松本平東山の飾り御柱=おんべを見に行った1/17㈫の翌1/18㈬、もう倒されていたおんべがあることから、遅まきながら辰野の飾り御柱=大文字(でえもんじ)を見に行くことにした。事前のウエブ検索では辰野町の大文字に関する記事は殆ど発見できなかった。唯一の手掛かりは箕輪町の上村の大文字が先週建てられ、今週末倒されるということだけ。
走り始めて1時間、伊那谷を見下ろせる伊那谷の北端に到達。
西天竜用水路に沿って走って行けば、大文字のある辰野町北大出に到達するだろうとの目論見は見事ハズレ。行く手に深い谷があり、山に登るか、国道に下るかしかない。国道に下って、羽場の大きな交差点で再度山に登るも、道が1本違っていた。
紙の地図を良く見直し、付近をウロチョロして、ふと辻の角を見ると、大文字の残骸が有るではないか!
竹の枝、竹の輪、巾着などが道祖神の前に置かれている。ここが宮下小路の大文字の場所だよ。そこを起点に次の鞍掛小路を探す。
鞍掛小路の道祖神わきには僅かに色紙が落ちており、さらに近所の方に声掛けして聞いたら、昨日倒したとのこと。一日違いかぁ。
道を下って、国道との交差点、羽場上の辻には何の痕跡も見えず。
さらに下って下の辻にも痕跡は無いので、もと来た道を引き返し、宮下小路へ。神社の前の石柱には色紙が落ちており、ここも大文字をやった跡がある。
山側に走っていくと、綺麗に手入れされて、まだ住んでおられる大きな茅葺の家。
隣の畑でぶどう棚の手入れをしている方に聞くと、やはりここよりも下で、今年もやったとのこと。塩尻から来たことを話すと、残念ね、昨日片づけたよ、ですって。
少し下って、上垣外小路は綺麗に掃き清められていて、痕跡は見られなかったが、今年もやったとの証言あり。
また若干迷走して、農作業中の方に新田小路の大文字の場所を聞く。
三九郎をやった跡があり、この場所は道路も広く、伊那谷を見下ろて、良い撮影ポイントになりそうだ。
そして、最後の三ツ谷小路の大文字へ。
ここにも倒されたばかりの大文字が。頂上の?オンベも大きなヤツが残っている。
ここの大文字は色々面白いものが取り付けられている。お金が入るように巾着を吊るすよりも、現代的で素敵なハンドバッグ。
手毬のような、複雑な紙細工。
そして、何を象徴するのか良くわからない、ミカン。
丁度散歩で通りすがった方に聞いたら、新年に各戸が色々な飾りつけを作り、正月第一週の終わりに飾りつけ、第二週に倒すとのこと。
と言う事で、辰野町の飾り御柱=大文字(でえもんじ)は残念ながらすべて倒されていた。しかし塩尻のオンベと違い、各集落で昨年も一昨年も絶えることなくやったと聞くことができたし、場所もしっかり同定できた。松本平の物とは少し違うけれど、非常にカラフルで面白そうなので、来年は是非、小正月中に見に来なくては。
来年の再訪用に大文字の場所が解かる地図をUPしておく。ダブルクリックで詳細版へ。
来年こそは!
所で、辰野町8か所、箕輪町2か所、は分かるのですが、伊那市の1か所ってどこでしょうか?グーグルマップで見つけられないので。