逆風に抗して Against the wind,♪ we are running against the wind.♪
ここではないどこかへ。モモンガーの旅
2018年に横浜から信州にUターン
自転車と日々の生活を
綴ります。
 



1/2㈫、今年2回目の初詣?は大町の若一王子神社(にゃくいちおうじ)へ向かう為、西山山麓線を走っていたら、北小倉の交差点に「おんべ」=飾り御柱に出くわした。今年も例年どうり1/1の日の出前に建てたのだろう。


1時間半弱のドライブで若一王子神社に到着。神仏混交の三重塔が美しい。


田舎としては非常に多い人出、車のお祓いを受ける人も多い。

新年なので、少し奮発して、三賀日も営業している1200円の日帰り温泉へ。
ゴルフコースを見下ろす、源泉かけ流しの露天風呂。


私の行った時間帯(ホテルチェックインの少し前の時間帯)はお風呂は独占状態、1時間ゆったりとお風呂に出たり入ったりして、浮世の嫌なニュースを頭から降り払い、リラックスできた。


建物は少し古いものの、内部は完全にリノベされていて、ピカピカに綺麗。タオルもアメニティーもついて、1200円はお得だと思う。



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先日初雪が降ったので、少し早いが暖かい11/19にスタッドレスタイヤに交換することにした。


ゴミを吹き飛ばし、取付面、ボルトを灯油とパーツクリーナーで洗って、


1時間ほどで、順調に4本のタイヤを交換した。せっかくなので、取り外したタイヤを綺麗にしようと、高圧洗浄機のノズルを普段使っている洗車用からサイクロンノズルに交換して洗浄しようとしたら、水の勢いが弱く、水流が旋回しない。ノズル先端を分解したら、Oリングが切れているよ。幸い手持ちのOリングセットに該当サイズあり、良かった。


ついでに今年最後の洗車もやってしまう。冬になって、高圧洗浄機の中に残った水が凍結、破損するのを避ける為、高圧洗浄機をエアーパージして、倉庫に保管。(寒い地方では水抜きを怠り、高圧洗浄機を壊す人が多いんだよね)


使った工具などを元の場所に戻すなどしていたら、ガレージの隅に柿の実発見。柿の木から30mは離れているのに、こんな石の間になぜ?
疑問氷解、よく見ると2つの牙の跡がある。冬に向けて、ネズミより大きな小動物が柿をここに隠しておいたようだ。



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奥蓼科、明治温泉の上の苔の林を楽しんだ後は、温泉下のオシドリ隠しの滝へ。


これだけ景色の良い場所なのに、観光客は極少数、ちょっともったいない感じ。
滝に面した明治温泉も少し古びた感じになっていてうら寂しい。ただ、今日は午前中にきてしまったが、新緑とか紅葉の平日にのんびりとお風呂に入りにくるのも有りだと思う。


次に向かった先は1時間余りのドライブで、これも10日前に泊まったばかりの清里の清泉寮へ。


残念ながら目では見えるけれど、ほとんど写真に写らない再冠雪した富士山を眺めながら、


前回泊まった時頂いたクーポン消費を目的のランチを頂く。


ゆっくりランチを頂いた後、大泉駅前のパノラマの湯で暮れ行く富士山を眺めながら、1時間半の長湯。その後、長坂ICから高速で帰宅。アチコチ回らず、のんびりとできた一日だった。

 

 



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11/4㈯の家族サービスの時、御射鹿池/奥蓼科を目指したのだが、連休中/紅葉ピークで御射鹿池まで2kmの駐車場空き待ち渋滞。すごすごと敗退/Uターンした。
11/15㈬紅葉が終わっているのは分かっていたが、前日NHKの番組で奥蓼科明治温泉を紹介していたので、リベンジに出かけることにした。まずは御射鹿池。


10日前には、一日数千人の人が訪れた御射鹿池も紅葉が完全に終わり、唐松も茶色。風が無く折角ミラーレイク状態なのだが、観光客は10人程度、うら寂しい風景になってしまっている。


車を駐車場に停めたまま、明治温泉へ数百m歩く。目的はコケのむしたこの林。


土ではなく、岩の上をコケが覆いつくしている。


フィトンチッド一杯の森の苔道を抜けると、目の前には溶岩の上を流れ落ちる、いくつもの滝が現れた。


帰り道、足元をよく見ると、凄い霜柱。


すっかり冬の奥蓼科、明治温泉であった。



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11/5㈰、家族サービスで清泉寮に泊まり、日の出を待つ。


