河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

農地にアトリエを建てるⅡ

2023-07-26 23:08:27 | 絵画

Ⅰでは農地を選んだところまで書いた。しかしこの「農地」とは何か??!!を知ってもらうためにはウィキペディアで農地を引き出して読んでほしい。そこには農地法という法律1952年の成立、だれが何のために作ったのか・・・簡単に言っておくと、朝鮮戦争(1950~1953年)真っ盛りの時の政権岸信介内閣の時、占領していたGHQが我が国の農村の状況を見て、零細から抜け出せない小作制度の為に日本にも共産主義がはびこるようになると想定し、土地を持たない小作者の為に「農地改革」を行い労働の見返りを与えることで農村の共産化を防ごうとしたというのが始まりだった。昨年安倍晋三銃殺事件で明るみになった岸信介時代からの反共団体「勝共連合(統一教会)」の本部を岸総理の自宅の隣に置くなど、いかにも政治的で農地法の「国内の食糧生産確保」などの綺麗ごととは違う隠れた目的があって、今日なおこの「農地法」が生存し、農地を開発など他の目的に転用するには「厳しい規制」をかけたままであることは一般には知られていないから・・・何故に不動産屋の広告に「農地」が出て来ないのか理解できなかったであろう。

その点は詳しくはウィキペディアを参照していただきたい。

農地法のもう一つの大義は食料の国内生産確保であり、戦後の食糧難が続いていた頃だから余計に厳しい政策となった。つまり田畑は農業以外の目的で使用させないという規制が、農地の売買は可能でも転用は出来ないように厳しい縛りをかけた。だから不動産屋が扱う商品として農地が出てこないのは、買うメリットが小さいからだ。しかし戦後の復興が進んでくれば田んぼの中を道路が通り、開発があちこちと必要となった。一方で農家も黙ってはいない。自民党支持母体である「農協」「全農」が現れ農業も政治に影響を与える団体となった。農地法を変えられなくても「米価」を左右し、コメ生産が過剰となると「減反政策と補助金」を引き出した。そこで減反政策で休耕地が多く現れ、草がぼうぼうで耕作を再開するには問題が生じるようになり、ご存知の外来種の雑草「セイタカ泡立ち草」が日本国土を蹂躙している。私の実家の田畑土地4500坪は誰も耕さないので中に入るのさえも困難な状況で、去年植えてきた果樹もどこにあるのか見えなくなった。この草、何一つ良い処が無い。

この国の不耕作地の増大は、遺産相続した者が農業経験がなく手の出しようがないということだろう。本来ならばすぐにでも政府は手を打って農業の再生、新たな展開を作るべきだが・・・・やはり官僚は無能で無関心。

さて、それでも農地を買うことにしたわけだが、前にも述べたと思うがアトリエに必要な広さ、修復業でもし絵画が運ばれてきたら最低4トントラックのアクセス、絵画教室であれば生徒さんたちは皆車で来ることになるので駐車場が必要。などと選択の余地は少なかったので大きな土地イコール農地となり、場所も町から少し離れなければ見つからなかった。しかし見つかった場所は椹野川と千見折川に面した、目の前が広大に広がる解放感のある場所・・・・いや、これがどうなるのか住んでみないと分からない。今住んでいるところは気候も近所の住人とのトラブルと大変な場所であった。「どこに行っても同じだ」ではあるがちょっと心配はある。

 

そうそう農地を買うには、その地方の農業委員会(市役所の中にある)に行って、様々な申請書類を出し転用許可というのをもらわないと土地を活用できない。ここで私に大きな誤解があって、大きく時間を費やしてしまった、それはもう本気で農地を買うと決めたら、農業委員会に申請するのは「農地」を買いますよという申請がまず一番で、土地の持ち主と先に売買契約を結んで土地を購入し、土地の用途を申請して置くことができる。(今年の4月まで1400㎡を超える農地は購入できなかった)それからその土地に住宅を建てる場合は「農地転用」という許可が必要。500㎡以下で事業所と住宅を併用で建てる場合は1000㎡以下となるようにしなければならない。もしこれ以上大きな農地であれば分筆(農地の名義を変える)を行ってそこは農地として残して活用しなければならない・・・・などうるさいうるさい。私はその土地が1000㎡以上あったので残りを文筆で土地を土地家屋調査士が計測して(62万何某払わされた)費用がかかり、もう引き返せないところまできた。

