家を建てるときは、普通は宅地と呼ばれるところに建てるが、何時もそことは限らない事情がある場合、山林、雑地、農地などに建物を建てることがある。今回の私の事情とは、修復アトリエと絵画制作アトリエと、ついでに絵画教室を建て、同時に住居を併設する必要があった。
また今住んでいる浜田市ではなく山口市を選んだこと。なにせ今住んでいるところは袋地(道路から離れたどん詰まりの奥の土地)また囲繞地(いにょうち)とも言われる場所にあり、購入時には海に面して山林もあり、古屋を撤去すれば300坪という大きな土地であった。しかし住んで都とはいかず、年間を通して吹く潮風に冬の恐ろしい西風には閉口してきた。人口4万人程度でその4割が無税・・・つまり所得が80万円以下で市民税が無料ということ。その反面に福祉予算が少なく、市に任されている介護税(介護保険と呼んでいるが、保険ではない)が日本一に値する。山口市や実家のある岩国市の2倍徴収されるが、実際に介護される身分になった時、何もしてくれないということが分かった。そのくせ市長は何もないのに浜田城資料館を建てたが、資料に値するものなしで開館していいない。次は市の歴史資料館を建てると言っている。市の財政は10年くらいで破たんすると言われてきた。こりゃみんなと一緒に心中したくないね。絵画教室でも開いて市民に貢献しようと思ったら、この町唯一の画材屋さんに「そりゃ止めたがいい」と言われて何故だか聞いたら「必ず足を引っ張るやつがいて・・・」市の教育委員会からも足蹴にされるから・・・」と。確かに浜田高校から芸大を目指したい生徒の面倒を見ようとしたら、浜田高校の美術教師に「修復家は絵も描けないから・・・」と言われたと聞かされて、一度は「ええじゃないか!!やってやろうじゃないか!!」と思ったが・・・。面倒くさい。
いつの間にか何かするなら、この町を出て行かねばと思うようになった。
前も書いたが夏目漱石の「草枕」の一節・・・・地に働けば角が立つ。情に掉させば流される・・・とかくこの世は住みにくい。どこに行っても同じだと思ったとき、ふと「詩」がある・・・・と言うのを思い出し、いつも自分の心に言い聞かせてきた「どこへ行っても同じだ」と。しかし私の左の手のひらには「海外生活が長くなる相」が出ていて、どこに住んでも外国だと感じるように運命づけられているのではと思うことしきり。結局、自分の気持ち次第で「放浪して生きる」性分の為に決められない。そうこうしている間に元カノは去り、見合い結婚の機会も良縁があったにもかかわらず、自らとんずらした人生がここにある。親が亡くなり実家と田畑、山林を相続したが、これが身の置き所のはっきりしない人生が余計に揺らいでしまう。実家は岩国と徳山の中間にあり、どりらからも25km離れ、光市、柳井市からも20kmばかり離れている。その家に固執して孤独に亡くなった父を見てきたので、そこで同じ死に方になるのは嫌だと・・・最期を迎える場所を探す羽目になった。そこで結局選んだのは山口市だ。
山口市は私が3歳から山口高校を卒業する18歳まで住んだ街だ。母方の親戚もあり、学校時代の学友もいる。そこに住む論理性はないが情緒的な親近感はある。ずいぶん時間が経った故郷だけど。一つにユニクロ社長の柳井氏が山口市に本社を置いたのは、少しでも法人税でも払って故郷に貢献しようとしたことが理由だろう。
県庁所在地としては最も人口の少ない10万人程度の町だった(山口大学の学生を入れても)。市町村合併で今は17万人程だが旧市街の中心部がシャッター街になったのは、ちまきや百貨店の社長と湯田温泉街のホテルなどが「新幹線誘致」に反対したからだ。つまり新幹線駅が出来れば町が壊れるとでも思ったのか・・・結局山陽本線の小郡駅に併設されて新山口駅となり、むしろ小郡駅周辺が再開発でにぎわい経済的にも豊かになった・・・・そのあとおバカな経営者たちは気が付いたか。山口市の中心部から12km離れた小郡町と市町村合併で巨大な市になった。小郡駅周辺は新幹線、山陽自動車道、国道2号線が通り、9号線の起点でもある。まだ再開発の余地があり発展性は十分にある場所だ。
この新山口駅から車で5分、宇部空港から車で20分の所に縁があったのだ。
場所は山口市を流れる椹野川(ふしのがわ)と千見折川(ちみおりがわ)が丁度合流する場所に面していいる場所。どう見ても元河川敷を埋め立てて造られた田んぼだが、高嶋易団の四柱推命による風水占いで忌み嫌う「河川敷」は災害に遭いやすい場所として住宅を建ててはいけないとしているが‥‥そういう場所しかアトリエの規模からして適当な場所が見つからなかったこと・・・それ以外に「農地」であるために法律による規制が強い土地であること・・・・大きなストレスの元となった、しかし。
農地と言うのは殆ど不動産屋の売地に挙げられることはない。法規制によるややこしい問題が障害となるし、いくら価格が安くてもみな避ける土地なのだ。
それは私が決意してから取得まで2年以上もかかってしまうとは思いもしなかった。しかも不動産屋の手を離れたら、自分で法規制を理解し、一つ一つの条件をクリアしなければいけないが、どれほどの苦労と費用がかかるか分からなかったから。今日ここまで来てくたびれた。
実は一昨日前に、この手続きを扱う山口市の農業委員会から、書類選考が終わり宅地部分について「農地の転用許可」が下りたことを知らせる電話をもらった。電話をくれた人の声がとても嬉しそうであったのは、そこに理由があった。
第二部に続く