金峯山のあたりから、朝日が昇ってくる。残念ながら、富士山は見えるものの、東京方面に雲があるのか?朝日で浮き上がってくれない。



八ヶ岳が赤く染まり、レストラン棟に朝日が当たる。


清泉寮本館下からの八ヶ岳。


もう一寝入りして、遅い朝食をレストランで取っていると、窓の外の牧場にロードスターの大群が出現。


実は今日はロードスターの清里ミーティングの日なのだそうだ。


私の何も弄っていないロードスターと違い、綺麗にリストアされ、リペイントされた美しいロードスターNAが多い。


各オーナーから色々な情報を仕入れて、名残り惜しいけれど、帰途に就く。


八ヶ岳大橋横からの東沢の紅葉。なかなかうまい写真にならなかった。



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自分ひとりばかりで紅葉を楽しんでいるとまずいので、11/4,5は家族サービスで八ヶ岳裾野に繰り出す。普段ならほとんど車の居ない湯みち街道からの御射鹿池は渋滞でたどり着けず。1km先でUターンして、ヨドバシカメラ保養所へ。


ゴルフのミニコースが開放されていて、緑と赤のコントラストが美しい。


モミジも散り始めている木とそうでない木があり、丁度良いタイミング。


芝生の上に散ったモミジ。


続いて鉢巻道路をドライブして、まきば公園へ。富士山は視認できるのだが、霞んでいて、スマホでは撮れず。反対側のまだ雪の無い八ヶ岳。


東沢大橋の紅葉はもうピークを過ぎていて、赤から茶色に。良い写真が撮れなかった。



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【まえがき】
廃村探検は市有地への許可を得ないでの侵入、撮影などと色々問題の起こりうる行為ではある。だが、我が市内のそれも10kmしか離れていない場所に、少し前まで人が住んでいた廃村があると知れば、その消えつつある姿を記憶しておきたい、記録しておきたい、というのも歴史愛好家の一人として当たり前のこととも思い、この記事をUPしている。記事に問題となるような部分があれば、喜んで修正したいので、コメント欄を通じてご一報いただきたい。
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村の歴史愛好家が集まって、10/24㈫初期中山道とその脇道にある廃村の桑崎へ探検に出かけることになった。廃村桑崎は半年前に自転車で訪問しているのだが、新品タイヤのパンクと、人気の無い場所に一人で行った心細さで、早々に引き上げてきた場所だ。今回は荒れた山道でも安心の四駆軽トラ3台に、5人グループでの出撃であるので、安心して探索ができるはず。桜沢から初期中山道に入り、桑崎への分岐へ。


当初の目的地/駐車場として考えていた分教場跡の校庭が、最近伐採された木材集積のせいで入れない。


伐採作業の車も入っていて、轍も有るので、軽トラで行ける所まで行って見ようと、登り切り、鞍部を越え、道がやがて荒れた林道と贄川へと下る分岐点まで来た。


幾ら軽トラとは言え、これ以上進むのは危険と判断して、徒歩に切り替え。半分獣道化した道を少し降りて見たが、最近人の通った形跡がなく、倒木が沢山あり、足元が悪いので、ここで贄川へ降りる道の探索は断念。



先ほどの伐採木が積み上げてあった地点/分教場跡近くに戻り、駐車。


少し藪をかき分けて、分教場跡へ。この学校は冬季のみ使われ、夏は歩いて贄川に通ったとの事。生徒は十数人いたらしい。戦後開校し、僅か20年ほど使われただけで、1967年には閉校。


入口近くには木曽山林高校の学生のノートがあった。分教場廃校後に、この地で林業実習でもしたのだろうか?


昭和20年代に学校で使われていた重い木製の椅子から昭和30年代に取り換えられた鉄パイプ+合板の椅子がかってここが小学校であった事を偲ばせる。


かっての教室には最後にここに住んだ人のものと思われる、夥しい量の書籍が箱詰めされたまま放置されている。実用書から始まって1970年代の文学書、歴史、社会学の本など、かなり高尚な趣味の持ち主の書籍と推察される。


中には12巻からなる、オックスフォード大辞典なんて物まである。今ではタダでも引き取る人は居ないだろうが、購入した1970年代には10万円(今の貨幣価値なら数十万円)はしたのではないだろうか?


