河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

ガラパゴスの中で唯我独尊

2020-12-12 11:24:26 | 絵画

今のこの国の問題は「保守的なメンタリティ」にあると思う。その一因は、この国が島国で「井の中の蛙」になり易く、他国からの刺激が少なく、あるいは「どう思われているか」気にする一方で、その批判的な部分は無視し、特に欧米先進国からの良い評判を喜ぶ。これは劣等感ゆえであり、その相反する裏側の優越感はアジアの国などの発展途上国に向けられ、それとなく安心している。これに差別感があると言われれば、気が付かなかった振りをする。

この島国で生きるためには「集団の価値観」を受け入れ、異論は避けて曖昧にやり過ごす。他人と自分の違いを、子供頃からの教育で教わっていない。皆同じように考え、制服を着せられ、号令をかけられ、規律に従うことを良しと教わる。与えられた教育が人間を教え育てることであったためしがない。学校に入学試験があり競争を強いられる。その競争は次の入学試験の為であり、つぎにまた社会に出るとき優位に立つための競争のための教育である。このやり方は発展途上国のやり方として隣の国でも激烈な現象を引き起こしている。彼らはこの国の姿を真似してきたのだろう。

欧米の先進国では入学試験は「大学入学資格試験」としてあるが、入りたい大学は主体的に選べる・・・いや、当人が選択する、つまり決定する自覚をもっている・・・から、生きたい大学に登録する。そして多くは初年で学ぶ能力を求められ、それに付いていけなければ落第、あるいは退学となる。要するに個人の意思を尊重する代わりに、自己責任が伴うのである。個人主義の国では当たり前であるが、我が国のように大学卒業を「労働力」としてしか認めていない、あるいは認められない国では、個人は「仕事に就く」ことは、人生の喜びとしていあるのではなく、ただ生活を立てるためであることが多くなる。しかも就職先を自由に変えにくいために、個人に適さない仕事でも「我慢して」定年まで耐えてしまうことも多くなる。もし耐えられなくなれば「自死」する人も出て来る。

このコロナの中で自殺者が増えていることは、とても苦しく感じられる。健全な自意識を与えられなかったために、異常に自死が多い国になっていると思う。だから私は「はみ出し者で良いではないか」と訴え、自分を大切に思う気持ちから、ひとっ違う考え方があれば積極的に発言し、信じる所があれば自分の意思を貫き通した。

西馬込の友人はある時、あたしの生き方を指して「唯我独尊だね、悪い意味じゃないよ」と言ったのを憶えている。そう、自分は尊い人間なのだ・・・と改めて思ったものだ。その尊さは、「他者に対してではなく、自分に対して思うこと」である。

このことは小中学生の時に基本として教え育んで欲しい。以前にも書いたが、子供が「自発的に疑問に答える」、つまり考え方を押し付けるのではなく、多様な答えがあることを引き出してやって欲しい。

昔書いたかもしれないが、ベルリンで生活していた時、元カノのマリリンが前を歩く老婆のお尻を蹴っ飛ばしてやりたいというから「そんなことしてはいけないでしょうが!!」と言ったら「貴方は私のことは一生分からない」と言って怒った・・・つまり「どうして蹴っ飛ばしたいの?」と質問しないで、教条主義的な日本人の価値観で批判だけしたからだ。

ドイツでは質問の多い子供に「どうしてバナナは曲がっているの?」と聞き返すが・・・ゲルマン民族博物館の修復アトリエで質問しまくった私は皆に「どうしてバナナは曲がっているの?」と言われたものだが・・・面白いことに、ドイツ人は問われた問いには、何が何でも答えようとする国民性を持っている。これは彼らの論理的整合性が美徳のように信じているからである。

こどもには「理屈や屁理屈」が大事なのだ。自分のことは自分で考え、自己責任で生きる人になるべきだ。唯我独尊を単にお釈迦様の言葉として聞き流さず、自分のものにすべきだろう。

また、理屈をこねた?