一年前に「おせちの季節だい」とかいう記事を書いたようだ。だんだんとおせちを作る意味がなくなって来て、今年はおせちとしては作らないだろう。父が亡くなって3年半たって、もう誰かに作るということもなく、自分にさえいらなく思う。
いや実は歯が痛くて何でも食べられるわけではないからだ。雑炊ばかり食べて野菜不足、栄養の偏りか・・・免疫力もなくなってきたみたい。来年の頭にインプラント手術を用意している。やっとこの田舎の浜田でもインプラントをやってくれる医師と巡り会えたのだ。まあここ一年は手術の為にどこかに引っ越すこともなかろう。これまで自分が学んだ西洋美術についてとか、修復についてと開花すことが出来たらと思ったが、あまり役に立てなかった。Kちゃんが芸大目指すと言ってくれて少し何かできたかもしれないが、不十分だ。
そうこうしている内に高齢者になって、自分に満足していないのが悔しい。だからこの先はもっと自分に明快な思考と実行を強制したい。と言ってもそう大したことではない。本質はアナーキーだから、個的な実行力を持たせたいだけだ。
ネットでネパールの犬事情をやっていて、二度人を噛んでも殺処分にならなかったどころか、獣医が来てタダで去勢手術をしてくれて、皆でその犬が穏やかな性格になるように見守ってやっているという話だった。ネパールではあまり野良犬が居ないそうで、みな狂犬病などの予防注射をしているそうな。何故、野良犬が居ないのかというと、犬の売買が禁止されてブリーダーが居なくて、有り余るほど犬が世の中に居ないからだ。日本では犬猫ブームだが、毎年60万匹以上の犬猫の売買がされて、何万匹という犬猫が殺処分されている。こんなことで良いのだろうか。野良猫にはエサをやるなという自治体もある。何度傲慢な態度であろうか。猫は人間が作ったペットであって、野良猫は「野生の猫」ではないのに、エサをやるなというのだから、愛玩動物の遺棄、虐待は犯罪だと法律まであるのに、捨てられるとエサをやるなと言うから私には許せない。
だから、金の為に殺すほど余る犬猫を作り出すブリーダーを法律で禁止すればよいのだ。これは世界にいらないものの一つだ。
それから大学受験もいらない。「競争によって人は磨かれる」と思っている人が居るが、何のための、誰のための競争だ??
小中学校から自分の意思で考える教育を与えず、集団の価値観で個人の多様性を否定し、制服を着せて一羽一からげにする。労働力を要求する経済界から政治献金、口利き料をもらって、主体的思考力の無い労働者を育てるように教育システムを整える自民党の長い歴史に反抗もしない日本の大方のものが嫌いだ。
学問は自分の為にするのであって、会社のため社会のためにやるのではない。まず自分のために学んで、それを生かして社会に役立てられればということだ。
またいつも愚痴が出た。ハンコもいらない。元号制もいらない。
今日はなんだか機嫌が悪い。ニュースで犬と散歩していたら、その犬を蹴り殺した男が居て逮捕されたという。こんな男には犬の糞を顔に塗りつけてやりたい。
酒でも飲みたい気分だが、歯が痛いのです。では。