画板やキャンバス枠、それにレタリングで作成されたポスターなども散乱しているので、最後(多分1970~80年代)の住人は美術系の方かと思われる。



そして、これが分教場のかっての講堂? 体育室? 抜けた床に転がるグランドピアノが痛々しい。


見せてもらった書籍にブルーシートを綺麗に掛け直して、校庭へ。校庭の一角にはそれなりに規模の大きな飼料用のサイロがある。


さらに、その周囲を歩いてみると、牛舎に使ったと思われる鉄枠が残っていた。ここに、一頭づつ牛を繋ぎ、乳絞りでもしたのだろうか?


分教場から100mほど下り、次は民宿跡へ。


軒先にパソコンが10台ほど放置されている。1987年発売のPanacom M530、CPUが80286、RAMがたったの1MBのPC(今のPCの一万分の一程度の能力)だ。と言う事は、この民宿は1990年頃までは使われていたらしい。


一方、建物の中には、小さなお神輿も。この集落で廃村になる前まで使われていたのか?


1968年に集団離村/廃村、その後、多分1980年代までは変わり者がひっそりと住んでいたのだろうが、それから30年以上経ち、すこしづつ朽ちていく建物を記憶にとどめ、谷を下る。登って来る時にはあまり怖くなかったが、荒れた道でハンドルを取られれば、ガードレールの無い、落葉と水浸しの道で滑って、沢に落ちかねない怖い道をゆっくりとしたスピードで下ったのであった。



明治末の五万分の一の桑崎地区の地図には数十軒の家屋が描かれている。(ダブルクリックで詳細図へ)


それと重なる今回探検の国土地理院地図。家屋は描かれておらず、田畑は森林表記に変っている。こちらはダブルクリックで撮影写真場所の分かる、インターアクティブ地図が開く。

 



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行く先てんこ盛りの北海道横断ドライブ旅行も1週間経ち、今日9/16㈯はフェリー乗船前なので、小樽周辺で散策とお土産購入とすることにした。まずは北海道上陸初朝食を狙ったものの、日曜日で振られた小樽朝市食堂へ徒歩で出かける。7時と私としては早朝なのだが、朝市食堂ではウェイティングリストに数Grが記名済み。昨日の人気店訪問失敗に懲り、お隣のいち乃屋さんへ。これが大正解、美味しい朝飯に一組待ちでありつけた。


食事を終わって先ほどのリストを見ると、まだ3組も前に居たし、店内は激混み、訪問店変更は大正解。小樽朝市にて幾つかのお土産をゲットして、一旦ホテルに帰り、クーラーボックスに格納。目の前の小樽運河を散歩する。今日は連休初日なので夜にはイベントがあるらしいが、残念ながら我々は帰途についているはず。


小樽は思っていたよりも大きな、そして明治時代の建物が残っている町だった。旧日銀の周りには三井、三菱、住友など銀行や船会社の大きな支店ビルが立ち並んでいる。


そう言ったビル街を抜けて走る、今はもう使われなくなっている港への引き込み線がかっての栄華をしのばせる。


寿司屋通りを下って、女性陣の関心事、Tourist Catch街、堺町通りへ。出世前広場の傘。


▢〇堂なる気になる屋号のお菓子屋さん?


ガラスの店が立ち並ぶ一角で、


北一硝子へ。小品ゲット。


かま栄でかまぼこも買って、ホテルへ戻り、コーヒータイム、小休止後、チェックアウト。
後は小樽と言えば鰊御殿かなぁと車を走らせる。だがしかし、先週の豪雨の土砂崩れ?で閉館中とのこと。


折角来たので日和山灯台に登り、


見晴らしポイントから青い海を見て、小樽撤退。


小樽の鰊御殿がダメなら、余市があるさと、余市福原漁場へ。


鰊の干場。


漁師の食料他を保管した倉庫。


こちらは重要品を保管した3階建ての倉。


長い番屋が規模の大きさを示している。


そして、福原家の主が住んでいた家とその内部。


買物と散歩が主体であまりドライブはしなかった最終日、出航2時間近く前の15時にはフェリーターミナルに到着し、乗船したのであった。
9/16㈯散策、ドライブしたのはこんなコース。地図ダブルクリックで詳細地図へ。



