梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

八ッ場ダム

2011-12-23 08:03:43 | 雑記
八っ場ダムの建設問題が二転三転する、大体民主党が政権に就いた選挙ではマニフェストの大きな項目だった筈だが1年余りで引っ込めてしまった、マニフェストと言うのは少し前の選挙公約とは違い、概念的な物ではなく「必ず実行する、出来るまで努力する」と言う物ではなかったのか?
基本的な問題が有る、何故八ッ場ダムが必要なのかと言う問題である、
国交省は「治山治水に重要である、」と言う立場の様だが学識者の意見は全て「必要であると言う為のデータを並べている」と言う、推進したい所の数字だけならそうなる事は明白だ、逆に反対派の数字はそう言う数字になるだろう、互いにその数字を検討するなら解るが国は「こちらの数字は正しい」と言う事に拘泥し他の意見は無視もしくは排除していると言う、
その前は「関東近県の水を確保する」と言っていた様だが此れは近年減少方向である事が白書で明らかになったので最近は出して居ない様だ。
ダムの有る群馬県、埼玉県、東京都が推進派の様だが東京都は何を持って推進したいのかが良く見えない、まあこれは報道の在り方にも問題が有るとは思うのだがこう言う問題の全体が解りやすく書かれている事は少ない、
群馬県は当然推進だがこれも何故こうまで積極的なのかが見えて来ない、「建設と言う方向で代替え地に移住までした所で中止→再開→中止となっては」と言うのだろうが実際此のダムが出来る時には大反対を押し切っての建設だった筈だ、無論今ここまで来て又元に戻ると言うのも「生活設計が全く出来ない」と言う河原湯温泉の経営者の言うとおりだと思う
此処まで拗れるとどうやっても丸く収まる訳もない、元々政治は「国民全てが納得する」などと言う事が出来る訳もない事は間違いないのだがこの問題はどう言っても両者とも納得出来ない結論になるだろう、
関係住民以外は傍観者の様に思うかもしれないが此れにつぎ込まれるのは国税である、理論的に不要であるならこの厳しい財政からの支出は止めて貰いたいのは当然だろう、消費税は「黒字財政にするには16%が必要だ」と言う議員も出ている、恐らく財務省辺りから吹き込まれたのだろうが増やす前に減らさない算段を徹底的にやって貰うには「数値的に不要」な支出はNoだと言いたい、極論すれば「推進3県の財布でやったらどうだ」と言う事だろう、
まあ、都民である我々から出る事にはなるが其れを強行すれば石原都政にはNoを出す事になるだろう

若干の危惧を抱く橋下大阪市長の手法

2011-12-22 10:03:47 | 雑記
大阪市長の話が取りざたされている、話を聞いていると確かに正しいと思われる事が多い、大阪市民は都民より少ないのに職員は多く当然その支出も多い、此れは問題なのは当然だろう、東京ですら多いと思っているのだから、それでも都の経済は未だ黒字だからその追求は緩いが赤字なら言語道断であると言うのはその通りだと思う、
教師は絶対に失業しないと言うシステムも他の公務員と同様に公務員の質を下げる原因なのは間違いない、が、彼の行動は危険な感じがする、確かに政治はある方面強引である必要は有る、
民主主義はある面多数決の方式である、極端に言えば51対49だったら49は棄てる方式とも言える、しかし採決した方針が正反対だったら僅か2%の違いでマイナーの烙印を押された側は不利益を蒙ると言う事になる
かと言って最大公約数の意見を取れば恐らく全く前進しない所かかえって不安定になるだろう、今の政治の現状正しくそうだろう、
豪腕は上手く行っている時は非常に効果的だがひとつ間違うと大きく悪化してしまうだろう
今の橋下氏の廻りには彼の意見に賛同する者とその集票力を求めて擦り寄ってくる連中だけしか居ないように思える、後者に関しては上手に利用するくらいの強かさはある様には思えるがせめて熟慮する為の反対意見を言えるブレーンを置く事を期待する、
アクセルだけでブレーキが無い、若しくは効きの悪い車は重ければ思いだけその危険が増す事を理解しているとは思うが付和雷同だけは避けてもらいたいものである

