった。 


左)ほうねん橋の碑 中央)天照太神宮灯籠。右)道標
「道標」は寛政8年(1796)の銘あり。
服部宗賢による豊年橋改修落成記念に建立されたもの。
金剛山への道を示している。



「ほうねん橋の碑」石材は宗賢の架けた石橋の半分を使用。
宗賢の徳を偲んだ。


天真堂製薬株式会社 創業100年
地龍(ミミズ)エキスを配合した解熱鎮痛薬「みみず一風散」などを製造。
いつも気になって電車から見ている。


岩屋山古墳は入らず。墳丘の頂部の木に、ヤドリギが目立つ。

いつも通る道を左へ反れて登ると・・


称念寺 無住のようだ。初めて来た。


裏山を登って・・


8つの灯籠 あれっ?見たことあるぞ。
‥と思ったら・・


許世都比古命神社の境内に入った。

ムクロジの大木を見て、正面から下り、飛鳥駅へ向かう。


集められた4体のお地蔵さま。


越の道標 上部4面に仏像が刻まれている。
4面に彫刻がある。深く彫られ鮮明だ。
銘はないが、丹波佐吉作といわれている。

西面には、安政5年(1858)戌午年8月の銘
 服部甚兵衛建立(服部甚兵衛は、豊年橋を架けた宗賢の子孫なのかな?)
 台石は、称念寺寄進 (私はてっきり今井の称念寺と思い込んでいたけど、越の称念寺らしい)



下部の傷みがひどい。表面がはがれそうなところもある。

石材は花崗岩と書いてあるもの、石英閃緑岩と書かれたものもある。
花崗岩や石英閃緑岩には見えないなあ。(素人ですが・・)
砂岩のように見える(そう聞いたこともある)

とにかく、これは飛鳥を代表する立派な道標。
傷みがひどくならない前に、倒れない前に手当をしてほしい。

飛鳥駅に到着 
飛鳥観光の拠点として、シーズンにはたくさんの観光客が降りたつ。

近鉄が今の状態になるまでには複雑な過程がある。
『昭和4年当時には現在の橿原神宮前駅の名はなく、その前身「久米寺駅」があった。
久米寺駅~岡寺駅~壺阪山駅で、岡寺駅と壺阪山駅の間に駅はなく、設置を求める運動がおこり、橘寺駅の設置が決まる。

「橘寺駅」の位置は、真弓大字の近くの予定だったが、服部家が自分の土地(現在の場所)を鉄道会社に寄附して、今の場所になった。

 昭和45年に橘寺駅は「飛鳥駅」と改称された。
昔は各方面の人がここを利用したという』(資料要約)

ここでも服部さんのお名前が出た。

今日の半日コースはよく知る道筋だが、知らないことがまだまだ多い。
資料の準備、要所要所での説明もありがたかった。
すごいなあ。飛鳥。

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1月10日 下平田~越 ①耳なおし地蔵・「ミカン蔵(小屋)」判明

2025年01月10日 | Weblog

午後からのミニハイクに参加。
参加理由は、以前から不明のまま現在に至っているあることを調べて教えてもらうことになっていたから。


昨日は雪がチラチラして、家のあたりもうっすらと雪が積もった。
飛鳥駅周辺はお昼過ぎまだ雪が残っていた。
屋根からは雪解けの水がポタポタ垂れていた。

野外サークルのメンバーさんたちとは欽明天皇陵あたりで合流できた。


欽明天皇檜隈坂相陵のお濠にはマガモがいた。

そこから下ると169号線そばの「耳なおし地蔵」に出た。
時々通るところでもあり、私が聞こえの悪いせいもあり、親しみを感じる。


耳なおし地蔵


朝、一足早く来たので、格子のすき間からお地蔵さまを撮影。

お地蔵さまには耳がない。
『昔は耳があったが、ある日、朝風峠におられる朝風地蔵(あさかじじぞう)と喧嘩になり、耳を切られたそうだ。
(朝風地蔵も肩や鼻を割られたので、喧嘩両成敗となったそう)
耳を切られたお地蔵さまは、自分は仏だから聞こえなくても人間や動物の心がわかるが、人や動物は聞こえないと困るだろう。助けてやろうと思われたとか』(資料抜粋)
 
お堂の両脇には大小の錐が奉納されている。

お参りする人はその錐を耳に当てお願いすると願いを聞いてくださるという。
そして、治れば新しい錐をお供えするそうだ。


耳なおし地蔵の入口に建つ石柱
これは元、旧阪合小学校の校門だった。
3村合併で小学校が統合された際、ここに移されたという。
 
石柱の右側がひどく欠けているのは、戦争中1945(昭和20年)7月
米軍の戦闘機に襲われた時の弾痕の跡だという。
その時、学校に残っておられた校長先生が犠牲になられたそうだ。
平和そうな田舎の飛鳥にもこんな戦跡があったということを地元のサークル員さんからお話を聞いた。
昨日も「機雷」の話を聞いたばかりだ。

お話を聞くとわかるが、通りかかっただけでは気付かず、見ても何のことやらわからない。
是非、説明板がほしいところだ。

耳なおし地蔵の道路を挟んだすぐそばにある建物。

これは何の建物かを知りたい。

こんな建物が気になったのは・・
私は時々当てもなく歩く。そして面白いもの不思議なものに出会う。

子供と歩いていた時に、似たような建物をあちこちで見つけた。
以下の写真は2018年から2021年ぐらいの間に明日香の上平田 阿部山 栗原?あたりで見たもの。
何の建物だろう。ネットで調べてもわからず・・・
いろいろ考えて・・
うちの家族の間ではミカンを保存する「ミカン蔵」ではないかとのことで落ち着いたが、正解はわからないままで、地元サークル員さんに教えてほしかった。

 

 
小屋根が3つ
 
赤瓦の屋根         小屋根が4つ
 
小屋根が続く       小屋根が2つ
 
 草に覆われている    煙突もそうだろうか?
 