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9/15㈮、昨日の激しい雨も上がり、川には茶褐色の濁流がながれているが、ようやく青空が見えてきた。



今日は途中2ヶ所見物するも、道東から一気に小樽まで行かねばならない強行軍だ。まずは標高を上げて、大雪山山系を越える為に石北峠へ。


オンネトー、摩周湖、知床と標高の高い所では霧に巻かれる天気だったのが、今日は何とかなりそうだ。雲の出てくる前に、黒岳ロープウェイで一気に標高を上げ、


さらにリフトで大雪山山系の黒岳山麓に向かう。


リフトの下には、人の手で植えられたと思われるリンドウ他の高山植物。


リフト終点から20分ほどぬかるんだ道を歩き、あまりょうの滝展望点へ。見えた滝は遠距離でショボかったが、標高1560mの地点まで登ったので、早くも紅葉が始まった大雪山を味わう事ができて、来た甲斐があった。


ロープウェイで下れば、早くもガスが出てきた。早めの行動が功を奏した。続いて、来た道を少し戻って、層雲峡のハイライト、銀河の滝と流星の滝を見物に。(写真は現場の案内板で左が銀河、右が流星を少し標高の高い場所から撮ったもの)


流星の滝は木々に阻まれ、全体を見渡せなかったが、銀河の滝は昨日の雨もあり、流量豊富で圧巻であった。


晴れたおかげで少し時間Overだが、次の目的地、旭山動物園に向かい、園前の素敵なサンドイッチ屋で遅い昼食後に園内へ。先ずは目玉のアザラシ。


白熊。


レッサーパンダ。


北海道産の動物も、オオワシ


丹頂鶴。


そして、登別ではご遠慮したヒグマ。


最後に、水の中を飛ぶ鳥類、ペンギン。


駆け足だったけれど、2/3位の展示は見れたかなぁ?

小樽まで325km走って、今日はシティーホテルの素泊まりなので、ガイドブックに従って、夕飯は名物のザンギを食べに、「なると」本店へ。席待ちをする大人数の外国人グループに悪い予感がしたが、30分並んで、いざ食事。所が、注文した品と違うものが来て、それはダダになったのは良かったのだが、油っこすぎて70台の老人の口には合わなかった。テーブルの間に間仕切りは無いし、、、、、名物に成り過ぎて、サービスが低下している印象、慚愧に絶えなかったザンギ定食だった。


と、9/15今日も盛りだくさんの一日だった。走ったコースは下図のダブルクリックで。



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9/14㈭、観光船に乗る為、朝早くあの丘の上のホテルKIKI知床を出る。



ウトロに来たら海から知床を見る観光船に乗らねばならない。されど一年前のカズワンの事故を思い出すと足がすくむ。で出した結論は一番大きな船に乗ること。冬場には流氷観光に使われるオーロラ号なら沈むことはないでしょう。


昨日見たフレペの滝を海側から眺める。



天気予報は雨なれど、何とか知床5山が見えるくらいに雲が後退してくれた、ありがたい。


今日の目的地?カムイワッカの滝。昨日天気が良ければ、車で上流の温泉の流れる、本当のカムイワッカの滝まで行けたのかもしれないが、まあ観光船から下部の滝を見られたので良しとしましょう。


帰港途中、船員が盛んに海岸線を双眼鏡で監視している。その内に、ヒグマが居た!との声。どこどこと眺めるも、私には視認できず。(左側の石ころの辺りらしい)



と、何とか最悪の天候にならなかった1時間半の観光船を楽しんでウトロの町を後にした。トンネルをくぐり、すぐ横のオシンコシンの滝へと向かう。


けっこう雄大な滝、近くで見ると、扇状に広がった滝が美しい。


知床半島を離れ、北海道の広い原野を走る。天に続く道、地平線まで28km続いている直線道路。


2日前、川湯温泉駅併設の食堂に振られたので、止別駅の食堂、えきばしゃで昼食。チョットハズレだったか?


