カヌーが終わってお土産を買いに松本イオンに寄った。
行ったついでに日ノ出町から中町に出て女鳥羽川を渡ってパン屋さんに行ったのだがコロナで完全予約制になっていて休みだった。
それで帰るのも勿体なくて四柱神社に寄ってみたのだが、賽銭箱の前に二十歳の成人式の家族写真を撮っていると思われる御家族が三脚を立てて撮影していたので、御賽銭は諦めて遠くから手を合わせて神社を出た。
行く当てもないので大名町を少し歩いて伊勢町まで行ってから戻ってきた。
すると四柱神社の御家族が縄手通りに渡る橋に移動して三脚を立てて記念写真を撮影していた。
素敵な振袖。いいもんだなあ。我が家もそんな時期もあったのに、家族写真ちゃんと撮影してないことをちょっと悔いた。
leica m9-p + leca summilux35mmf1.4asph.
水たまりに映る女鳥羽川沿いの旅館の看板
行ったついでに日ノ出町から中町に出て女鳥羽川を渡ってパン屋さんに行ったのだがコロナで完全予約制になっていて休みだった。
それで帰るのも勿体なくて四柱神社に寄ってみたのだが、賽銭箱の前に二十歳の成人式の家族写真を撮っていると思われる御家族が三脚を立てて撮影していたので、御賽銭は諦めて遠くから手を合わせて神社を出た。
行く当てもないので大名町を少し歩いて伊勢町まで行ってから戻ってきた。
すると四柱神社の御家族が縄手通りに渡る橋に移動して三脚を立てて記念写真を撮影していた。
素敵な振袖。いいもんだなあ。我が家もそんな時期もあったのに、家族写真ちゃんと撮影してないことをちょっと悔いた。
leica m9-p + leca summilux35mmf1.4asph.
水たまりに映る女鳥羽川沿いの旅館の看板
正月には帰っていたのでその時にすれば良かったのだが
恐らく女の子だったら着物の事があるので撮っていると思うが男は全く関係ないと思う
姪の所は賑やかだった気がする。
一昨日、喜寿を迎えてしまいましたが二十歳の時は1回目の東京オリンピックを
アルバイトをしながら観てましたねぇ(^^;)
柔道の教師達がみんな審判に引っ張り出されたので授業なんかそこそこに単位が
取れたのを思い出します(爆 ^^)
区切り区切りにいろんなエピソードがあります、mintonさんは?
当方の家庭は愚息1人なのでなんだか少し羨ましい気がします。
家族写真っていいもんですね。
子供連れの家族を外で時々見かけますが、その光景見ながらあ〜我が子もあんなに小さかった時があったんだなと、我が家の歴史をふと振り返ります。仕方のない事ですけど、無慈悲にも時間はどんどん過ぎて行きますね。時間が過ぎるということは、大切な人との残りの時間もどんどん減っている事だなと、最近はよく考えるようになりました^^;
我が子のことを思い出そうとしてもあまり思い出せないんです。
写真好きの父のはずですが、家族はほとんど撮影したことがありません。
頑張っているつもりだったけれどちゃんと向き合ってこなかったのかなと思う部分があります。
ええ!そんなお年だったんですか。
いつも御若い雰囲気なので驚きです。
東京オリンピック懐かしいです。
それなりに長く生きているといろんな思い出がありますよね。
僕もあります。
色々あって今があると思えば幸せな人生でした。
たまにああしておけばよかったと思うこともありますが。
子供は仕送りしたりしている時代が苦労の連続ではありますが、そんなころまでしか子供は親を頼らない。
自分の世界ができると親のことは遠くになってしまうのだと思います。
でもそれでも子供がいてくれることで頑張れます。
幸せなことだと思います。
今はお嬢さんがちょっとだけ大人の入り口にいて、心配しながら見ている状況であろうと思います。
時間のこと、僕も考えます。
自分の時間。生きている時間が1日1日と減っていくことが虚無感を感じます。
これからの人生と言いながらも、もう終わりに向かっているようで、何もできなかった人生のように思ってしまいます。
昨年辺りからいろいろお考えのようですね。
ある程度の年齢に達すると多かれ少なかれ
そんな想いに駆られるのかもしれません。
でもお子様をしっかり一人前に育てたことを思えば、
少なくとも「何もできなかった人生」ではあり得ませんよ。
だいたいが立派な会社を経営されているわけで、
それで生活を成り立たせている社員たちもいるんですから。
偉そうによけいなことを言ってすみません。
運と偶然で今まで生きて来られていて今に至っているような感じがします。
こうすればよかったと思うことが多いですが、残りの人生をどう生きるのかをまだ悩んでいます。
答えなんてないんですよね。
ずっと悩んでいくんだろうと思いますが、もし今より悪い状況であったらあったで悩みの種類が異なるだけではやり悩んでいたであろうと思います。