5月22日(水)
5時20分、散歩に出て55分帰宅。普段より5分早い。理由は・・・分からない。
改めて荒ゴミを出しに行く。
5月20日(月)の分をたった2行で終えているのは何故か。
いつもの轍を踏まぬよう早々に切り上げたということだろう。他人事みたいに書いてるけど、書いたのは間違いなく自分。
ただ、全くその時の心境を覚えてない。
字の乱れより先に文章の方が一気に怪しくなるのがやっと分かったということか。
毎度の「文章が突然おかしくなる」というのは、酒による場合よりも(まあ、それが原因といえることも少なからずあることはある)眠気に負けそうになって、書き留めようとする語句の一つ一つは鮮明でも意図を明らかにするための経路を書き切れない(書き終わらない)ままに次の語句へ強引に繋ごうとする故だ。
それでいつも思い出すのは高校生の頃の寝ぼけ話。(高校生の頃は自転車→電車→徒歩で高校に通っていた。)
雨が降っているけど(駅まで)自転車で行くのかバスで行くのか、となかなか起きてこない息子を𠮟責交じりで起こそうとしたら、この愚息は「う~ん、だったら船で行く」と応えた。
寝ぼけ声で答えた本人もさすがに「何かがおかしい」とすぐ気が付いた。
しかし、何がどうおかしいのか数秒間考えざるを得なかった。
どう答えたら、どう説明したら今の返答が「なるほどそういうことを言いたかったのか」と納得してもらえるか。
勿論、数秒の間にそれは無駄な抵抗というか母親を得心させることなどできないという結論に至ることになる。
あまりにも突拍子もないことを言い出したバカ息子に、一瞬呆気にとられた母はおかしくて噴き出してしまったようで、後々も事あるごとにこの話を持ち出して笑っていた。
後になって、色々思い出してその記憶の断片を並べてみると、これは連想ゲームになっている、つまり夢と同じく唐突ではあるけれども何らかのつながりを「当人は」認識していたということだ。
「雨が降っている」→「雨=水」→「水が出ている」→「水の中を自転車では行けない」「バスも水の中は走れない」→「ならば・・・船、か」→「船で行くしかない」
「雨は水」。これは正解。しかし「水が出ている」から「水の上を行かねば」となるのは普通ではありえない発想のつながりのように見える。
だが、当時住んでいた家の前の国道を挟んだ向かいは大きなため池で、学校との毎日の往復時は必ず視界に入るものだった。「雨→濡れる」ではなく「雨→水(出水)→水上」という短絡思考。
いきなり脱線した。次回に続く。
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