気を取り直して、次の観光スポット、網走刑務所を目指す。カーナビ、Gマップに網走刑務所と入力して降り始めた雨の中を走った。40数年前、網走番外地が有名だった頃、刑務所の入口で写真が撮れた記憶があったからだ。激しく降り始めた雨の中、カーナビの示すまま走っていくと、なんだか雰囲気が違う、辺りを車でグルグルしていたら、拳銃も持っている警察官が飛んできた。んん?何かマズイことしたかな?と思ったら、かっての網走刑務所の建物は別の場所に移築され博物館網走監獄と言う名の観光地になっているとのこと。一応、そちらにも行って見たが、激しい雨もあり、チラ見のみで入場せず。(雨中で写真無し)

網走を離れると、雨も小降りになり、車窓には雄大な農地が広がる。



これで止んでくれるかと思ったが、残念ながらまた激しい雨。サロマ湖のワッカ原生花園は花もほとんど咲いておらず、ネイチャーセンターで雨宿りして、外を眺めるのみ。


9/14の目玉である知床観光船を含む午前中は雨も降らず観光ができたが、午後は残念ながら雨の中、まあ、長旅の内にはこんなこともある。雨の中、温根湯の大江屋さんまでは、走ったのはこんなコース。



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9/13㈬今回の旅行のハイライト、知床へ向かうと言うのに、天気予報は雨だった。しかし、朝起きると東の水平線から日が昇って来た。昨日の港は閑散としていたが、


朝の散歩で温根沼漁港に行って見ると、何隻か漁船が水揚げ中。


写真を撮って良いか聞くと、今日は不漁で、暇だよとポーズをとってくれる陽気なおっちゃん。


沿岸の定置網で取った鮭を見せてくれる。


量は少ないとは言いながら、沢山の鮭を、雄と雌、外道の3つに分け、さらに大きさで素早く籠に分けていく。
定置網水揚げ@温根沼 V 20230913 055412 vHDR On~2


朝食後、かすかに見える国後島を横目に、羅臼を目指す。道の駅知床に着くと、雲がでてきて、クナシリは見えなくなった。昆布などの買い物に専念。さらに知床半島の逆側、ウトロに向かう為、知床峠に登る。♪飲んで騒ぁい~で、丘に登ればぁ、はるかクナシリに、白夜は明ける♪ではなく、ここでも高度を上げたら、白霧の中、国後島の方向表示板のみで数m先も見えない。


所が、峠を越えて数百m、羅臼側では雲/霧が切れてきた。知床自然センターで情報を仕入れ、雨になる前に知床五湖へ。


延々と続く高架木道を歩けば、あっ、鹿が居た。


今にも雨が降りそうで、山々はまったく見えないが、何とか五湖のひとつ、一湖へ着いた。


何とか知床五湖を見学することができたので、ここは欲張って、昼食を後回しにして、フレペの滝へと歩く。咲き残りの野の花。


フレペの滝の展望点に到着も、地中から湧き出した水が滝になっているだけなので、残念ながらあまり豪快な眺めではない。



まだ見たい所もあったのだが、雨がパラつき始めたのと、空腹なので、ウトロ漁協婦人部食堂に向かった。お目当てはこれ、山盛りのイクラ丼。


今日の宿はKIKI知床(旧プリンスホテル)、建物は少し古いが、綺麗に改装されていて、広々としたホテル。高中低の3つの温度のお風呂と露天風呂が気持ち良い。夕食はまたもバイキングだが、このホテルでは日本人が多数派、またステーキが柔らかな脂肪注入肉ではなく、少し歯ごたえのある肉でオージービーフに慣れている私としては、こちらが正解、沢山いただいた。


9/13走ったのはこんなコース。



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9/12㈫阿寒湖から屈斜路湖を目指すも、ナビ設定不良で若干時間ロス。事前には駐車場有料との情報だったが、屈斜路湖湖畔の砂湯に着いて見れば、駐車場に車は数台、そして無料。


湖岸の砂を掘ると、お湯がプクプク湧き出していて、この広い屈斜路湖がカルデラ上/火山上に有ることを改めて思い起こさせる。


湖畔にはスコップ貸し出しステーションも。でも砂に埋まっている人は居なかった。


少し車を走らせて川湯温泉の硫黄山へ。


蒸気と亜硫酸ガスが凄い勢いで噴き出している。


あいにく、向かい風で亜硫酸ガス臭が激しいので、身の危険を感じて、あまり近くまでは近寄らず。昼ご飯を求めて、川湯駅へ。丁度釧路から一日5本しかない列車の一つが入って来た。


この駅に付属のレストラン?を期待して来たのだが、本日休業!釧路からわざわざこの列車で食堂をめざした観光客も居たのにねぇ。
次の目的地は摩周湖。急な坂道、九十九折れを600m登って、着いた展望台は、、、、、、、霧の摩周湖だった。この時期、標高の高い所はダメだったみたい。


