河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

愚か者は実証に弱い・・・しかしつける薬もない者もいる。

2020-12-11 15:04:28 | 絵画

分科会の尾身先生も「GoToトラブルはもっと感染が治まってからやったが良い」と言っているのに「専門家の意見を無視」する政治家たち。

「今、感染者が増えているのにGoToが原因だというエビデンスがない」と言って、あくまでも感染者や死者が増えていることに頓着しない。スコットランドでは「このところの感染拡大は国内外からの旅行者による感染が原因だ」と首相が発表した。それはこれまでと異なる遺伝子のウイルスが持ち込まれていることから断言できる・・・と。

この国の感染拡大の原因となるウイルスの遺伝子は皆同じかもしれないが、「人が移動する」ことが感染拡大の原因になると、どうして考えられないのだろうか?現場をみるリーダーと観念論で政治をやっているつもりの愚か者とでは、我々国民の命を預ける値打ちが違う。

強情は政治的な思惑で、菅を総理に押した二階が日本観光協会の会長を務めていることや、観光関係者を文化功労者にして勲章と年金を与えるなど、裏で政治献金が動いていることは容易に察しが付く。どうも最近の政治家はお金にルーズだ。480億円の阿部のマスクは「感染予防の効果がほとんどない」と言われても使い切って、糞見たいなマスクを配った。貰った人はこれを福祉施設などに送った例があまたあると。こうしたことに責任は感じないようで、繰り返し人に命まで弄ぶ。

無能なリーダーは周囲に「仲良しクラブ」を配置し、気に食わぬことを言うものは排除する。学問に興味がなく、得意とする専門性を持ちえなかった政治家は「専門家の意見」は鬱陶しいと感じる。

政治家には「コンプレックス(優越感と劣等感の意味)はつきもの」だ。自分たちは民主主義的に「選挙」で選ばれたと主張するから責任は自分にあるのではなく「選んだ者」にあると思っている。で、合理性のない屁理屈でやりたい放題をやる。

今年の正月は決して楽しくはないだろう。

これから寒くなるそうだ。体に気を付けて、コロナとインフルエンザとダブルにならないように。

 

 


ひらめきちょうだい2(加筆あり)

2020-12-10 02:45:00 | 絵画

丁度、一年前に「ひらめきちょうだい」と記事を書いた・・・らしい。その時の感想を書くようにGooBlogが催促したので、その元原稿を覗いてみた。書いて、その後の経緯は、そこに書いた「ひらめきをもらった」と「海賊金時丸」と題して、思い付きのイメージをA4のコピー紙にプロットを描き残して、そのまんま目の前の壁にピンでとめて一年間放置している・・・この体たらくは。

要するに、モチベーションとなるイメージから完成を目指して、構想画としての内容に、また絵画性にデスティネーションが見えないと「えい!!やぁー!!」と始まらない。何とも気まぐれで終わりそうだが・・・胡粉を塗った板地まで用意されているのに、イメージを固定する「ペン画」が進まず、うすい鉛筆でなぞった下描きがまでで終わっている。

それ以外に描きくさしの作品がいっぱい書斎に溜まり始めて、自分にとって絵を描くことが神聖であるはずだが、その行為の責任をとっていなくて自己嫌悪に陥って、結局のスランプを作っているのだろう。

こうして言葉で色々言うのは「観念アート」を信奉する者たちと何ら変わりはない。作品が出てきて目の前で完成のイメージの世界に寿分からして引き込まれない限り自己満足はない。

昨日から「ウン子たれ」の子猫の始末で玄関の踊り場、二階の踊り場のウン子を片付けるのに随分な労働をしたが、二時間後にまた新しくやってくれた。がっかりだ。客間の簡易ベッドにもウン子。ティッシュの箱にもオシッコ。多頭飼いの結果ではなく、たった一匹の子猫による反乱なのだ。彼は私のストーカーで、私をいつも観察し、庭に出ればもうすぐに横にいるし、食事時には真っ先に一口目を他の子から奪ってでも優先的に生きようとしている。そして私がテレビでも見ようものなら膝の上に乗り、自己主張する。私の頭の中に占有する記憶を残そうとしている。私の人生は彼によって支配され続けるだろう。

こういう時誰か女性が傍にいて気持ちを和ませてくれたらと思う。

私の人生の失敗は「自分の我欲の強さで、パートナーと気持ちをシェアできなかった」ことだろう。見合いをしても、目の前に素敵な女性が居ても、その人を幸せにする自信もなかった。昔、「天殺界」(四柱推命に近い)と言う占いで、何時結婚するか調べたら、何時するのか時期が出てこなかった。その占いによると、時期が出てこない人は「結婚しない人」のだそうだ。そして「結婚しない人」はその分、何かを達成するために人生を使うのだそうだ。

はたして私はそれに該当するのだろうか?

