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ただの日記

「いただきもの」

2020年06月01日 | 心の持ち様
2010.11/18 (Thu)

 京都に「一燈園」という修養団体があるそうです。
 西田天香という人がはじめられたのだそうで、会社などの新入社員の研修でいく人も多いとか。
 「一日働かざれば一日食(は)まず」を地でいくような修行をする。

 朝、「一燈園」を出て、京都の街を奉仕して廻る。奉仕、だから、当然お金は貰いません。
 力仕事でも、庭掃除でも、便所掃除でも、とにかく何でもいいから手伝いを「させてもらう」。
 昼食時になれば、昼食をいただける「こともある」。それがなければ、夕方、園に戻るまで、何も食べられない。
 そんな中で、人の心の温かさ、有り難さを体得するのが、研修の初歩、のようです。

 この西田天香師のつかっていたタオル、というのが、凄まじい物で、もう、ボロボロ、なんてものじゃない。すっかり布が擦り切れて、ただの糸のようになって、向こうが透けて見える。もう、雑巾にもできないほどです。

 見かねて或る人が
 「一燈園を主宰している貴方が。いくら何でもみっともない。物を大事にする気持ちも分からないではないけれども、それでは役に立たないでしょうから」
 と、新しいタオルをプレゼントした。

 天香師は、それをとても喜び、押し戴いたのですが、一向にそれを遣おうとしない。相変わらず、ただの糸のようになったタオルを遣っている。
 それを知った件の人が
 「あれは気に入って頂けませんでしたか」
と問うと、天香師は
 「とんでもない。有り難くいただきました。喜んでおります」
 「では、気になさらず、お遣い下さい。あのタオルでは役に立たないでしょう」
 「いえ、あのタオルも戴き物ですから」

 「いただき物」というと、今は、「巡り巡って、当方に来ました」、みたいな印象がありますが、本来「いただく物」で、時には「押し戴く物」です。有り難いことです。
 そんな「素晴らしいこと」、「幸運」は、全て受け取らなければ「いただいた」とは言えない。

 単に「タオル」と見ないで、他の物に置き換えてみたらどうでしょう。
 不平を言う前に、本当に、ちゃんと「いただいている」のか。
 私は、つい、不平、不満が先に出てしまうんですけどね。

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