摩周湖温泉に戻り、昼食後、下道で野付半島を目指す。
セイコーマートで地物の名物を幾つかゲットして、着きました、野付半島。
♪はるか国後にぃ~♪


9月では残念ながらあまり花を見ることはできず。自然観察センター、野付崎灯台と巡って、


ナラの木が枯死してできたナラワラの見える地点へ。荒涼とした風景だ。


本日の宿は今までの宿と違って、純日本旅館、野付うたせ屋。海岸端の尾岱沼漁港隣接なので、料理は珍しい魚尽くし。温泉は源泉が熱すぎて、加水だが、凄い湯量。


ドライブしたのはこんなコース。



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9/11㈪今日は登別から360km走って阿寒湖に辿り着かねばならない。日高山脈を越え290km、途中トイレ休憩一回のみで、足寄までひたすら高速道路を走る。片側一車線の所も多いが、車の密度が低く、道が真っ直ぐなので、クルーズをONにして走れば、3時間のドライブもそれほど苦痛ではない。足寄は40数年前、2月の一番寒い時期に足寄発電所の事故対応で2週間ほど滞在した町だ。足寄道の駅銀河ホール21でドライバー交代/昼食とする。足寄と言えばこの人、デビュー当時は好きだったのだが、今では鈴木宗男さんと仲良しになってしまった残念な松山千春。道の駅に展示室がもうけられ、写真が飾ってある。この辺りが特産の螺湾蕗の下で。


一応予定より少し早く足寄を出発できたので、オンネトーに寄っていく事にする。だがしかし、今日も標高を上げると雲や霧が掛かって来る。せっかくオンネトーに辿り着いたのだが、売り線のブルーの湖面は見えず。


ただ、ほんの一部だが、紅葉が始まっていた。


欲求不満が高まる中、次の目的地、阿寒湖を目指す。事前調査が不足していて、阿寒湖の遊覧船の出発時刻や出航場所をグーグルマップで検索しようとするも、北海道は広い!ずっと電波圏外だ。阿寒湖近くになってようやく接続、良かった、3時の船に乗れそうだ。待つこと30分、船がきたよ~ぉ。



雲ってはいるものの、時折日差しが覗き、何とか雌阿寒岳が見えた、幸い当面雨は降りそうもない。



所々の紅葉の始まり。


例年ならそろそろ紅葉の見頃だったのかもしれないが、今年のこの天気では、あと2週間後に来るべきだったかも?


チュウルイ島上陸、マリモ展示観察センターへ。


正しい地形と波があると、こんな風に大きなマリモになるのだが、


条件が整わないと、こんな風にバラバラになってしまうようだ。


数十年振りにマリモを見て、満足してホテルニュー阿寒にチェックイン。
阿寒湖を見下ろす、絶景の部屋。

そして、このホテルの売り、混浴!の天空ガーデンスパへ。鼻の下を長くして行ったのだが、男女ともダブダブの浴用水着を着ているので混浴なんてどうでも良い。遮るものの全くない360度の視界の半分を阿寒湖が占め、その水面がスパの水面とほぼ一体になっている。湯温は38度位、何分でも湯につかって、暮れていく風景を楽しめた。(ホテルのHPから)


夕飯は昨日より少し人数は少ないものの大宴会場/日本人少数派のバイキング。ベニズワイガニの脚が有ったので、4人分をハサミと手で剥き始めて気が付いた、まだ指を消毒してない!! まあ、トングには数回触っただけだし、酢をしっかり効かせればOKとは思うものの、若干の食欲減退であった。

と、9/11北海道横断ドライブで走ったのはこんなコース370km。



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9/10㈰、朝5時にフェリーから下船し、小樽の町へ。朝ご飯は早朝から開いているはずの朝市食堂でさっそく海鮮丼だ!と意気込んで向かったものの、日曜日のみ早朝営業が無い、ナイ!
旅の第一歩から予定外だ。Gマップで小樽市内で開いている食堂を探すも、松屋他のファーストフードしか開いていないよ。小樽市内を観光とも考えたが、早朝故見られるところも無い。仕方なしに高速道路に乗り、途中のPAで簡単に朝食、また走り始めた。白老を目指すも、朝の7時頃に到着では、ウポポイを見学する訳にも行かず、そのまま洞爺湖まで走り続けた。