自ずと「死生観」が主題の人生になってしまったのは、何となく理解できるが。

もう残された時間はあまりない。


絵食同源3(加筆した)

2020-12-08 02:37:07 | 絵画

また絵が描けないから、食い物に走る!!でも、先日インプラントを目指して折れた歯の抜歯をしたら、黴菌が入って歯茎がはれ上がって、硬い物が食べれない。おじやに麺類ばかりでは・・・コロナのストレスに上塗りのストレスで・・・何か美味しいものを工夫しようと・・・優しい繊維質の摂取と美味しいもののバランスを求めて考えたのが、中華の「青梗菜(チンゲンサイ)とホタテの塩煮」だが、ホタテが火を通すと硬くなるので、今回はエビで代用しようと考えた。

これが結構自信作になったので、紹介する。・・・・独りよがり・・・の疑いあり?

エビは生エビを皮をむいたものを用意する。軽く洗ったら、ミキサーにかけるが、みりん少々、塩、昆布だし(インスタントの粉)を入れてどろどろのペーストにする。ミキサーでは水気がないと回らないので、みりんに日本酒をくわえて少し緩くしても良い。エビのペーストをドンブリに出してから、片栗粉を少し足してよく混ぜる。

このとき大匙にとってマルク団子が出来る程度の硬さがよろしい。

フライパンに湯を張って煮立ったところに大匙にすくったペーストを丸めながら、熱湯の中に落とす。30秒は待ってからひっくり返すようにする。そうしてできたエビ団子は一度どんぶりに戻し、お出汁が出たこのゆで汁にチンゲンサイを入れる、チンゲンサイは15センチくらいの丈のものが理想的で、大きすぎると見た目が悪いだけでなく、歯ごたえがあり過ぎる、四つ割りに切ってお出汁の中に投入する。硬い芯の所が柔らかくなるまで火を通す。味見をして塩コショウを入れる。なるべく薄味の方が品が良い。

ここで水溶きカタクリを少々入れ、エビ団子を戻しさっとまぜて出来上がり。

これは横浜中華街でも通用する味になる。

もう一つ、歯が痛いときの野菜の摂取の仕方・・・。

「白菜の白和え」は最初から白菜を細かく刻んで湯でてから木綿豆腐をつぶして加える。みりんと白だししょうゆを加えた味付け。白だしはたくさん入れないで、自分の好みの分量にする。さいごにおろし白ごまを振りかけて出来上がり。

昔、江戸時代にしょうゆがまだ無かった頃、江戸の町民の味付けは「さしみ」などにかける・・・名前を忘れたが・・・「塩と日本酒」を煮切ったもの(要するにアルコール分を飛ばす)をかけたらしい。自分でも作ってみたが、これが美味しい。白だしに近いかもしれないが、もっと塩分濃度が自分で調整できるので、また寝かすともっと品の良い味に出来る。

本当はそろそろ中落ちカルビの焼き肉が食べたいのだ。

前にも言ったように、絵を本当に描きたいときは、ご飯を食べることは時間の無駄で、食べることを恨んでしまうほどだ。いまや創作意欲は遠い!!

一度試してみてください。

で、またここに追記をすると、「出汁をとった後の昆布はどうしている?」という話。つまりもったいなくて捨てないで食べるために、さらに水で煮て柔らかくして、つくだ煮にする。昆布は市販の「煮昆布」のように細切りにして煮て、柔らかくなったら醤油、みりん、砂糖を入れて昆布に絡みつくまで似てから白ごまを振る。そうするとまるで「市販品」の様になり、「もったいない」から「得をした」になる。やってみんさい!

なに?出汁をとるのに昆布は使わない?まさか顆粒の出汁?美味いものを食べたいとおもわんかね??!!