新しい日常を目指せと安倍が言う。安倍の前に経済産業大臣の西村が「新しい生活」と言っていたが、安倍は同じ表現は使いたくなかったのか、「日常」とした。どうでも良いけど、明確にこれが新しい日常だとは説明できないから、毎度のこと医療関係者は外出を8割ではなく・・・都知事が言うように5割程度で、やはり3密になることは避けて欲しい・・・とかいつも設枚不足の安倍の言葉を補完している。要は経済状態が気になるから、早く元の経済活動に戻らせたい・・・と思っているだろう。PCR検査などの基準で、検査を可能な限り行わなかったことや、37.5度が三日以上続いているかどうかなど、コロナウィルスの実体が良く分からないうちに、色々制限をかけておきながら「我々は誤解だと思っている・・」とか言ってしまって、感染症特措法に最高権限者にされていたにも関わらず、その後ご無沙汰で、、政府の説明は西村にとって代わったが、この男、早口でまくし立てて、言っていることがなんだか良く分からない。
緊急事態宣言解除という訳で、昨日、今日と株式市場は右肩上がりで、一月前の状況まで戻している。その内利食いがあり、また第二波の状況を心配して再び暴落があるだろうから、もうすぐ売った方が良いだろう・・・なんてね。期待感があるのは理解できない訳でもないが、多くの実害を被った企業が経済状況を回復させられるのは、相当に時間がかかるだろう。政府が経済活動を回復させる前に、今日明日のご飯が食べられないと訴えている人たちのための補助金交付は、相変わらずのお役所仕事で8枚から申請書を書かせて、効果が薄すぎる。いつまで経っても上から目線の安倍政権の西村はこれまでとは違った働き方としてIT技術で自宅で仕事ができるように成果が得られたとか強調していたが、企業が自宅で仕事を済ませるのにイライラしているだろうことは想定外らしい。「この国独自のやり方」でコロナを克服していると、自分たちのお陰でうまくいっている様な発言は、コロナのどさくさで憲法改正、黒川検事総長とか狙っていても無理だと分ると、相変わらずのごまかしの性格が出ている。コロナはそんなに簡単な相手ではないことは国民の誰にもわかるだろう。一年先延ばししたオリンピックも、この国だけがコロナを終息させても、世界中で乗り切れない以上、開催は無理だと思わないのだろうか?無駄遣いが好きなのは安倍のマスクのやり方を見ても反省しないことが良く分かる。
今のこの国には、今までのやり方を反省して、コロナ後の在り方を考えられる指導者が必要だ。トランプのアメリカは金融緩和にゼロ金利政策に踏み切った。アメリカ国内の金融市場に大量の資金が流れ、株価は経済状況に反して高騰しているようだが、グローバリズムの法則に乗っていた、これまであった海外の投資先には勿論資金は回らない。経済の専門家もこの先起きることが良く分からないという。私にも言えることは世界中で、これまで経験しなかった経済損失が生じていることだけは確かだ。
人はいい夢は見ても悪い夢は見たがらない。「時間がかかっても、いつか元に戻る」と思いたいのはやまやまだが、そうはいかないだろう。少しはペシミスティックに考えるべきだ。トランプが自国第一主義を唱えてから、グローバリズムで経済復興や再生を行ってきた国にとって、新しい障害が見えてきた。それまで中国が世界の工場として、様々な先端技術までコピーして世界中に供給するサプライチェーンの構造に変化が現れ、それがコロナで更に極端になって、大企業はともかく中小企業は多くの部品の在庫(完成品ではなく)を抱えて、資金繰りまで切迫している。もし倒産すればそれらの部品はゴミになる。いや、時間が経てば、新しいものを要求されるであろうからやはりゴミ同然になるだろう。
もはや、前と同じに戻ると思わない方が良いだろう。それより違った「新しい日常」とはネガティブな日常であり、精神浄化作用を繰り返して、元気を取り戻すにも、まずコロナの反省に立って教訓を得なければならない。今回、防災意識の欠如から、先に中国への忖度から武漢からの旅行者のみでなく、多くの旅行者が落とす資金をあてにし、一方でオリンピックの開催に固執した安倍の優柔不断はきっぱりと切り捨てなければ「防災」は出来ない。安倍の防災は自衛隊に加力することぐらいで、災害大国として多くの記憶を失っている国民性に合理的な「防災環境づくり」からやり直さないと、今回死ななくて済んだ人たちには報われない。
何でもやりたい放題できる社会が望ましいだろうか?物質主義、拝金主義には際限がない。その人間の欲望を後押ししてきた資本主義にも変化が現れるだろう。自分の気持ちを押し殺して我慢してきた日常から逃げたい感情は、この先も続くだろう。勝ち負けの二元論の気持ちから自分を解放しよう。
月が無くても楽しい我が家の月見草
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