11月16日(土)
父の命日。
午後10時半を回ったころ、息をしてない、と病院から電話があった。
息を引き取ったのを確認させられたのは日付が変わる寸前。
だから実際には10時半ごろが本当のところ、となるだろう。
誤嚥による発熱(肺炎)で入院して以来、毎日昼前に病院に行き、夕方4時過ぎまでベッドのそばにいるのが日課になって一ヶ月、いや二ヶ月近かったろうか。
その日もいつものように「じゃ、帰るから」と言ってベッドのそばを離れた。
本当にいつも通り何も変わったことはなかった。
おそらくは10時を回って、痰が詰まったんだと思う。
肺が炎症を起こすと、もう直しようがない。自身の体力と炎症部を直そうとして大量に生産される痰が頼みの綱らしい。
けど、この痰は気管を塞ぐこともあるから気道を確保するためにその時々に吸引しなければならない。
最初のうちはいい。けど、肺胞の炎症部分は次々に移動するから体力があっても延々と繰り返される鼬ごっこに体力は急激に消耗させられる。
だから、肺炎は恐ろしい。歳を取れば危険度は加速度がついて高くなる。
肺炎が直接の死因ではなくとも、急激に体力を消耗させることで主因になることが多いという。
あれから10年になる。父が夢に出て来ることもなくなった。
コロナ禍のせいで帰るに帰れず、遂に七回忌も行えずに日が経った。
命日には晩年の数年間、禁酒を強いたことへの詫びと言うわけでもないが、大きめのぐい呑みに酒を一杯。
と言っても、ここには神棚も仏壇もないので、神宮と靖國神社、それに地元の鎮守社の神札を祀った吊り棚に供えて置く。勿論、夕方にはそれをお下がりとしていただく。
ぐい呑みを供え、朝食を摂り、9時過ぎにコペンで出る。
北町の生協で米と麦を買い衝原湖の駐車場へ向かう。
例によってネクタイを締め、ジャケットを着て行ったので、これまた例によって、
「何?今日はお見合い?結婚式?」とからかわれる。
半分それを期待しているから、敢えていつも通りにネクタイを締めていく。
塞ぎ込んだって時は戻せない。
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