梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

映画の話、1980年頃

2011-12-18 08:01:36 | 雑記
エイリアンを見たのは何時頃だったのかと調べてみたら1979年作品となっていた、今から32年も前だったのか、と言うと32歳と言う事か、
この映画は当時行きつけの飲み屋で客だか従業員だかわからない女の子と見に行った、
年齢は(13歳年下だったな)と言う記憶が正しければ未だ19歳だった筈だが「未成年者が酒呑んでいいのか」とからかっていたからそうだったのだろう、店のママの知り合いでちょくちょくと来ていて忙しくなるとカウンターに入ったり運んだりして大抵看板まで居た。
両親が青森出身で川崎の麻生区に住んでいた、色の白い大きな少し透き通った茶色掛った大きな目を持つ大柄の子で良く笑うので店でも人気のある娘だった。
その後色々あったがその頃は飲み屋でアルバイトしている若い娘と言う印象しかなく30代の自分にとっては妹の様なものだったし第一女性と個人的な付き合いを余り考えて居ない時分だったので休日電話が掛って来た時は少し驚いた、
「エイリアンを見たいけど怖そうだから一緒に行って」と言って来た、自分も映画は嫌いでは無いので川崎の映画館に一緒に行って来た、
第一作のエイリアンは恐らくシリーズの中で最高の出来だったのではないだろうか?その後3まで見たが映画館に足を運んだのは此れだけだった、
エイリアンの姿も秀逸だったがその出し方が効果的だった、主演はシガニーウェバーと言う女優が演じていたリプリーと言う女性、小気味良い役所をそのままに演じていてその後の作品でも彼女に依存する部分が殆どだったが此の女優の作品と言うのはあまり見ない、確かその後全く逆の弱い女性を演じた作品が有ったらしいが日本では掛らなかった。
当たり役を得た俳優はそれが売れれば売れるほど次の作品が難しくなる、007のショーンコネリーも暫くは新しい作品に出られなかった、特にシリーズ物はその間違う印象のキャラクターは出来ないのだろう、初代ターザンは其れに悩んで自殺した様な記憶が有る
「男はつらいよ」の渥美清氏も恐らくあれだけ売れた事で「俳優・渥美清」をあきらめたのlではないだろうか、結局[渥美清」は「ふうてんの寅さん」と心中してしまったのではないだろうか、
正しく「ふうてんの清はつらいよ」だったような気がする

花梨、甲府盆地の縁

2011-12-16 19:36:37 | ぶらり
最近都内で花梨の実を見かける事が増えて来た、気の大きさから見て今まで気が付かないで見過ごしていただけの様だが街路樹にもある様だ、
花梨の花は杏の花と似た白い花を咲かせる、好きな花なのだが余り写真なぞには出ない、
花梨の実は食べられないらしい、食べても害があるわけではないのだが硬くて不味いそうだが香りが良いので「花梨酒」にしている事が多い、確か咳止めに蜂蜜漬けがあった様な気がする、
どう言う訳か私の田舎ではあまり見ない、この実を始めて見たのは山梨の農道だった、甲府盆地を取り囲む山肌に葡萄畑が有ってぐるりと農道が廻っている、秋を過ぎて葡萄の葉がずべて落ちてしまうと見晴らしの良いドライブ路になる、
特に北側の道は南に甲府盆地を望みその先に雪を乗せた富士山が正面に見えて実に気持ちが良い、この道路をぼんやりと走っていた時に少し下の畑に何本か葉の殆ど無い樹に薄い黄色のレモンを大きくした様な実が生っていた、葉は殆ど柿の葉に近いが黄色と赤に色付いた物が何枚か残っているだけで実だけが目立っていた、この時に山梨生まれの友人から「花梨の実」だと教えて貰った、食用に適さない事もその時に聞いた、「幾ら放って置いても鳥が喰わないから相当不味いんだよな」と言う通り他の樹にも花梨の実はしっかり生っていた。
花の方は蒲田にある中学校のフェンスの中に咲いていて「綺麗な花だな」と思っていたら夏を過ぎたら花梨の実に成っていて(ああ、花梨の花だったんだ)とその時に知った、
山梨の丘の上は最近フルーツパークが出来て日帰りの温泉も出来た「ほったらかしの湯」と言うそうだが此処から見る夕焼けの富士山と既に暗くなった甲府盆地の夜景は見物なのだが止まるには近いし夜に成って帰るのも辛いので余り言っていない、
前に甲府の日帰り温泉を巡るのに凝っていた事が有るが又言ってみるか