8時には洞爺湖到着。あいにく羊蹄山には雲が掛かっている。阿寒湖や知床で遊覧船に乗る予定なので、洞爺湖では湖畔を散歩するにとどめて、次の予定地、昭和新山へ。


こんな山が突然畑の中からムクムクと出現したら、本当に驚くだろうなぁ。
さらに全景を楽しむ為、隣の有珠山にロープウェイで登山。


絶景ですね。


先ほどの洞爺湖も見える。


だがしかし、洞爺湖も昭和新山も、そして有珠山もすべて火山活動の結果できた地形。有珠山や昭和新山に至っては、ごく最近も噴火している活火山なので、心の隅で不安の種が芽を出している。予定よりずいぶんと早いが、洞爺湖周辺とはサヨナラ。
台風の影響もあり、平地では晴れていても、登別への山越え、オロフレ峠では雲の中。せっかく期待していた眺望も望めず、崩壊地盤を遠望で来たのみ。


昼過ぎには今日の宿泊地、登別温泉のホテルまほろばに着いてしまった。


幸いにして温泉街はさびれてはおらず、昼食を取りながら温泉街散策後に地獄谷まで歩く。


平地に戻り、晴れてくれたのは良いのだが、日差しがきつく、気温も30℃を越えている。地獄谷の次、登別と言えば、熊虐待?で有名な登別熊牧場なのだろうが、北海道一日目でもあるので、3時にホテルにチェックインして、広い露天風呂でくつろぐ。


しばしの午睡の後、6時に夕食会場へ。凄く、スゴク、広いレストラン、かって勤めていた従業員数千人の工場の食堂よりも広い会場でバイキング形式の夕食。


ありとあらゆる料理が、それなりに美味しく、見た目も良く準備されては居るのだが、この数百人の中には、最低1人はコロナ感染者が居るはずだと、身構えてしまう。
さりとて食欲には勝てず、何人もが触ったトングで料理と取った後、持参の消毒スプレーで手指消毒の後、料理にぱくつく。


北海道一日目、ドライブしたのは260km、こんなルートを走った。



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この所ずっとブログをサボっていた。実は北海道への旅行準備とドライブで忙しく、ブログは後回しになっていたのだが、この間の旅行の記録をまとめておかねばブログの意味がない。
数ヶ月前、コロナもなんとかなりそうなので旅行がしたい、でもこの円安では海外はシンドイ。そんな話をしていたら10歳上の兄夫妻が3年前に計画したものの、コロナでキャンセルした1週間の北海道横断ドライブ旅行に再トライするつもりとのこと。しかし80歳を越え、連日の長距離運転には不安があるとのこと。すでに計画が有り、宿も決まっているので、渡りに船、兄夫妻の計画に我家もドライバーとして相乗りすることにした。



9/9早朝、車で松本を出発、一路新潟を目指す。事前に心配していた台風は予想通り関東に逸れ、雲は多いものの、雨は降らず。まず姨捨PAで休憩、ドライバー交代。


私の運転で米山PAへ。ここでの朝食はヒラメのお茶漬け。


新潟で給油後、新日本海フェリー、ラベンダー号に乗船。


実は台風が関東に逸れた為、大洗~苫小牧航路は運休になったとの事。台風がこちらに逸れなくてラッキー。数年前に建造されたラベンダー号は設備、客室も新しく、快適であった。


出航間もなく、遠く佐渡島を左舷に、粟島を右舷に見ながら通り過ぎる。



夕食はフェリーのレストランで。ひと昔前のフェリーとは大違いで、それなりに美味しかった。


9/10早朝、小樽でフェリー下船、ドライブに向かったのであった。

帰りは9/16夕方、小樽でまたラベンダー号に乗船。



若干の夕焼けの中、これで、楽しかった北海道ともオサラバだぁ。


時速40km/hで巡行するフェリーの露天風呂で風を受けながら旅の疲れを癒し、ひと眠りすれば、爽やかに目覚めることができた。酒田の辺りで本州から朝日が昇って来た。


粟島を過ぎれば、楽しかった旅行も終わりに近づく。そろそろ下船の準備。



新潟港が見えてきた。



新潟港で下船の後、慎重に運転して松本帰着。フェリーで2X690km、車で2X270kmの移動であった。



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