梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

開戦の日は反省の日だろうか

2011-12-08 16:18:48 | 雑記
12月8日、開戦の日である。自分は昭和23年の生まれなので戦争は体験していない、
しかし周りには戦争体験者が随分居た、世の中も戦争の後遺症に苦しんでいて皆貧乏だった、
親達が酒を飲むと戦歌を歌って必ず涙を流すのを良く見た、
物心がつく頃には景気もよくなって来て「進駐軍」と言う言葉は段々聴かなくなってきてGHQも居なくなり、やがて安保闘争が起き、自衛隊は軍隊ではないのか、戦争の放棄はどうなったと言う議論に学生運動が大きくなり、デモが頻発するようになった、
中学を出てそのままひたすら働いていた自分達と同じ世代の連中が巻き起こす騒ぎには正直(親のすねがじりが)と言う気分も有った、
未だ電車の中に傷痍軍人と言う白衣に戦闘帽を被り松葉杖を突いた人が廻っているような時代でも有った、
職業軍人と言う自ら選んで戦争に行った人達には軍人恩給と言う支給があり、赤紙と言われた召集令状一枚で前線に送られた普通の人達には何も無かった、
何となく納得の出来ない戦後をみつめながら釈然としない数十年が過ぎる、今でもあの戦争は何だったのかと色んな本を読んで見るが全く自虐的な物と、あの戦争はアジアの為に役に立ったのだと言う「大東亜共栄圏」の亡霊の様な本が頒布されていてどちらもしっくりと腑に落ちる物は無かった、
私は司馬遼太郎氏の本が好きで殆ど読んだ、小説以外に「司馬史観」と言われる文が有るがこの分析が一番しっくりと腑に落ちた気がする
戦争が起きる原因は宗教と経済が根本にある、しかし万物神の古代宗教と中国の儒教の影響を受けた仏教を宗教とする地域では此れが原因の戦争は起きた事は無い、どちらかと言えば哲学的であり、自己を見つめる事が有っても其れが他のせいだとする宗教風土は無い。
経済が原因の物は人口の増加による食料問題が根本にあるが戦争を起こす原因は其処ではなく一部の権力が拡大政策を突き進めて起きる事が多い、それでもあの戦争までは日本人は戦争は経済であると言う事を充分に理解して居た、経済で戦争が起きるとしても戦争そのものも基本は経済なのである、経済は自己消費より多い生産が発展の条件だが戦争は消費そのものであり、その為に更に戦争を広げるという矛盾がある、
東南アジアに覇権を広げていたヨーロッパ列強と言われる国々がその植民地政策から撤退を迫られている時期に日本は同じ轍を踏んだ、
海軍はこの戦争に反対だったと言う、しかし陸軍が強力に推し進めて戦争に突入した、
この陸軍の後ろ盾になったのが「統帥権」と言うもだと司馬氏は書いていた、
海軍は南方に戦線を広げれば兵站が大きく伸びてしまい制海権を担保するだけの戦力を維持するのにはとても間に合わないと言う事を知っていて天皇に上奏したがこの統帥権で阻まれてと言う
世界経済と日本の関係はあの当時とは違うが国内政府はあの当時に近い感じがする、
軍部の代わりに官僚組織がすわり国の行く末より官僚組織を優先している様な感じが否めない
彼らは戦争に突っ込む代わりに日本を何処に向けて走らせて行くのだろうか
政治家と官僚組織に有効な組織、法律を作らなければならない。