風のように

ゆらり 気ままに 過ごすとき
頭の中は妄想がいっぱい
錯覚の中で生きるのが楽しみ

8月6日

2020-08-07 00:55:31 | こころ
原爆投下から75年
通勤途中の車のなかで8時15分を迎えた

ラジオで広島市長のメッセージを聞き
広島の小学生代表の言葉を聞いた

これらの全文を読みたいと思いながら
まだ検索出来ていない

運転中に1分間の黙想にあわせて
平和への祈りを込めた

13歳の少年の作文か何かの言葉に
自分や自国の利ばかり考えなければ

世界は平和でいられるのに
戦争なんかは起こらないのに

というようなお話が市長のメッセージで
あったような

なにせ出勤途中の運転中だから
聞きはしょっている

6日と9日の式典の市長始め代表者の
挨拶文を活字でじっくり読みたいと思う

広島▪長崎に残されている資料から
惨状の一部を知ることが出来るかもしれない

けれどそれは本当の惨状の
千分の一にも万分の一にも及ばないだろう

今も戦争は世界のどこかで起きている
平和を願いながら核を保有し争いも耐えない

隣人を思いやれば
争いは起きない

けれど
気になる

隣の芝生は青い
気になる気になる

地下資源
陸続き海続き

隣は隣でこっちの庭見てるよきっと
そしてこっちも青いんだろうなあ

孫が見てたらお婆ちゃん!
青と違うで緑やで!って言うやろな

私はこんな風に好き勝手なこと書いてる
これが75年前だったら

非国民なんて言われてろやろうか
非国民て言われるだけですまないかも

いまも自由に物言えない国がある
ある人々は先祖からの土地にいながら

迫害を受けなければならない人がいる
13歳の少年の言葉のように

じぶんのことばかり考えなければ
全てうまく行くのに

夫婦だって
友達だって

だから隣人だって
隣国だってうまくいく

自分ファーストになりすぎている
というよりオール自分

オール自分が叶って
相手のこと考えるのではなくて

相手も同じ人権を持っている
相手がたってこそ自分もたてる

道をどうぞって譲った人を
なぎ倒して進む人がいるだろうか?

立ちはだかるから
倒されるのではないのだろうか

人々は世界平和を幸せを願いながら
その日は来ないのだろうか

人々は心をあわせてコロナや自然環境
などと向き合わなくてはならない

富や便利さが人々の心を
荒ませるのだろうか

わからない

コメント
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