~~現代のある中国人研究者は、和製漢語が現代中国語で書かれた文章の延べ70パーセントを占めると嘆いていた。
中国で使われているおもな和製漢語の一覧を文末に掲げたので、ご参照いただきたいが、たとえば、「中華人民共和国」の「人民」も「共和国」も、「共産主義」も「社会主義」も、「改革」「解放」も、「同志」「進歩」「思想」「理論」「階級」など中国共産党の大好きな言葉はどれも、日本人が西洋語を翻訳してつくったものである。
「人民」は『周礼』や『孟子』にもある語彙だが、これを「ピープル」の訳語にあてたのは日本人である。
ちなみに「革命」も中国に古くからある言葉で、もともとは「それまでの皇帝に与えられていた天命が奪われて別の者に移ること」だったが、この時期から日本語にならって「レボリューション」の意味に使われるようになった。
また、英語の「ノベル」にあてた「小説」という翻訳語も、中国では「民間で語られている、とるに足りない話」くらいの意味だったが、日本人がこの語彙を選んだために、中国人は「へんな言葉をあてたものだ」とブツブツ言いながら採用している。
もっとも、中国でも、自分たちで西洋の翻訳語をつくろうとはしていた。
音を漢字であらわした「徳謨克拉西デモクラシー」(民主主義)や「賽因斯サイエンス」(科学)といった言葉もつくられたが、主として、「計学、資生学」(エコノミクス)、「理学、智学」(フィロソフィー)、「群学」(ソシオロジー)「格致学」フィジックス)「玄学」(メタフィジックス)のように、古文献から援用したものだった。「新造語」である和製漢語に対し、中国では「借用語」に頼ろうとした。
「革命」や「小説」などと〝まちがった〟言葉を使う無知な日本人とちがって、こちらは漢籍の本場だという意識があったのだろう。
しかし、シナの古典からの引用は、そもそも概念が西洋のものとは異なるので、かなり無理があった。
結局、それぞれ日本製の「経済学」(エコノミクス)、「哲学」(フィロソフィー)、「社会科学」(ソシオロジー)、」物理学」(フィジックス)「形而上学」(メタフィジックス)にとってかわられてしまった。
学術上の術語、用語においてはほぼ百パーセント日本語の直輸入という説もある。
「新造語」と「借用語」の差について黄文雄氏は、『近代中国は日本がつくった』(光文社)のなかで、こう書いている。
【それはつまり異文化摂取の姿勢における、融通無碍な日本人と自国文化に固執する中国人との差である。
「新造語」とは日本人が西洋文化を自分の血と肉にしようとする意欲の表れである。「借用語」とは「中体西洋」(注・中国伝統の文化をもとに、西洋科学の技術のみを取り入れること)という、極めて傲慢にして安易な中国人の姿勢の表れかもしれない。
その差がそのまま、日中両国の近代化の差になって表れたと言っていいだろう】
そのとおりだと思う。ただ、中国のある研究者は、なぜ中国製の訳語が取り入れられなかったかについて、和製語がたくさん使われた日本の本に価値があったからだと言っている。
日本語の本で勉強した以上、その言葉を使わざるをえないから定着した。「玄学」とか「理学」とか「計学」とか、中国製の語彙はたしかに統一はとれているけれど、使わなければ普及しない。
それに、フランス語やドイツ語や英語を学んだ留学組にしても、自国民に対しては中国語でものを書く限りは、みんなが知っている漢字を使って、その組み合わせに書き換えるしかない。
つまりは欧米の本を翻訳するにも和製漢語を使わざるを得なかった。だから和製語が普及したのである。
結局日本のほうが一歩先んじていただけではなくて、知識人の裾野が広く、層が厚かったのだということができる。
「中国・韓国の正体」~異民族がつくった歴史の正体~
宮脇淳子
より転載
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
もう、これでおしまい、と言いながら延々と転載を続けています。
が、もうここまで来たからには今月一杯・・・・。
・・・・、というわけではないのですが、どうしても転載しなければ、と思う「時文」と「白話文」についての文章があります。
それに「和製漢語」の一覧もあった方が良いでしょう?
