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みどりの野原

野原の便り

12月6日 今城塚古代歴史館・今城塚古墳公園・太田茶臼山古墳・新池ハニワ工場公園

2024年12月06日 | Weblog

高槻・茨木方面への、歴史フォローアップ研修会に参加。

バスの中で、今日の見どころ、飛鳥とのつながりもあるという。
跡継ぎを残さず崩御した25代武烈天皇の次になぜ15代応神天皇の5代後の子孫である継体天皇が王位についたかなどの説明を聞く。
最初は承知しなかったが、説得の結果即位したのは507年58歳の時。
しかもすぐに大和に入らず、河内国樟葉宮(枚方市)~筒城宮(京田辺市)~弟国宮と転々とした後、526年磐余玉穂宮(桜井市)に入ったのは526年。
531年息子の27代安閑天皇に譲位。
同日82歳で崩御したという。(古事記と日本書紀で記述は食い違う)
御陵は宮内庁が三嶋藍野陵に比定している。

なぞが多いが、継体天皇は実在が間違いなく、ここから現在の天皇家へと続いている。

今日は、①今城塚古代歴史館・②今城塚古墳公園・③太田茶臼山古墳・④新池史跡ハニワ工場公園 の4カ所を廻った。

①今城塚古代歴史館

 展示が充実。ガイドさんもすばらしかった。
 今城塚古墳についても詳しい展示があった。


後で行く「今城塚古墳」から出土した「本物の埴輪」が並んでいた。

石棺に使用された3種類の石棺材(阿蘇ピンク石(溶結凝灰岩)・兵庫の竜山石・二上山の白石(凝灰岩))の展示。


「阿蘇ピンク石」の触れる展示。
薄ピンク色で柔らかい手触り。彫りやすそうだった。

未盗掘で見つかったという「阿武山古墳」の展示
1934年、京都帝国大学の地震観測所の地下から偶然みつかったという。

石棺は夾紵棺で、中には50~60歳ぐらいの埋葬遺体があり、遺骸とともに金糸で刺繍された冠帽や、玉枕・錦の織物などが見つかり、冠帽は大化の改新で定められた大織冠の特徴がある・・などにより「藤原鎌足の墓」と言われているそうだ。
飛鳥で生まれ、大化の改新に力をつくし、談山神社に眠ると思い込んでいた藤原鎌足が、後年摂津三島に隠遁して亡くなっていたのは知らなかった。

②今城塚古墳公園
 今城塚古墳は、三島古墳群にある。
『6世紀前半に築かれた2重の濠をそなえる淀川流域最大の前方後円墳』
『学術的には継体大王の真の陵墓と言われている』
 『10年間の発掘調査の成果をもとに、広さ9ヘクタールの緑豊かな古墳公園に  生まれ変わった』(パンフより)


歴史公園から通路を通ってすぐそばにある。
そこには見たことのないような風景が広がっていた。


今城塚古墳 遠景 その前にたくさんの埴輪

そこは「埴輪祭祀場」というお祀りの場。日本最大級だそうだ。






円筒埴輪や家・太刀・盾・人物動物などの形象埴輪
発掘調査で確認された位置に復元配置されたという埴輪のレプリカ。
190点あるらしい。
圧倒された。
古墳の周りには6000本の埴輪があったそうだ。ひえ~~~!


内濠は半分水を溜めてある。
外濠は水なし。


水のない内濠を歩いて後円部に上る。
「天皇陵で登れるのはここだけです」とガイドさん。
ここは宮内庁の管理ではない。


墳丘に生えている木は鳥たちによって運ばれたものとのお話。
アベマキの落ち葉の中を上る。クスノキやエノキもあった。


3段築成の後円部の中心を示すマーク 
墳丘の盛り土を守る石組や排水溝・テラスの外縁には円筒埴輪が廻っていたこと・そこには2本マストの船のへら書きがあったこと・
古墳を作るのに1日200人で7年間かかった・・などのお話を聞く。



芝生の公園では親子の遊ぶ姿もあった。


フユザクラが咲いていた。

バスで移動

③太田茶臼山古墳(茨木市)
 「継体天皇三嶋藍野陵」


宮内庁によって「継体天皇三嶋藍野陵」に比定されている古墳。
大阪市北部では最大規模の古墳。途中で倍塚を数基見かけた。
5世紀中葉頃の築造と推定され、墳丘の周囲には盾形の周濠や周提がある。

現在は三嶋藍野陵が継体天皇陵と比定されているが・・
築造年代が継体天皇の没年と異なり、所在地も史書の記述と食い違うそうで、現在では「今城塚古墳が真の継体天皇陵」とする説が有力視されているそうだ。

次に移動。

④新池ハニワ工場公園(高槻市)
ここもビックリ。
「ハニワ工場」というのも聞いたことがなかった。
ここは太田茶臼山古墳や今城塚古墳・・などの大量のハニワを作った工場の跡。
ハニワ窯は全部で18基 作業小屋(工房)や工人の住居もあったそうで、断続的に100年間使用されたそうだ。


最初に太田茶臼山古墳のためにつくられた1号・2号・3号の窯。
左はハニワ窯の発掘調査中の様子を再現。

その後、窯5基と住居7棟が作られ、番山古墳のハニワを焼き・・
530年頃、今城塚古墳のたくさんのハニワ作りのために、窯10基が造られた。


斜面を彫り込んで造られたハニワ窯。
発掘した跡はサツキの植栽で位置と大きさを再現してある。
(18基の全体像は撮れません)

ここには、窯が築きやすい斜面・粘土や砂が得やすい。近くに燃料となる松林がある。水を得やすいことなど、ハニワ工場の条件がそろっていたようだ。




作業小屋(工房)
ここでハニワをかたちづくり、陰干しで乾燥させて、窯で焼く。


作業小屋(工房)の屋根はカヤと杉板葺き。釘は使っていないそうだ。
天井は高く夏は涼しそう。冬は・・寒そう・・
1つの棟で20人ぐらいが作業していたとか。


遊歩道沿いにはハニワのレプリカが並ぶ。


漫画での説明もわかりやすく、子供も大人も楽しめる工夫。


最後に窯の内部を再現したドームを通り抜ける。


ハニワ窯の様子

すべての見学が終わり、バスに戻る。
橿原まで1時間ぐらいだった。

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