9月16日(月) 続き
さて。米不足の話もどうやら落ち着いてきて新米が出回り始めたらしい。
今回はいきなり脱線。
石油ショックの時、大学1年生だったか。寮生活で食堂にはペーパータオルが設置してあった。物臭な男子学生どものために手洗いを促すためだった。
「パブロフの犬」でもあるまいが感心なことにみんな手を洗い、ペーパータオルで手をしっかり拭いて食事に臨んでいた。(おそらくその代わりにハンカチは持ってなかったんじゃないかと思うが。)
「石油不足で製紙のコストが上がると紙がつくれなくなるから、必需品のトイレットペーパーがなくなってしまう」との流言飛語はあっという間に日本全国に広まって店頭からトイレットペーパーが消えた。そして各家庭のどこか一室の壁や一角はトイレットペーパーに占領された。
「ペーパータオルなんて関係なくない?」
何故だか皺寄せというかとばっちりというか、ペーパータオルが手に入らなくなり「各自使用は一枚。それで十分拭けます」と寮監からの通達が。
実際、確かに拭けた。ただし上手に使えば、の話。
業者の買い占めは勿論「因業」だと思う。「汚い真似すんな」、と思う。
が、「うちだけは」と小口の買い占め(買い溜め?)をする一般家庭の行動は社会を破壊する。反社会行為である「打ちこわし」の方が却って社会を守ることになる。妙なものだ。
まさに「地獄への道は『善意』という名の敷石で~」だ。自身の周囲を守ることを最優先すれば、それは社会を破壊することにつながる。
新米が出回り、安売りの始まった旧米が同じ棚に並べられている。それが最近の秋の景色だった。それが今年は棚から米袋自体が全て消えた。
新嘗祭が行われて後、新米を食べようと、これまで思って来た。
それが新嘗祭までまだ二ヶ月近くもあるというのに、新米を食べる、「新米しか」食べられない、というのは何とも複雑な気分だ。
毎年僅かに高くなってきた新米と安売りの旧米(古米)の間に劇的な味の差はない。それくらい最近の保存技術は発達している。だから新米が出回っても敢えて旧米を買うひねくれ者(?)は一定数居たと思う。
ところが今秋、米の値段は突然1,5倍になった。
つまり?
旧米は籾米のままであれば数年は同品質のまま保存ができるから、いきなり店頭から消えるということはあり得ない話だということだ。
もっと言えば古米ではなく、古々米、古々々米等が間違いなく備蓄されている筈だから、「阿漕な商売をせぬよう国が指導する」ことができない筈はない。
これ、もしかして国主導?「阿漕な商売をしろ」、って?物価高推進のために?物価が上がれば賃金も上げざるを得ないだろうから、って?
脱線したまま終わる。
コペンはどうなったんだ?
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