生活保証を民間にさせるとは

2011-12-15 08:16:09 | 雑記
65歳までの雇用義務化案と言うものが上程される、しかし企業側は反対の意向だ、とうぜんだろう
日本の給与所得者の7割以上は中小以下の企業に勤めている、
生産の海外移転で更に此れは減ってくるがこの被雇用者を大手が吸収する事は先ず無いだろう、
少なくなる受注を受けうる為に更にコスト削減が迫られる、コストの割合は人件費が一番多い事は当然で其処に皺寄せが来る、中小企業に余計な人件費を支払う能力は既に無い、
高齢者を5年雇い止めと言う事は当然若者の雇用を圧迫する、しかし企業側としては若者を雇い入れて行かなければ将来の展望が築けない、新人が戦力になるのには最低3年は掛かる、ベテランのノウハウを受継いでいかなければ企業は成り立たないがその若者を雇う資金が無くなるのだ
公的な保証協会ですら従業員の平均年齢と経営者の年齢を貸出の審査基準に入れている、
企業の借入れ返済期間は10年から長い物だと30年に渡る、借入れを返済出来る年数より従業員の加齢の方が進んでしまう事は返済能力が継続し難いと判断するのも当然だ、
企業も家計も収入から支出を引いて残らなければ成り立たない、今回の政府案は企業に公的な保証である年金分を肩代わりさせる案でしかなく国の支出を企業に肩代わりさせると言う法案だが国が此れは「税収が上げられないから保障費を代われ」と言うことに他ならない、ギリギリの経営をしている企業にはそれ以上の企業収入を用意してくれなければ成り立たない事は明白だ、
先に景気の浮揚策を策定しなければ結局更に失業率がさがり生活保護などの最終保証が増えてしまう、
経済と外交を実効の有るリーダーを強く望む

歳のせいで無いならこれが自分の中身だ

2011-12-14 17:53:18 | 雑記
図面の仕事が此処1年半位急激に下がってしまった、一定量の仕事が確保できなければ社員を維持する事は難しい、借り入れで給料を支払うのも限界がある、
段々社員や外注先も細って来てたまに入る仕事も全額で10万前後のものだけだ、外注に廻せば殆ど手元に残らない、何とか自分で作業をして間に合わせて来たが元々社員にやって貰って自分は営業と経営をやっていたので知識はあっても技術は稚拙の物だ、
自分では認めたくないが体力も注意力も下がって来た、結果クオリティの高い成果品が出せず段々と信用を下げて来た、
今回2人で一週間程度の予定で仕事を請けたら先方から「そんな金額は払えないから」と言われて1人で頑張ったのだがそれがケアレスミスを生んだ、本人はかなり注意して再三見直していた筈だが結果は少し見れば直ぐわかる様なクオリティの悪い成果品を送ってしまった、
此処半年ほど同じ様な事をしている、認めたくは無いがもう売り物になる技術は無くなってしまった様だ、潔く現業を諦めようと言う気分と(未だ出切る筈だ)という思いが交錯する、
しかし、幾ら頑張っているつもりでも成果が出ないのでは仕方が無い、若しかしたら歳のせいではないのかもしれないが其れも余り認めたくない気もする、
年の暮れである、心機一転新しい仕事に軸足を変えないと成らないな、
特許申請をした物があるプロジェクトに使う事になってその関係でプロジェクトその物に参画する事になった、1年以上やって来てやっと見えてきたのでその仕事に移行出来るのだが今まで培って来たと思っていた物が崩れてしまったのがいかにも残念だ、
まあ仕方が無い、今回のプロジェクトは今までの業界とは違って此れからの仕事だ、
明日を信じて厳しい年末を乗り越さなければなるまい

映画の思い出・音楽

2011-12-12 20:04:55 | 雑記
私が初めて「レコード」らしき物を手に入れたのは中学2年の頃だったと思う、「らしきもの」と言うのはレコードの廉価版「ソノシート」と言う物だったからだ、
今ではレコードはCDやMDになり其れも無くなってメモリーに入れて置く時代だから団塊の世代位しか覚えていないだろう、
薄いビニール様の正しく「シート」で透けて見える物だった、その分色も綺麗で印刷も出来るので雑誌の付録に付いて来る事が多く自分も最初のソノシートはこのおまけだった、
何についてきたのかは覚えていないのだがA4を横綴じしたようなグラビアでそれ自体が付録だったのかも知れない、
アメリカ映画のスクリーンテーマを収めたものでギャング物、暗黒街物と言う物が何曲か収まっていた、曲自体良く覚えていないのだが丸顔の小柄のギャング「ミッキールーニー」と言う役者の葉巻を咥えて気取った写真が妙に記憶に残っている、
その頃から映画音楽と言う奴に傾倒した、アメリカ映画は戦争物、西部劇が多く音楽も好きな物が結構ある、戦争物といえばやはりミッチミラー合唱団だ、「戦場に架ける橋」のクワイ川マーチ、史上最大の作戦のテーマ、「北京の55日」のマーチと一世を風靡していた
西部劇では「OK牧場の決闘」、「シェーン」「大いなる西部」「アラモ」「リバティバランスを撃った男」等々、曲の記憶が無いものもかなりある、印象に残っているのは「片目のジャック」のマーロンブランドだが晩年の「ゴットファーザー」も独特の存在感が有って貫禄の演技だった、
彼のデビュー作の「欲望と言う列車」は最近DVDでみた、チンピラ小僧が実に嵌っていたのが妙におかしかった、性格の悪い女性を「風と共に去りぬ」の女優が演じていたのも見所だったが
スクリーンテーマで言えばやはりフランスとイタリアを抜きでは通れない、
フランス映画のストリングスは喫茶店やレストランで流れていて多くの楽団やソリストが演奏していた、ヨーロッパ映画はアメリカほど勇壮ではなく恋愛物が多く、曲もその分哀愁が有る物が多いので我々日本人には受けたのだろう、
CDで結構買い集めたが殆ど散逸してしまったが又集めてみようかと思っている