ハシゴがあった     低い二重屋根も同じではないかな?

いろんな形があるが、どれもしっかりした建物。

そして・・
調べてもらった結果、やはりミカンを保存する倉庫「ミカン小屋(倉庫)」でよかったようだ。 長年の疑問が解けてスッキリ。

『昭和30年代末ごろからミカン栽培が大変盛んになり、上平田や栗原でミカンをつくっていた。
ミカンは儲かるものとして平田や栗原でも山を切り開いて作り始めた。
11月末~12月に収穫。1月末~4月初めまで出荷。
小屋根がついたミカン小屋は風通しがよく、保存に適していた。
3年もすると家が建つというぐらい儲かったそうだ』

その頃、収穫したミカンを出荷まで保存した倉庫がこれらの建物だった。
今は倉庫は使っていないそうだ。保存や出荷方法が変わってきたのかな。
教えてくださってありがとうございました。

長くなるので②に続けます。

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1月9日 初雪 飛鳥駅から檜隈寺跡休憩案内所 ランチの後次年度計画

2025年01月09日 | Weblog

朝、カーテンを開けると、雪がチラチラ・・
プランターにもうっすらと積雪。  雪だ~。初雪だ~。

今日は里山クラブ自然観察会の初例会


みぞれの降る中、飛鳥駅から檜隈寺跡休憩案内所まで歩く。


冬枯れの野で生き生きしているのはヒガンバナの葉。
今の内にと光合成を頑張っている。


シロヤマブキ ヤマブキとは同じバラ科だが、属が違う。
シロヤマブキはシロヤマブキ科。 果実は普通4個ある。

ヤマブキに関連して「七重八重花は咲けども山吹の 実のひとつだになきぞ悲しき」太田道灌の故事を思い出すが、この歌は太田道灌が詠んだ歌ではなく、平安時代の兼明親王の歌で、後拾遺和歌集に納められたもの」と教えてくれたメンバーさん。


丸いモニュメントのようなもの。
戦争関連のものだとは知っていたが、今日は説明を聞いて詳しくわかった。
これは「機雷」だそう。写真の左側の石積みの上には忠魂碑がある。

「機雷」は水中に設置して、接触などにより爆発する兵器。
海のない飛鳥になぜこんなものがあるのか?

この場所には元、旧阪合村役場があったという。
忠魂碑の建設にあたり「山間部の村で、海軍思想に乏しく、海防の必要性が乏しい」と、「廃兵器の下付願い」を出し、結果、昭和3年11月呉海軍軍需部に廃品として保管されていた機雷が下付されたのだそう。
設置場所は「村役場忠魂碑前」  (ネットアメブロ参考)
 
統合で役場はなくなり、忠魂碑と「機雷」が残った。

海軍思想の普及を目的に、わざわざ機雷を取り寄せて、住民の意識を戦争へと向けさせていったと思うと怖い。 
まあ、これがどういうものかわかってよかった。


池ではカルガモとコガモの姿


マサキ 赤い果実が割れて、橙色の仮種皮に包まれた果実が覗いていた。


サザンカ 園芸種


ハボタンはキャベツの仲間。江戸時代に渡来し、観賞用として品種改良された。
キャベツが食用とされるようになったのは明治時代になってからと前に聞いた。


檜隈寺跡に建つ、於美阿志神社 
東漢氏の始祖 阿智使主(あちのおみ)を祀る。
元は道の西側にあったらしい。


檜隈寺跡休憩案内所  ひと休み。

ハボタンの話と、門松の竹の先を切るようになったのは‥の話。
以前に物知りさんから聞いた話をした。

硬貨に書かれている植物の話をしてくれたメンバーさんも。


机の上に並べて・・ (ネットに詳しく出ています)

戻り道。


実がたくさん付いていたレモン。


高取川のそば。新橋が出来て、なくなった旧真弓橋の親柱が残されている。

ランチの場所へ。


新年会で飲食しながらしばし交流。

その後、来年度の計画を立てた。

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1月7日 ヒマラヤザクラ 七草がゆ

2025年01月07日 | Weblog

ヒマラヤザクラ
先日大泉緑地で満開のヒマラヤザクラを見た。

そういえば、曽我川緑地公園にもあったはず。
今年最初の卓球練習に行ったついでに見てきた。


緑地公園の西側の土手に植えられているが・・
薄い花色は遠くからでは目立たない。


近くに行くと・・満開だ~。


堀の向こう側に植栽されている。


木によってはだいぶ葉が出ている木もある。

今日は「七草の日」 

早春にいち早く芽吹く春の七草を食べることで1年の無病息災を祈る風習は江戸時代から始まったそうだ。

先日(1月5日)採ってきた春の七草と、家にあったスズナ(カブラ)とスズシロ(ダイコン)を茹でて刻んでおかゆに入れた。


お正月のごちそう疲れ(?)のお腹にやさしい。
息子の作った五目豆・ムラサキ芋のきんとん・ユズダイコン・塩昆布と若鳥の二色巻き(正月の残り 買ったもの)

おかゆはお代わりもしてお腹いっぱい。

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