CubとSRと

ただの日記

「御影」

2020年06月01日 | 日々の暮らし
2010.11/16 (Tue)

神戸に戻った翌日。
 修理のため、店に単車を預け、帰りは電車です。
 阪神御影駅に向け、いつもとは違う高架沿いの道を歩きました。
 
 と、休憩場所があって、何やら由緒書きもある。高架下です。
 高架下に連なっている店、工場が、そこだけスポンと抜けている。

 野次馬なもんだから、「何だ?」と思って近寄ってみると、何と神功皇后が、三韓征伐の帰途、ここに立ち寄られ、その清水で身装を整えられたのだ、と書いてある。
 その時、皇后の御姿が、水に鮮やかに映ったため、この清水を「御影(御姿)」を映した、ということから、「御影」。この地をも、「御影」と称するようになった、と書いてあります。

 ついでながら、世間に知られる「御影石」は、この御影周辺の、六甲山麓から切り出されたため、この名があります。
 そんな名前の土地がある、ということも、その地がここである、ということも、はるか昔に聞いた覚えはあるのですが、実際に見たのは初めてです。
 今は田舎に引っ込んでいるものの、つい数年前まで三十年余り神戸に居住していたのですが。

 初めに書いた通り、高架下で、その一部。商店で言えば、二、三軒分だけ、土地が、ない。そこは、池になっている。
 それも湧き水の池ですから、水底まで光が届く、透明な水です。用水池とされてはいるものの、見ただけなら、飲料に最適、といった風。
 (やや緑色の、ガラスのように透き通った水面の漣が、水底に映って、きれいな光の波を見せています)

 由緒書きは更に続いて、今度は南北朝期。
 後醍醐天皇に、この水でつくった酒を差し上げたところ喜んで受け取って下さった上に、良い酒だとほめられた。
 天皇様の「御心に叶った」ということと、「ほめられた」こと、から、「叶」、「嘉納」を併せて、「嘉納」を名字とし、この泉の名前を取って酒に「澤乃井」と名をつけた、とも書かれてありました。
 「灘五郷」と呼ばれる酒造りの土地の一つ、御影郷の中心となる嘉納家のはじまり、ということです。

 ついでながら、柔道の嘉納治五郎は、この一族。酒造業者が子弟を通わせるために設立したのが、灘中、灘高です。
 いつも新しいものを追い求める神戸ではありますが、こういったものが、今もちゃんと残っていることに、うれしさを感じます。

 が!何よりもうれしいこと。
 それは、この「澤乃井」と呼ばれる清水保存のために、心ある地元の人が、それこそ、名もない市井の人々が、活動し、これだけのものを残している、ということです。

 歴史のある国、というのは、大小の、このような「事跡」「逸話」「心持ち」を、本当にごく当たり前に、大事なこととして地元の人が守って来た。それが全てではないか、と、ふと思いました。
 「文華(文化)」というのは、こういうものなのかもしれません。

 今、日本を守るために、攻撃的にならざるを得ない。それは必要なことです。
 ただ、攻撃的になったものの、ふと我に返った時、じゃあ、一体、何を命懸けで守ろうとしているのか、となったら、この辺、意外に怪しいのじゃないか、と思うのです。
 今度の戦いというのは、長期戦になるのだし、総力をあげての神経戦になる。
 いきなりの武力攻撃をかけられるよりも、長期にわたって、まず、神経、精神的なものに攻撃を掛けられ、領土(国土)を奪われるのは最終段階。それも、表面上は平和裏に行なわれる、と思っています。

 これを食い止めるには、まずは体制づくり、でしょう。
 「民主党政権では駄目だ」と言われますが、この頃、やっと「民主党政権を選ぶようなことでは駄目だ」、に意識が移ってきたように思います。
 本当にやっとです。尖閣問題が引き鉄でしょう。北方領土問題が、追い打ちになりかけ、です。

 つまり、我々国民の意識がそのための態勢をつくり、その結果、新しい体制を、我々が、働き掛け、つくらねばならない。
 そういうことのために、まずできること。いや、これしかできないこと。
 それは、我が国を知ること、守るべきものは何か、と意識することではないか、と思います。
 「家族を守る。大事な人を守る、で十分じゃないか」?
 いや、「家族や大事な人を守る」だけなら、日本がなくなったって可能じゃないですか?
 「日本人として」「日本」を守る、その「日本」とは何か。
 
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「侮る」と「決め付け」 | トップ | 「前田某のこと」 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日々の暮らし」カテゴリの最新記事