日比谷公園の昼下がりをスマフォで写してきました






冬の公園

2011-12-21 09:14:58 | ぶらり
久しぶりに少し歩いてみようと言う事で色々と探す、中々行った事の無い場所と言うのはこの歳になると少ない、ましてや都内となれば尚更である、女房がテレビで見たという昭和の家が並んでいると言うところを探すが見つからない、替わりに上野公園に「下町資料館」と言うのが有るらしい、とり合えず此処を見に行こうと言う事に成った、
場所は不忍池の辺にある、小さな2階建ての建物だがまあ我々の世代には「有った、々」と言う懐かしい所だった、小学生か中学生位の女の子が親と一緒に来ていて設えられた銭湯の番台に座って居た、「こっちが脱衣場?見放題じゃん!」と言うのは面白い、「見られ放題ではなくって見放題と言うのは何なんだ?」と女房と笑った。
池をぐるりと廻り、公園の茶店風の所で珈琲を飲む、周りはビルなんだが何となく鬼平犯科帳の風景を思い出す、








鴨やら鳩やら鴛やら色々鳥が居てみんな看板は無視して餌を与えているが中に雀にパンを上げている年配の女性が居たが手から直接食べていた、臆病な鳥なんだが都会の鳥なんでかな?
其処から清水堂を経て公園に向ったらストリートパフォーマンスをやっていたのを見てから昼を取りに駅に出る、サントリーの直営店と言う小さなレストランに寄ってランチプレートとチーズハンバーグを取ったがどうも昔の列車食堂のランチの雰囲気だったな、
御徒町まで歩いて芝離宮を見に浜松町まで行く、北口から降りると歩いて2分程度にある、入り口に「65歳以上は半額」と有る、女房は今月4日に65歳になった、しかし証明できるものを持っていなかったので「試しに聞いてみな」と言う事で聞いてみたら「誕生日は?」と言うだけで入場できたのはラッキーだった、もっとも150円→70円だからそう大した物ではないのだが
此処は明るく広い庭でそこそこしか入場者が居ないのでのんびり出来たのは嬉しいが園としてはどうなんだろ、まあ都がやっているから良いのか、





今年ももう後10日余りだ、来年はもう少し良い事があるだろう

水戸黄門漫遊記と悪代官

2011-12-20 08:33:03 | 雑記
水戸黄門が終わったらしい、42年も続いたのは驚異的だがTVで見た事は余り無い、
勧善懲悪の解りやすい構成が安心してみていられる要素なんだろうしああ言う風に困っていると現れて「天下の副将軍である」と言う絶対的な力で世直しをすると言うのが有ればと憧れる物だ。
最初は映画で何作もシリーズになっていたがその頃お決まりに悪代官物と言うのがある、
実際には代官が年貢を決められるわけでもないが話の中では不作に困窮する農民に対して「今年から年貢は七公三民である、隠し立てをすると為に成らんぞ」と書き物を示して集めた年貢米を悪徳商人と結託し贅沢な暮らしをすると言う物だ
実際に藩財政が切迫し年貢を上げたくとも民は既に困窮の極みにあるので大名自身が徹底的に節約し、藩主自ら一汁一菜で切り詰め何としても藩を立て直すと言う名君もかなり居た
その頃の武士は他に仕事を持っていないのといざと言う時には命を差し出さなければ成らない為に武士を減らすと言う事は出来ない替わりに家事一切を奥方がする事も少なくなかったと言う
今、日本藩は藩内の産業が全く立ち行かず年貢ですら払えない様な民が多くを占めている
しかし、城内の武士(としては余りに卑雑だが)達は贅沢を止めることもせず更に年貢を増やすと言う算段をしている、
江戸時代の名君の様にはとても行かず相変わらず絹を纏い贅沢な食事をし、豪華な籠に乗っている、其れを維持する金に年貢が廻るのでは民はたまった物ではない、
年貢を上げなければ藩財政が成り立たないなら年貢の基を作り出している民が生きてゆける様に手当てをしなければなるまい、
そして其れより先にその贅沢な暮らしを民の暮らしまで下げ、城勤めの人数は限界まで下げて行かなければ民の納得は得られるはずも無い、
民主党は黄門様ご一行所か代官が替わっただけ、前任の代官が躊躇していた年貢増までやるという、
感情的な意見だが本当に今の政府は悪代官とその取り巻きとしてはビジュアル的に嵌っているな
本当に黄門様の印籠を願う物だ

