絵を描くときにビギナーは大方同じ傾向で、一つの方向に行ってしまう。それは「形」が不正確で「見えたまま」と言えないこともないが、それは感覚的に当人にとっての結果である。見方によっては、すごく「魅力的な形」を生み出していることもある。だから最初に描いたデッサン(紙一枚、鉛筆一本)は大事に保存して置かねばならない。
絵を教えると、この最初の「感性」は失われて、もったいない時もあるが、後日、いろいろな表現ができるようになってみると、それは有り難い参考資料だ。そしてそこにある形は当人の意匠特許権のあるものかも知れない。
私が絵画教室の先生に成ったら、まず「紙一枚、鉛筆一本」の意味を教えて、想像の中から出てくるものが何かを感じて大事にすることをしえる。それから「絵を描くとは」何なのか・・・結果を求めると「昔の巨匠たちは能力を競った」ことを教えよう。そして「物」を描いてみようと。それは当人にとって、「今一番描きたい物」でないといけない。それは選ぶという「選択の決定」であり、描きたいという「欲」を紙の上に可視化できるようにすることだから。
これを描きなさいというのに従っていたら、何時まで経っても絵にならないだろう。
知識は年の衰えとともに失われるが「感性」はいつまでも磨ける・・・・それは楽しい。
これはそうした楽しみを混乱させる話だが、オーギュスト・ルノアールと言う画家をご存知だと思うが、晩年彼は手がリュウマチになって、普通に絵が描けなくなったと言われている。が、彼が晩年描いたとされる絵はあまりにひどくて・・・・下手くそで・・・困るのだ。何で困るかって??!!いやー!!彼の作品には贋作が多いのだ。晩年の作品は偽物を描き易くできているので、さらに手が自由に動かなかったと・・・言い訳されて・・・偽物が大量に出回っているのである。それが有名な画家だと・・・作品も高価に売買されていて・・・。実は西洋美術館の収蔵庫にはレベルに達しない贋作がある。さる自民党の衆議院議長をやられたかたからの寄贈で・・・・「いやーーありがとうございます」と言うのが一応善意の行為を否定しないマナーであったもので・・・。
他にも名古屋市美で開催したルノアール展でひどいのを見た。絵具の付け方が子供のレベルで、形もはっきりしないし、正直なところリウマチになるとそうなのか、認知症になるとそうなのか・・・其処に付け込まれた贋作なのか・・・あんまり言わんとこ!!
自分に跳ね返ってくるかも。