本当はこういうことは素人がやることではなく、不動産屋が仲介して土地家屋調査士、司法書士などに金を払って実現させるものだった。これが問題だ。わっしの性格がせっかちで突進して始まって・・・・面倒な経験・・・人生を波乱万丈に仕上げていく。

ちょっと鬱陶しいかも知れないが、私が経験した事務手続きを書いてみると・・・・・。

①農地転用許可申請(第6号様式)・農地等の転用のための権利移動許可申請書(第11号様式)

②土地の登記事項証明書(全部事項証明書):法務局で一部600円で入手

③住民票または戸籍の附票

④位置図(縮尺一万分の一か五万分の一)申請地を緑色で塗る:ゼンリン地図の写しで構わない

⑤付近見取り図(住宅地図等):ゼンリン地図の拡大で構わない

⑥公図の写し(法務局で入手):該当する土地の近辺がわかるもの

⑦地積測量図(転用する場合は規定面積より大きい部分は分筆させられるため、土地家屋調査士に依頼し測量し地籍調査図を作成)

⑧事業計画書(転用は事業を行うということで、その内容計画について申請)

⑨土地利用計画図・排水計画図(平面図に排水計画を記入し添付)

⑩施設計画図(新たに建築物を建設する場合、平面図、立面図などを添付。間取り及び建造物面積が記入されているもの)

⑪被害防除計画書(第9号様式)(近隣のうち所有者、水利権者への説明が済んでいること)

⑫資金計画書(第8号様式)

⑫ー2自己資金に係る残高証明書(銀行口座等の写し:土地購入、事業所、住宅などの建築費以外に、その後の生活費が十分にある    かまで見られる。

⑫ー3借入金に係る融資証明書(ローンを組む場合)

これ以外に分筆によって生じた農地部分の取得ならびに農地の活用、農具の有無など申請書類が別にある。

つまらぬことを書いたが、本当に農地法に従った農業委員会の業務が「いかに農地を取得させないか」の方向に向いていることが分かると思う。GHQと池田隼人が作った反共主義の産物がいまだに息吹いて「人権蹂躙」の政策となっているのを誰も手直しが出来ないとは・・・。

 

私が岩国市の実家の土地家屋を相続した事を書いたが、農地4500坪、山林5000坪を岩国市に寄贈すると言ったら「いらん」と言われた。固定資産税56000円ばかりでも、毎年徴収する方が得らしい。「くそったれ!!!」

これで3か所(岩国市、浜田市、山口市)に不動産を持つことになり、一つに絞りたいところだが・・・今回のアトリエ兼住宅の建坪は約80坪になる。しかも二階建てで一階は木工などの作業室、材料倉庫3か所、客寝室(要するにホテルのようなシングルルーム)その向かいに「猫部屋」6帖。二階は絵画修復室、隣に収蔵庫、ギャラリー(勘違いが多いが自分の作品を掛けて置き、時々眺めては自己満足に浸る・・・(おバカだけど)・・・打ち合わせ室、台所、自分の寝室、書庫(書斎)という内容。

建物以外の金食い虫は猫の逃亡防止フェンスを土地の外周に施すと・・・いくらかかるかまだ概算が出ていません。要注意は建築業者の都合で押されたり、内容がごまかされることだ。

完成は来年の3月までに・・・と言うような調子。残念ながら新しい年を新居で迎えるのは無理のようだ。アトリエ開きもその時開催します。

これから気を入れて実施設計に入る。