金正日の死、韓国との関係

2011-12-19 19:01:04 | 雑記
金正日が死んだ、三男の錦正恩に権力を継承すると言う、北朝鮮は社会主義国である、経済的には共産主義だが実際は独裁封建主義に近かっただろう、
度台社会主義で親から子に権力の継承と言うのは全くなじまない話で既にその所からして社会主義とはかけ離れている。
朝鮮と言う言い方は蔑称のニュアンスが有るらしい、韓国と言うのが正しいのだろうが南北に分かれているので韓国と北朝鮮と言う言い方になっている訳だが本来同じ民族である、
歴史では常に何処かの属国と言うような成り立ちを持っている国だが民族としては古く独立した文化を持った国でもある、
独自の文字(浅識なので本当は違うのかも知れない)を持っている国と言うのは実際には余り無い、
ヨーロッパの文字は殆どがギリシャ文字か其処から派生したローマ字である、ロシア文字もこの変形だ、
和文字は承知の通り漢字である、簡略字であるひらがなとカタカナに独自に追加した文字が有るが元は全て漢民族の文字を使っている、
イスラム文字やヒンズー系のサンスクリットが有るが国独自の文字と言葉を持っていて現在でも通用している国は少ない、
無論他の民族が使っていないのでメジャーだとは言えないが文化として誇れる物ではないかと思う、
永い歴史が有りながら他国の影響を全く受ないで国を運営した事が見られないのは何故だったのだろう、地理的条件なのかその国是が儒教と言う精神的な政治倫理の為だったのだろうか、
儒教の教えは争いを極力排除する、その為に名より実を取って属国と言う地位であっても文化的な独立を選んだのかもしれない。
しかし、その生き方が力の論理世界で最前線を担わされ、民族国家の理論とは関係なく半分に裂かれてしまった、第二次大戦の勝者同士の分け前分配で国を裂かれた民族は何カ国か有った、
ドイツとベトナムもそうだったのだが戦後30年前後で統一を果たしている、未だにドイツには分裂時代の経済格差とその後遺症がある様だが民族同士の憎みあいは薄れていると聞いた
ベトナムは自由経済側が撤退する形で統一したが結局社会主義は統一後に自由経済に置き換わった、自由経済の弊害は今国内の経済格差として膿んで来ているが社会主義、共産主義はやはり極貧の庶民が国の多くを占めた時にはその反発として成り立ったかも知れないがある程度豊かになれば人間性善説では社会を律する事は無理だろう
社会主義と言う名前の独裁を続けている北朝鮮だが我々に理解しがたいのは同じ民族でありながら朝鮮戦争当時にその親子兄弟まで引き裂かれて出来上がった国家であるのにあれだけ憎しみを込めて争うと言う事である、
代理戦争だった筈だが今年の砲撃事件や漁船への銃撃などはまるで積年の恨みと言う様な感すら覚えてしまう、
今回の継承でどんな変化が起きるのか解らないが我が国としては南北統一の一助に成る様な協力が一番望ましいのではないだろうか、過去に我が国が彼の国に与えてしまった間違いに心から謝罪し、又謝罪を謝罪として受け入れ、新たな関係を前向きに構築して行く事が大事ではないだろうか