河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

鉛筆1本と紙一枚から始まる

2023-07-11 00:23:48 | 絵画

絵を描きたいという衝動は子供時代にも抑えきれなかった。クレヨンがあると縁側の廊下の板に何かを描いて叱られた。描いたのが何だったのか分からないが、手を動かして何かを描いたつもりになったのであろう・・・。その後小学校に上がるまでクレヨンは買ってもらえなかった。小学校に上がるまでに、自分「名前」をひらかなで書ければ良しとされた時代だ。

子供時代は誰にも才能がある。紙一枚に鉛筆で、そこに描かれるのは現実ではなく、当人も気が付かない「虚構」だから・・・芸術の始まりだったろう。見ている人が居れば解説しながら「これはママ、これはミーちゃん」とか「区別」しながらお披露目するのだ。おそらく子供の心の世界は見たものを記憶して新に作られる世界であって、まさに創造性がフルに満たされている。

だから学校に上がって、教壇で「子供は何も知らない」と思い込んだ教師が、目の前の「静物や風景」を正確に描写するように指導するまではあった「子供自身の世界」を台無しにすることに気が付かないこと・・・・は、私には残念で仕方ない。絵を描くときの「描写」は目の前にあるものを正確に描くこととは別に「心の中を描写する」ことがあるのを自覚させてほしい。

この浜田に来て、浜田高校の美術の先生が「古い美術作品を学ぶことはない」と断言していると聞いて失望した。優れた巨匠の絵画を見ると「個性が失われる」のだと言う。これでは何から始まればよいのか分からないだろう。誰しも生まれた時には「言葉」が話せなかったが、周りが教えて、あるいは聞いて影響を受けて言葉を覚えてきたことと同じで、絵が描けるようになるのは教わったり、画集から見て得た感性が自分の世界を作っていることを知らねば「無知、無能」の人で終わるだろう。

私は近いうちに絵画教室を始めようと思う。子供は来てくれないだろうが、暇を持て余した年寄りが生徒で来てくれると嬉しい。まず「紙一枚と鉛筆」を持参してください。そして「思い付きを描いてください」と言うのだ。きっと皆、困惑して私を疑うに違いない・・・この人からかっているのでは・・・と。さあ!!