ね?
と言っても、あと一週間ですから。
中国で使われているおもな和製漢語の一覧を文末に掲げたので、ご参照いただきたいが、たとえば、「中華人民共和国」の「人民」も「共和国」も、「共産主義」も「社会主義」も、「改革」「解放」も、「同志」「進歩」「思想」「理論」「階級」など中国共産党の大好きな言葉はどれも、日本人が西洋語を翻訳してつくったものである。
「人民」は『周礼』や『孟子』にもある語彙だが、これを「ピープル」の訳語にあてたのは日本人である。
ちなみに「革命」も中国に古くからある言葉で、もともとは「それまでの皇帝に与えられていた天命が奪われて別の者に移ること」だったが、この時期から日本語にならって「レボリューション」の意味に使われるようになった。
また、英語の「ノベル」にあてた「小説」という翻訳語も、中国では「民間で語られている、とるに足りない話」くらいの意味だったが、日本人がこの語彙を選んだために、中国人は「へんな言葉をあてたものだ」とブツブツ言いながら採用している。
もっとも、中国でも、自分たちで西洋の翻訳語をつくろうとはしていた。
音を漢字であらわした「徳謨克拉西デモクラシー」(民主主義)や「賽因斯サイエンス」(科学)といった言葉もつくられたが、主として、「計学、資生学」(エコノミクス)、「理学、智学」(フィロソフィー)、「群学」(ソシオロジー)「格致学」フィジックス)「玄学」(メタフィジックス)のように、古文献から援用したものだった。「新造語」である和製漢語に対し、中国では「借用語」に頼ろうとした。
「革命」や「小説」などと〝まちがった〟言葉を使う無知な日本人とちがって、こちらは漢籍の本場だという意識があったのだろう。
しかし、シナの古典からの引用は、そもそも概念が西洋のものとは異なるので、かなり無理があった。
結局、それぞれ日本製の「経済学」(エコノミクス)、「哲学」(フィロソフィー)、「社会科学」(ソシオロジー)、」物理学」(フィジックス)「形而上学」(メタフィジックス)にとってかわられてしまった。
学術上の術語、用語においてはほぼ百パーセント日本語の直輸入という説もある。
「新造語」と「借用語」の差について黄文雄氏は、『近代中国は日本がつくった』(光文社)のなかで、こう書いている。
【それはつまり異文化摂取の姿勢における、融通無碍な日本人と自国文化に固執する中国人との差である。
「新造語」とは日本人が西洋文化を自分の血と肉にしようとする意欲の表れである。「借用語」とは「中体西洋」(注・中国伝統の文化をもとに、西洋科学の技術のみを取り入れること)という、極めて傲慢にして安易な中国人の姿勢の表れかもしれない。
その差がそのまま、日中両国の近代化の差になって表れたと言っていいだろう】
そのとおりだと思う。ただ、中国のある研究者は、なぜ中国製の訳語が取り入れられなかったかについて、和製語がたくさん使われた日本の本に価値があったからだと言っている。
日本語の本で勉強した以上、その言葉を使わざるをえないから定着した。「玄学」とか「理学」とか「計学」とか、中国製の語彙はたしかに統一はとれているけれど、使わなければ普及しない。
それに、フランス語やドイツ語や英語を学んだ留学組にしても、自国民に対しては中国語でものを書く限りは、みんなが知っている漢字を使って、その組み合わせに書き換えるしかない。
つまりは欧米の本を翻訳するにも和製漢語を使わざるを得なかった。だから和製語が普及したのである。
結局日本のほうが一歩先んじていただけではなくて、知識人の裾野が広く、層が厚かったのだということができる。
「中国・韓国の正体」~異民族がつくった歴史の正体~
宮脇淳子
より転載
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
もう、これでおしまい、と言いながら延々と転載を続けています。
が、もうここまで来たからには今月一杯・・・・。
・・・・、というわけではないのですが、どうしても転載しなければ、と思う「時文」と「白話文」についての文章があります。
それに「和製漢語」の一覧もあった方が良いでしょう?
ね?
と言っても、あと一週間ですから。
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